第9話 諦観

 手続きの期限が来た。母親とは依然として連絡が取れない。必要な物は全て揃った。後は行うだけである。この世間でも例を見ないであろう出来事に、しかし、暁夫は冷静であった。自身が常識を外れた壮絶な最期を遂げることになると、予てからどこかで知っていたように思われた。期限まで後二十分を切った。ここは人里離れた田舎であり、振込の時間などを考慮すると、仮に今振込用紙が手元にあっても、もう間に合わないことは確実となった。部屋は静かだった。その静寂を破るなにがしかの報せが来ることを、最早期待してすらいなかった。彼はただそこに存在しているだけだった。


 夜遅く、無機質な音が聞こえた。母親が帰って来たのだ。

「玄大の振込用紙、どこにある? もう期限は過ぎてるんだけど」

「そんなのお母さんが知るわけないじゃない。あなたが無くしたんでしょ」

 母親に悪びれた様子は無かった。更にこう言った。

「それで、東工大の後期はいつあるの????」

 暁夫は一瞬返答に窮した。これは余りの無知ぶりに驚いたためというのも確かにあった。だがそれだけではなかった。何からどのように説明すればこの者でも理解し得るだろうか。この問いの答えを探すのに時間が掛かったためでもあった。

「後期ならもう終わったよ。とっくにね」

 次の瞬間、母親の表情が変わった。「目を皿にする」という表現を現実で見たのは初めてだった。

「なんですって!? それじゃ……それじゃ東工大に行けないじゃないのっ!!」

 特に話すことも無かったから、暁夫は部屋に戻った。今後の成り行きを考えた。ごく近いうちに母親は就職口を探し始めるだろう。今から良いものが見つかるとは思えないが。子供を手放すまいと束縛は益々厳しくなるに違いない。時と共に逃亡は難しくなる。決行を急がなければならぬ。

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