第六章 対立の嚆矢(2)

 

   ***

 

 降嫁を巡って鳴海とじゃれ合った後、瑠璃はその日もいつものように北条谷の木村道場へ足を向けていた。

 天候次第で射撃場に出る日もあれば、道場において銃火器の種類と扱い、手入れ、最新の軍事用語に至るまで、その講義は多岐に亘る。

 銃太郎の話に真剣な眼差しで耳を傾ける少年たちは、呑み込みも早く、また身に付くのも早い。

 無論、そこには銃太郎の丁寧な指導があってこそなのだが、評判が評判を呼び、道場は日を追うごとに門弟の数も増えていた。

 瑠璃が訪れるたびに知らぬ顔がぽつぽつと増えている。

 但し、本来貫治の門下であるはずの若い家中や子弟も含まれるから、子供ばかりとも言えなくなっているようだ。

 その中に知った顔を見つけ、瑠璃は道場の板敷きを静かに這った。

 銃太郎の目に触れぬよう、頭を低くして見付けた青年のそばへ近付き、その袖をちょいと引く。

「栄治、栄治。久しいの」

 道場の端に膝を折る青年は助之丞や銃太郎よりも歳上だが、訳あって恤救の身分である。

 この男もやはり、過去お忍びの際に出会して以来の付き合いだった。

 早くに父と死に別れており、山岡家の当主となっている。

「お、姫か。元気そうだな。銃太郎の話聞いてなくていいのか」

「もちろん気にはなるが、随分久しいからつい」

「……怒られても知らんぞ?」

「その時は栄治が庇ってくれるじゃろ?」

「俺が姫を庇うと思ってるのか、めでたいな」

 何処か飄々とした雰囲気を纏う、掴みどころのない様子は相変わらずで、昔から瑠璃を姫とは呼びながらも遠慮なく対等に話す。

 初対面の折に身分を明かさずに接していたのが、今も引き続いているようなものだった。

 ひそひそと声を潜めて二、三話していると、栄治の肩の向こうからひょこりと直人が顔を覗かせる。

「あ、直人殿。ホイじゃ」

 ひらりと掌を見せて挨拶すると、直人がしぃっと人差し指を立てる。

「おい姫様、何がホイだよ、静かにしてろ」

「なんじゃ、蘭語でやあ! ぐらいの軽ぅい挨拶じゃぞ? 直人殿、知らんのか?」

「へぇ、そうなのか──じゃなくてだな! さっきから銃太郎こっち見てるぞ!」

「!?」

 ばれていないと思っていたが、直人の囁きにぎくりとしてゆっくり銃太郎のほうへ首を巡らす。

 すると、そこでばちりと視線が合った。

「………」

「………」

 無言のままでじっと睨みつける銃太郎の視線は真っ直ぐに瑠璃へと注がれ、その顔は当然険しい。

 更にその真ん前に陣取った篤次郎が、にやにや笑っているのが見えた。

「姫、ほらちゃんと謝れ?」

 栄治は掴まれたままの袖を引き抜きながら、あっさり言い捨てる。

「そうだぞ、あいつ一度怒ると三日は仏頂面のまんまだぞ」

 直人も栄治を援護するように謝罪を奨めてくるが、なるほどあの顔が三日も続くのは勘弁願いたい。

「銃太郎殿、ま、まことに申し訳──」

 床に手を付き、その場でべたりと平身低頭すると、ややあって銃太郎の吐息が聞こえた。

「私語は慎むように。さもないとつまみ出すぞ」

「……ホイ」

「ブフォッ」

「グフォ」

 瑠璃が伏したまま返事をすると、直人と栄治が勢い良く噴き出した。

 その後、銃太郎が更に不機嫌になったことは言うに及ばない。

 

   ***

 

 門人の帰ったあと、瑠璃は木村家の土間にいた。

「母君、大根洗ったぞ! 次はどうすれば良い?」

「じゃあ大根の葉を落として、輪切りに出来ますか。それから皮を剥きますからね」

「わかった!」

 厚いまな板の上に大根を横たえると、瑠璃はすうっと息を吸い込むと一気に包丁を振り上げ、気合と共に大根の首を切り落とす。

「姫様、大根は敵将じゃありませんからね? そんなに気合入れなくて大丈夫ですよ」

「そうなのか……むつかしいのじゃな」

 銃太郎の母・ミテに窘められ、瑠璃はしょぼんと肩を落とした。

 母とは言っても、その人は銃太郎の生母というわけではなかった。

 生母のセンは銃太郎が十二歳の時に亡くなり、その後に貫治が迎えた後添いの妻である。

「ミテ殿も大変じゃな。銃太郎殿も貫治殿もなかなか頑固そうだから、家の中がぎすぎすしたりはせぬか?」

「そうでもありませんよ。二人とも厳めしくて頑固で仏頂面も多いけど、筋の通らないことで怒ったりはしませんもの。姫様もご存知でしょ?」


 

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