第38話 マンション

「おい……、ついたぞ、そろそろ起きろよ」


「うえ……?」


 微睡の中、声のする方に顔を向けると、杉原さんが眉間に皺を寄せてこちらを見ていた。


「山並さん、っていうか、もう、美冬でいいよな? 呼び間違えてもまずいし。ほら、よだれ垂れてるぞ」


 そう言われて、私は自分が大口開けて涎を垂らしながら寝ていたことに気がついた。差し出されたティッシュで口を拭ったあと、形容し難い恥ずかしさに襲われ、目線を逸らす。


(あんなに警戒してた男の前で爆睡するなんて……なんという不覚)


「ほら、荷物下ろしてさっさと行くぞ」


 どうやら彼も、もう私に対してぶっきらぼうな態度をとることに慣れてきたらいい。なんだかまるで、友達にでも接するような気やすさだ。


 私が寝ている間に、すでにマンションの地下駐車場にたどり着いていたようだ。車を降りる頃には、杉原さんがすでに全ての荷物を下ろし終えていた。


「あ、それ、私持ちます」


「俺が運んだ方が早い。美冬はパソコンのバッグだけ持ってくれればいいよ」


「……なんかすみません」


「俺が敬語崩したんだから、美冬も敬語はおかしいだろ」


「う、あ、はい。じゃなくて、うん」


「よろしい」


 ニヤリ、と笑った杉原さんは、私に背中を向けて、マンションの入り口へ歩き始めた。その大きな背中を追いながら、これから二人でマンションに泊まる、という事実が現実感を帯びてきて、なんだか気恥ずかしくなってきた。


 エレベーターで杉原さんが押したのは、五階。到着して扉が開いた目の前の部屋が、どうやら私の今日からの仮住まいらしい。カードキーを取り出してドアを開錠した杉原さんは、私に先に入るよう促した。


 ドキドキしながら部屋に入ると、十二畳くらいの広いリビングに、個室が二つ、納戸が一つ備えられた、比較的新し目のマンションだった。設備の質の良さを見るに、二十三区でこれなら多分家賃二十万はくだらないくらいの部屋だろう。


「私の部屋が四つ以上入りそうな大きさだな……」


「おかえりなさぁい! 待ってたわよぉ」


「うわっ」


 突如視界の中に割り込んできた、どぎついピンクのフリル付きのワンピースを着た少女に、私は思わず飛び退いた。


「そんなに驚かなくてもぉ」


「こ、こんばんは。えっ、小学生の女の子? ど、どういうこと?」


 状況が理解できなくて、杉原さんの方へ視界をやる。すると杉原さんではなく、少女が答えた。


「杉ちゃんの彼女だよぉ?」


「えっ! ちょっと、杉原さん! 小学生の女の子に手を出したんですか?」


「こら! マリン、話をややこしくするんじゃねえよ。全く、お前はどうしてそういう……」


 イライラを押し殺したような表情の杉原さんと、おどけたような表情で微笑むド派手な少女に挟まれ、私は眉間に皺を寄せて二人を交互に見つめる。お手上げだ。残念ながらもう私の知能では、状況の把握ができない。


「美冬、こいつはマリン。俺らのチームのハッカーだよ。子どもの頃に国内外のハッカーコンテストを荒らしまくった秀才だ。ちなみに年は二十五。子どもじゃないし、俺の彼女でもない。パソコンの解析は早い方がいいかと思って、それで呼んだんだよ」


「え、えええっ!」


「ごめんねぇ。部屋は盗聴盗撮されるし、お引越ししなきゃならないし、こんな美少女が二十五歳で理解できないこと続きよねぇ。まあまあ、とりあえずお茶でも飲んで落ち着きましょ!」




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