第6話 新しい仕事

 とうとう、異動先での初日を迎えてしまった。朝になるのが本当に嫌で、昨日は随分深酒をしてしまい、頭が痛い。社会人失格だな、と自嘲しつつ、洗面台で顔を整える。洗面室に差し込む日の光が憎い。鏡に映る三十二歳の女の皮膚の衰えを、これでもかと突きつけてくれる。


「……しばらくお酒、控えよう」


 ボソボソと独り言を呟いて、冷たい水で顔を洗う。お湯で洗うと肌に悪いらしい、と、この間テレビで誰かが言っていた。美容情報なんて、若い時は一ミリも気にしなかったはずなのに、最近は記憶に留めている自分がいる。私もそれなりに、歳をとりながら変化をしているのだ。


(淡白で、疑り深くて、人との関係構築に消極的なのは、ずっと変わらないけどね)


 そう自虐しながら、昨日のうちにしっかりとアイロンをかけておいた、ペールブルーのカットソーに身を包む。見た目だけはかっちりとしていて、ストレッチ素材で楽なコスパ重視のスーツを身につけ、家を出た。


 仕事にやる気を出して取り組んでいた時は、あんなに張り切って服も選んでいたのに。人間はやる気を失うと服装にも出るものだと学んだ。


 特別事業部第一部。社内では変わり者の掃き溜めだと聞かされている。他の部署と一緒に仕事をすることのない、孤立した部門。そのほとんどが男性で、マサチューセッツだとか、ハーバードだとか、とにかく海外の有名大や、国内の技術系の最高峰の大学を出た人間のみが集められている。


 防衛事業が主たる収益の柱で最新鋭の戦闘機を作っている、というのが社内外の認識だが、それ以上の情報は謎に包まれていた。


 今回、特別事業部第一部に異動させられるのは私ともう一名。葛木という女性だ。辞令で「春子」と書いてあったから女性だと分かっただけで、それ以上の情報はない。


 特別事業部は私が元々勤めている本社ビルの二十九階に位置していた。執務エリアに到達するまで何回もカードキーをかざさないと入れない作りで、あまり外には出せない情報を扱っている部署というのがよく分かる。


 指定時刻に出勤すると、二十九階のエレベーターホールで、私より少し上くらいの年齢の男性が立っていた。


「おはようございます」


「おはようございます。ええと、君は山並さんかな?」


 山崎、と名乗った彼は、手元のタブレットと私を見比べていた。社員証の写真と照合していたのだろう。


 私が彼の問いかけに答えると同時に、背後のエレベーターが開く音が聞こえた。


「おはようございます」


 振り返ると、そこには長身の美女が立っていた。年齢は、こちらも私よりちょっと上くらいだろうか。仕事のできそうなパリッとしたグレーのスーツと白いワイシャツを身につけていて、踵の高いヒールを履いていた。


「おはようございます。あなたが葛木さんですね」


 山崎さんは、私にしたのと同じように、入念にタブレットの画像をチェックした。変人の集まりと聞いていたが、今のところ彼の印象について特に変わったところはない。その辺にいそうな、落ち着いた雰囲気の、礼儀正しいサラリーマンだ。


「ではまず、研修室に移動します。初日のオリエンを受けていただいたあと、いくつかオンライントレーニングを受けていただいてから、部長やチームとの顔合わせ、明後日から実際の業務に入っていただきます。研修室までは今お持ちのIDカードで入れますけど、執務エリアへの入室はできません」


「別途権限が必要なんですね」


 私の質問に、山崎さんがうなづく。


「はい。研修を全て終了し、特別事業部の業務内容に特化した秘密保持誓約書にサインをいただいたあと、権限申請の書類にご記入いただき、それから入室できるようになります」


「さすが、防衛事業。鉄壁のセキュリティだわ」


 関心した様子で、葛木さんが言った。


「取り扱う事業の内容を考えれば、当然の処置です」


 困ったような笑顔で、山崎さんが答える。彼の案内に従い、私たちは研修室に入った。そこは真っ白な飾り気のない空間で、ラボのようなイメージを抱かせる。個人貸与のパソコンではなく、研修専用のものがあるようで、オンライントレーニングはそれらを使って受けるように指示された。


「荷物はそこの棚に入れていただいて、ジャケットは脱がれるようなら、そこのコートハンガーを使ってください。僕は自分のパソコンを取ってくるので、それまでお互い自己紹介でもしていてくださいね」

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