第二章 一番弟子(1)
「なに、砲術を学びたい、ですと?」
瑠璃の言葉を鸚鵡返しにした丹波ら重臣たちは、揃って呆れた顔をしていた。
「江戸の父上にもこの通り、文を認めた!」
どん、と書状を突き出した瑠璃に、丹波はがっくりと項垂れた。
「なんとなーく、そんな予感はしておりましたが、瑠璃様……」
「まあまあ、丹波殿。師匠が木村銃太郎だというのならば、これもまた良き経験となろう」
露骨にがっかりする丹波を慰めるように口を挟んだのは、家老・丹羽一学。
番頭から家老へ上がった一学は、武人らしく些か無骨で一見近寄り難いところもあるが、一本筋の通った信頼に足る人物だ。
一学の纏うどっしりとした威厳には、丹波は今少し及ばない。
「私も、一学殿に同意ですな。銃太郎ならまず心配はありますまい。丹羽家は戦国の世より武門の家柄。当時いち早く鉄砲を取り入れた織田家に仕えた家なればこそ! これも御血筋というものでしょうぞ」
と、実に愉しげに言うのは、用人・丹羽新十郎である。
一学と新十郎は共に四十を超え、身分の上では最高位にある丹波も、なかなかに度し難い相手であった。
彼らは共に銃太郎の才能と人柄とを買っているし、この二人に同席を頼んだのは正解であった。
実際、既に丹波も入門を反対する様子は見せていない。
だが、丹波は項垂れていた首をぐりっと捻じるように持ちあげ、瑠璃を一睨みした。
「しかしですな、瑠璃様。大谷鳴海には許可を得たのでございましょうな?」
「は? 鳴海? なぜ鳴海じゃ?」
他の武芸事の稽古をつけてもらってはいるが、砲術に関して鳴海からは一切の手解きを受けていない。
なのに、砲術道場に入門する許可を得る必要がどこにあるのか。
そう尋ねると、丹波はずいと膝を詰め、瑠璃の膝元に扇子を叩きつけた。
「あの過保護万歳な大谷鳴海ですぞ!? 瑠璃様の武芸教授方を、足掛け七年! 七年ですぞ!?」
「だ、だからなんじゃ」
丹波の唾が飛んで来そうで、瑠璃は思わず顔を背ける。
「今更瑠璃様が別の者に弟子入りすると聞いたら、あの男、発狂しますぞ!?」
「ええぇえ、まさかそんなことは……」
ねぇ? と、一学並びに新十郎へ同意を求める。
が、しかし。
「うーむ、大谷か。確かに、あやつは曲者かも知れぬが……」
「発狂はないだろうが、まあ、叫ぶくらいはしそうですな」
「お二方とも、甘うございますな。叫ぶだけで済むはずがない。あやつのことだ、きっと暴れますぞ……」
砲術は全面的に認めてくれる二人の重臣も少々首を捻てしまう程度には、危ぶまれる案件のようだ。
「鳴海がどうだろうと、私は銃太郎どのに砲術を学ぶ! そもそもだ。普通、剣術道場の師匠に、よそで砲術を学ぶ許可をいちいち取るか? 取らぬだろう?」
その一言で、丹波はぐっと押し黙り、恨めしげに一学へ視線を送る。
「丹波殿、そんな眼差しを寄越されても困るのだが」
「一学殿……、普通ならあり得ませぬぞ。仮にも姫君が鉄砲をぶっ放したいなどと……」
すると、その傍らで新十郎が噴き出した。
「ふはっ! これはこれは。姫君に言い負かされておられるようでは、御家老方もまだまだですな」
豪快な笑声を上げ、新十郎は膝を叩く。
新十郎は四十を超えているものの、その快闊な性格も手伝ってか、実年齢よりも若々しく見える。
「まあここは一つ、姫も大谷の日頃の忠勤を顧みてですな。明日の朝稽古のついでにでも、一言報せてやっては如何ですかな? それならば、丹波殿も快く御許可下さろうて」
「し、新十郎殿!? 殿がお許しにならぬうちは──」
「まあまあ、何も戦場へ出るわけではないのだ、良いではないか丹波殿。姫も、そういうことで宜しいかな?」
新十郎にそう言われては仕方あるまい、と、瑠璃も渋々頷く。
確かに鳴海は七年もの長きに亘って、時間を削って瑠璃の稽古に付き合ってくれた師だ。
剣術の稽古はこれからも続けるつもりだし、鳴海の機嫌を損ねるのは瑠璃としても本意ではない。
「わかった。明朝、鳴海にも一応話しておく」
「ふむ、それが宜しいでしょう」
瑠璃が了承すると、新十郎は満足げに笑って頷いた。
***
早朝の寒気は一日の中でも殊更強く、城内を巡る水路にも薄く氷りが張るほどだった。
根雪の上に、昨夜のうちに降ったらしい新雪が薄らと粉のように積っている。
静謐とさえ呼べる朝の静けさの中、木刀が空を切る音が響いた。
素振りに合わせて、せい、やぁ、と声を張る。
零れる息が、辺りの景色を奪うほどに白く流れた。
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