第六章 対立の嚆矢(1)
二月も半ばを過ぎ、春の気配が一際濃くなりつつあった。
山々には霞がかかり、松や杉の枝には針のような葉が通年茂るが、木々の様相はまだ冬のそれだ。
吐く息は白く、手足の先が冷たく悴むが、一度木刀を握れば寒さも忽ち吹き飛んだ。
瑠璃は木刀を正眼に構え、対する鳴海もまた正眼に構える。
風は些か強く、二人の髪と袴の裾を弄んだ。
今朝の鳴海の眼光は一際鋭いもので、稽古だというのに微かな殺気すら漂っているように思えてならなかった。
足を
張り詰めた緊張の中、先に痺れを切らしたのは瑠璃のほうであった。
小石混じりの砂を蹴り、一息に駆けて間合いを詰める。
そのまま木刀を払い除けて籠手を狙ったが、鳴海の刀身に逆に弾かれ、均衡を崩したところにその刃が瑠璃の首筋を捉えた。
「……参った」
「………」
降参の声を上げたにも関わらず、鳴海の木刀は一向に離れる気配がない。
「鳴海、私の負けじゃ。これを退け」
更なる声を掛けて漸く、鳴海は木刀を下げた。
この男が奇妙なほどに無口になるのは、あまり良くない兆候だと過去の経験でよく知っていた。
「何かあったのか?」
怪訝に思い尋ねるが、鳴海の面持ちは和らがず、寧ろ一層険しいものになった。
「私は断固反対致しますぞ」
「何の話じゃ」
やっとのことで口を開いたかと思えば、藪から棒に何かを一蹴される。
その様子から察するに相当お怒りの様子だが、よもや未だに砲術を学ぶことに反対しているのだろうか。
「折角上達の見込みが出てきたところなのでな、そなたが反対したところで砲術をやめる気はないぞ?」
「砲術のことではございません! いや、砲術もおやめ頂きたいところですが!」
「じゃあ何のことじゃ」
たっぷり怪訝に鳴海を見上げると、その目はきつく吊り上がり、ぎろりと瑠璃の目を睨み付けた。
本気のお説教が来るかもしれない。と、瑠璃は珍しくひゅっと息を呑む。
「瑠璃様が家臣に降嫁されるなど、以ての外だと申し上げている」
「!? そんな話、誰から聞いたのじゃ」
丹波と瑠璃、そして瑠璃が自らその可能性を話したのは助之丞と銃太郎のみだ。
その中の誰かが、また別の誰かに話せば噂など一気に広まる。
狭隘な谷間に肩を寄せ合うように役宅が並ぶこの城下なら、一日あれば瞬く間に全員の耳に届くことも考えられなくはない。
「それよりも! 若君に添い、次代の藩主夫人となることを厭うわけをお聞かせ願いたい」
「わけ、と言ってもなぁ。だってまだ十三だそうだし……」
じろりと睨め付ける鳴海の目が、だから何だと言いたげに瑠璃を見る。
「今はまだ幼いが、妹たちの誰かと添うほうが若君には都合が良かろう。私からすれば若君はまだ子供だし、若君から見たら私なぞばばあじゃ」
敢えて
が、鳴海の顔が見る間に血の気を登らせ、わなわなと震え出した。
「だっ……誰がばばあだ!! うちのめんげぇ瑠璃様を侮辱するとは若君とて許せぬ! そんな若君はこの鳴海めが成敗してやりましょう!!」
鼻息荒く怒鳴り散らしながら、怒りのやり場を求めるように木刀を振り回し、手当り次第に風を斬る。
「……そなたは結局、色々とどっちなのじゃ」
主張がとっ散らかって、何をどうしたいのかさっぱり要領を得ない。
血の気が多過ぎて時々至極残念なのが玉に瑕だ。
(まあ、それだけ可愛がってくれている証なんだろうがなぁ……)
朝稽古をはじめとして、瑠璃の無茶に長年根気よく付き合ってくれるのは、鳴海くらいなものだろう。
「鳴海は降嫁には反対なのか」
「当然反対ですぞ! 瑠璃様は城にお留まりになるべき方と思えばこそ!」
ぐるりと首を捻り、唾を飛ばしつつ断言する。
「もし仮にどうしても降嫁せねばならんとしたら、誰を推すか訊いてもよいか?」
「よくない! そんな事態になれば大谷家で保護致しますからな!」
一体何から保護しようというのか、鳴海は頑なに降嫁には反対のようだ。
が、これでもし瑠璃が男子であったなら、家臣が保護して擁立しようなど明らかな御家騒動の香りである。
「まあまだ若君に会うたこともなし、そもそも婚礼など挙げてる場合ではない。そのあたりは追々考えるとするよ」
「追々考えたところで降嫁はなりませんからな! あと誰彼かまわず弟子入りするものではございませんぞ!」
「……誰じゃ、そんなことまで告げ口しおったのは」
***
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