第十三章 両端に惑う(4)

 


「そなたらの留守中、総督府の連中が来おったぞ。実に二度もな」

「ふむ、そのようですな。我らも報告せねばならぬことがございます。委細は城にて」

 新十郎は目だけで辺りを伺うと、屋外での会話を言葉短に制する。そうして瑠璃の身辺を固めるように新十郎が斜め前を、一学が背後について歩み出した。

 その折、瑠璃は何となく後ろ髪を引かれたような気がして、逃げるように後にした北条谷のほうへ目をやる。いや、逃げるようにではなく、事実逃げてきたのだと自覚し、胸の奥に厚く淀む靄が一層濃くなるのを感じたのであった。

 

   ***

 

 銃太郎が一ノ丁の辻まで瑠璃を追って駆けつけた時には、既に瑠璃の姿はどこにも見当たらなかった。

 山岡栄治の話で一人で帰ったと聞いてすぐに飛び出して来たものの、瑠璃の言うところのお忍び慣れしているその脚は速い。辻で追い付けなければ、その後の行方は分からず仕舞いだ。

 西から流れ込む雨雲が城下の空を覆い、辺りは薄暗く陰っている。新緑も今は暗い影を落とす天蓋のようだった。

「銃太郎! お前足速すぎるぞ!? ちょっと落ち着け!」

 その後を追って来たらしい栄治が声を張る。

 木村家の門前での顛末を聞かされ、栄治はその直後にとんでもない事を言い出したのである。

「姫が早合点しただけだ、すぐに誤解だと気付くだろ」

「何故その場で事実を教えなかったんですか。こんな時期に一人で城下に出たら、どんな危険があるか──!」

 瑠璃の行動範囲は、城の姫君としては広過ぎる。先日も顔見知りだったらしい人間と遭遇し、一方的に責め立てるような言葉を言い募られたばかりだ。

 たとえ平時でもあるまじきことに変わりないが、情勢の不穏さに拍車が掛かる近日、無防備に出歩いて無事でいられる保証はない。

 仙台が兵を出し、その通行もある。他藩の士にもどんな者があるかは分からないし、領民の間にも不安が広がっている。

「瑠璃にもしものことがあれば、最早取り返しがつかない」

 先日の花見で、瑠璃の側近中の側近、大谷鳴海に対しても安心して任せろと大口を叩いてしまったばかりである。

「そもそも今日は姫が勝手に城を出てきたんだろう。お前に非はないぞ。大体、姫には鳴海様の家士が付いてる。姫と一緒にいて気付かんのか」

「お、大谷殿の家士……?」

「あれだけ御忍びを繰り返して、鳴海様が何の手も打たずに放置しておくと思うのか。姫の御忍びは十の頃から続いているんだぞ」

 言われてみればそれもその通りで、長く側に仕えるらしい側近が何もせず手を拱いているはずもない。

 恐らく姿を見せず尾行しているのに違いないだろう。

「まァ、姫自身が気付いているかどうかは知らんが、その家士の目さえ擦り抜けることもあるのは間違いないがな。そうすると鳴海様が直々に血相を変えて出てくる、という寸法だ」

 栄治は呆れながらに銃太郎を見た。

「お前の焦るのも分からんでもないが、追った理由はそれだけではないだろう?」

「………」

 指摘の通り、瑠璃の身辺を案ずるのは勿論だが、そればかりが飛び出してきた理由ではない。

 たにを見て、瑠璃が何か誤解をしたかもしれないと告げられたことが銃太郎を慌てさせたのだ。

 周囲の人間を見る目は、異様に鋭いところがある。それは栄治本人がそれだけ他者や世間の目に注意を払って暮らしてきた証であり、その原因は尋ねるまでもない。

「……たには私の妹です」

「そんなこと、俺に言ってどうする」

「私に妻があると誤解したまま、瑠璃は何も言わずに帰ったんですか」

「誤解したかもしれない、というだけだ。議論の声を聞いて、お前のところも城と変わらんようだから帰ると言っていた」

 城中も相当荒れているだろう。その城に疲れてやって来たのだろうに、要らぬ誤解を抱えて顔も見せずに引き返すなど、あの瑠璃に限ってあるだろうか。

「そんなに気掛かりなら、お前も才次郎みたいに嫁に来いって言ってみたらどうだ? 案外脈はあるかもしれんぞ」

 半分揶揄うような色を浮かべ、栄治はにやりとする。

 才次郎みたいに、というのを強調していた。

「才次郎が何ですか」

「困ってるなら自分のところに来い! って求婚してたぞ」

「……は?」

 成田才次郎は未だ十四歳である。

 しかし若年ながら思慮深く慎重、且つ気遣いも出来る。篤次郎ほど目立ちはしないが、見所のある子だ。

 そうでなくとも、銃太郎の父の門人には瑠璃と齢の近い家中子弟がごろごろといる。一度出た降嫁の話は、誰もが気に留めているだろう。

「才次郎に先を越されんうちに、お前も手を挙げてみたらどうだ」

「何を馬鹿なことを。私では身分に開きがありすぎる」

「そう言う割に、姫に妻帯と思われたくなかったようだが?」

「………」

 確かに指摘された通りで、こんなところまで脇目も振らず瑠璃を追ってきており、否定は出来ない。分かりやすい奴だ、と栄治は含み笑った。

 

 

【第十四章へ続く】

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