動き出す

第20話 罠

 待ち合わせ場所は再び、エディントン•ホテル、ロビーのカフェ•エンペラー。


 思わぬ重要業務が舞い込んできてしまったがために、約束の時間に少し遅れてしまった。カフェの入り口で店員に名前を伝えると、ジョンさんのいるテーブルへ案内される。


 私が遅れたことなど全く気にしていない様子で、笑顔で手を振っていた。前回会った時同様、細身のスーツを着こなしていて、頭髪の乱れも一切ない。


「お待たせしてしまい申し訳ありません」


「大丈夫です。お疲れでしょう。どうぞお座りください」


 ジョンさんに促され、前回と同じソファー席に腰掛けた。乱れた前髪を整えながら前を向くと、彼はウエイターを呼んでくれている。


「さて、では気になっていると思いますので、早速先方の感触をお伝えしますね。結論から言いますと、二社とも山並様に関心を持っていらっしゃいます」


「それは嬉しいですね! ジョンさんのお陰です、ありがとうございます」


 両手を組み、照れ臭そうに笑ったジョンさんは、少し前屈みになって話を続ける。


「担当者は一度お会いしたいとおっしゃっていますが、どうされますか」


 そう言われて、ふと伊藤部長の顔が浮かんだ。


(やっぱ、罪悪感あるなぁ)


 異動当初、かなり邪険にされたことで、正直印象は良くなかった。社内的にも実力主義者で知られていて、気難しく厳しい人だという評判を聞いている。


 しかしその人が、どう考えても重要な仕事を、私に任せてくれた。今の部署では雑用しかしていなかったけど、ブツクサ言いながらまじめにやっていたのを見ていてくれたのかもしれない。


(でもなぁ、やっぱり、経理の仕事も捨て難いんだよなぁ)


 ウンウン唸っている様子を、穏やかな眼差しで見守っていたジョンさんは、私の結論が出たらしきタイミングを見計らって声をかけてきた。


「お心は決まりましたか?」


「……私も、お会いしたいです」


 やはり、キャリアを考える意味でも一度企業から直接話を聞いてみたい。


「よかった。では、メールで構いませんので、平日でご都合の良いお時間をいくつかいただけますか。日中が難しければ、夕方以降で構いません」


「わかりました」


 私の返答に満足したのか、彼は口角を上品に上げて手帳にタスクを書き込んだ。そして手帳をしまうと、「思い出した」と言わんばかりに大きなリアクションを取って、再び前傾姿勢で言葉を紡いだ。


「先日お願いした書類、ご用意いただけましたか?」


(書類? ああ、会社概要のパンフのことか)


「こちらですね」


 カバンから白い封筒を取り出し、彼に手渡す。すると彼はお礼を言って、私に木箱のようなものを手渡した。


「お手を煩わせたお礼です。受け取ってください」


「え、いやいや! そんな、困ります」


「とにかく、その箱を開けてください」


 先程の柔和な態度とは打って変わって、高圧的になったジョンさんの態度にたじろいだ。一体何が入っているのだろうと、恐る恐る木箱を開けると––––そこには札束が入っていた。


 思わず木箱の蓋をとじて、ジョンさんを見上げる。すると彼は、口角を歪め、会社概要から書類を一枚覗かせ、私の目の前に突き出した。


「山並様、ありがとうございます。こんなお土産までいただいて」


 見せられたその書類には赤い印刷文字で「社外秘」と刻まれていた。


「私、そんな書類入れてない……!」


(山崎さんが一枚一枚めくって、何も挟み込まれていないことを見せてくれていたし)


「事実、入っていた訳ですから言い逃れはできませんね。お金も受け取ってますし」


「お金は受け取りません。その書類も返してください」


 キッと睨みつけ、書類を奪おうとするが、かわされてしまった。カフェの来店客が何事かというようにこちらを遠巻きに見ている。


「僕の仲間が、これまでの様子を動画で撮影しています。お金を返したとしても、言い逃れはできませんよ」


 ––––心臓が波打つようにどくん、どくんと鳴り響いている。自分の体が自分のものではないようで、ジョンさんの声がはるか遠くに聞こえた。


「あなた、何者? 私をどうするつもり?」


「僕はね、貴重な情報でお金稼ぎがしたいんです。三河重工の防衛事業の秘書さん、あなたならさまざまな機密情報にアクセスが可能でしょう」


(この人、初めからそれが目的だったの?)


 身体から血の気が引いていく。目の前で起こっている出来事が、現実であるという実感がない。バカみたいだ。こんな手に騙されて。


「さあどうしますか? ちなみに、僕の本職がヘッドハンターというのは本当です。を手伝ってくれるなら、仕事が終わったあと、他社でのポジションを確約しましょう」


 ジョン•キンバリーは悪魔の微笑みで私を誘う。


「明るい未来のために手を汚すか、今すぐ破滅するか。さあ、どちらを選ぶ?」

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