第748話
大地に倒れ伏していたゼウス。その体からは時折パチパチと雷が迸っていたものの、それもまたゼウスの力が死後も残る程に強いものだったと証明する証拠の一つになっていた。
『――――勝った、な』
『あぁ、漸く、だ』
オーディンが近くの瓦礫の上に座り込み、トールは疲れたと叫びながら、大の字になって地面に転がる。
他の神々も似たようなものだ。ゼウスという巨悪との戦いに疲れ、皆が皆思い思いの形で座り込んだり、地面に寝転がっていく。
それもまぁ無理もない話で、居並ぶ神々の大半が大小様々な傷を負っており、中には神でなければ死んでいたような重傷を負っている者もいるのだ。
『カオス様、お怪我は…………』
『この程度でくたばりはしないよ。全く、死に損ないがまた生き延びてしまったか……』
誰が見ても重傷だと答えるような状態でも、ケラケラと笑いを零すカオス。ただ、最後の方は何処となく悲しげなようにも見えていた。
ゼウスの死を以て、この戦争は終結する。後は、重傷を負った神々の治療と、奪われたアマネの力を持つ邪妖精を探し出して討ち取る事だけだ。
『邪妖精の居所はまだ掴めていないのか?』
『各地にある都市や村落、廃棄された要塞なども含めて、虱潰しに探しているそうだ。尤も、その中を調べても手掛かりすら見つかっていないようだがな』
アマネから声や自由を奪った邪妖精達は、余程隠れるのが上手いのか大勢の英霊やモンスター達の追跡や捜索の目から逃れ続けている。
元々、妖精という種族は隠れるのが得意な者が多いのだが、妖精を守護する魔女モルガンやそれに付き従う妖精達が加わって尚見つかっていないらしい。
『神界はどうなのだ?』
『各地の神殿から各々の神が住まう宮殿に手を伸ばしたのだがな。贅を凝らした宝物や財貨ばかりが出てくるばかりらしい』
『そうなのか……』
邪妖精の捜索は暗礁に乗り上げそうになっていた。何処に隠れたのかが分かればいいのだが、生憎とそういった情報を知っていそうな輩は大半が屠られている。
まぁ、向こうから従うものかと刃を向けて敵対したのだ。降伏しないのであれば、その命を刈り取り処するのも当然のこと。
『猶予はまだある筈だ。アマネの精神が狂う前に、邪妖精共を処してあの姿から解放せねば……』
『――――ハデス神! 居所がわかったぞ! ゼウスが使っているキビシスの中に隠れている!』
『……そうか! ゼウスが財布として使っているが、アレは謂わば界と界を隔絶するアイテムボックスだったな!』
嘗てペルセウスが持っていたキビシスという革袋。メドゥーサの首を入れるために作られたその袋は、内と外で世界を隔絶し、ありとあらゆる探知も影響も切り離す事が出来る。
邪妖精はその革袋の中に入ることで世界からその身を隠し、気配の欠片一つさえ顕にせず閉じ籠もっているのだろう。
キビシスの内部がどうなっているかは知らないが、星一つ中に仕舞うことが出来ると言われている。邪妖精三人など、入り込まれたら中に居ることすら分からなくなるのも無理はない。
『となると、ゼウスの神殿を漁るのがいいのか』
『そうだな。キビシスがあるとしたら寝所か金庫か――――』
『財布なんだから肌身離さず持ってるに決まってるだろう、馬鹿共が』
ズンッ、と体が潰れそうな程の重圧が全身にのしかかってくる。
全員が、思わず地に倒れ伏した男の亡骸に目を向ける。確実に、あの男は息絶えていた筈だ。
パチパチと雷が弾ける亡骸。だが、その雷は静まるどころか荒々しく弾け始め、徐々に亡骸が雷に変わって解れ消えていく。
『オイオイ……何処を見とるんだ、何処を』
重厚な声が聞こえる方向を、全員がゆっくりと顔を上げて『それ』を見上げる。
――――空に浮かぶのは、世界を隠す程の巨体となったゼウスの姿。
恐らく雷自体がその体を形作っているのだろう。バチバチと弾け続けるゼウスは、金に輝く目で世界を上から見下ろしていた。
『な、何故、生きている…………!?』
ハデスの言葉こそ、その場にいた全員が抱いたもの。ゼウスは、確かにロンギヌスの槍を胸に受けて死んでいた。
『さてなぁ~? 言えるとしたら、親父の作っていた林檎は実に甘美だった。それだけだなぁ?』
『林檎……ッ!?』
ゼウスのその言葉に、ハデスの顔が驚愕と共に青褪める。クロノスが作っていた林檎など、彼の心当たりには一つしか思い当たる代物がない。
『貴様ッ!? まさか、父が作りし【黄金の林檎】を食らったというのか!?』
クロノスが育てた『黄金の林檎』とは、アンブロシアを実らせる黄金樹。それを農耕神の力を使って育んだことにより生まれた、一番最初の林檎。
種を残すことなど滅多にないアンブロシアを初めて実らせたクロノスは、その林檎が有する力を危険視して、もし悪意ある者がこの林檎の木を狙ったとしたら、すぐにその木を焼くように命じていた。
『馬鹿な……ッ!? アンブロシアの原種は、クロノスが育てたあの木は私が燃やした筈……!』
『木は確かに燃えていたなぁ、プロメテウス』
勿論、その木の最後を見たのもプロメテウスという神がいる以上嘘ではない。原種は、アトラスが隠したあの若木一つしか残っていないのだ。
『ククッ! わざわざ、アダムとイヴを唆した甲斐があった!』
『……まさか、あの騒動の際に!?』
『あぁ、そうだとも! 我の知恵が、アダムとイヴを動かす実を作り出してくれたのだ!』
嘗て、神界に生えるアンブロシアを食べたアダムとイヴ。門外不出であるそれを食べた事は当時大きな問題となり、神の世と人の世を分ける切っ掛けとなっていた。
だが、その際にゼウスはヒッソリとクロノスが隠していた黄金の林檎を喰らい、そしてその効能を全身に蓄えたのだ。
『黄金の林檎の持つ不老不死の力は実に素晴らしいなぁ! お陰で、肉体という軛から我が身は解放されたのだから!』
死を超越し、世界を見下ろしながら悍ましい程の笑みを浮かべるゼウス。その表情からは、隠し切れぬ程の狂気が満ちていた。
『さて、詰まらぬ話はこれで終いだ。我は最高神として、貴様らに審判を下す』
笑みを隠したゼウスは、その右手に巨大な雷槍を生み出して、徐々に世界から離れていく。
何をするか、その手に持った雷槍を見れば誰もがすぐに理解できた。
『最初からこうしておけばよかったのだ。古臭い爺共が作った世界など、残す必要はなかった』
槍を大きく振り被るゼウス。ケラウノスが青白い雷光を瞬かせ、地上から見上げる全ての生命にその圧倒的な絶望を見せつけ――――
――――誰もが、世界の終焉をその槍に見た。
『――――それは困るな。この世界は、未だ色褪せぬ希望に満ちているのだから』
空に、白き門が開かれる。世界とゼウスの間に立ち塞がる門は、宮殿の主をゆっくりと送り出した。
『我が前に、まだ立ち塞がるゴミがいたか!!!』
ゼウスにとって、もはや他の生命など塵芥に等しい些末なもの。宮殿の主を前にして尚、ゼウスはその神をゴミだと、節穴になった目で見て言い放った。
『我が一時の無聊を払いし歌姫の為に、この物語の終わりを紡ごう』
宮殿の主は、その宇宙のような髪を風に揺らしながら、少年が着るような王子服を身に纏い、閉じられた目でゼウスの姿を捉える。
『数多の生命育みし世界よ! 今この時を以て汝らは自由を手に入れる!』
後ろ手に組んでいた手をゆっくりと横に伸ばす宮殿の主。それはまるで、ゼウスの雷槍の盾になるような雰囲気を満たしていた。
『悪神ゼウスよ! この世に覇を唱えんと画策せし、強欲にして傲慢なる神よ! 汝の罪は今この時を以て精算される!』
背後に控える神父が宮殿の主の言葉に歓喜し、跪いて主に祈りを捧げる。
『さぁ、黎明の時は来た! 夢見る者達よ! その眼を開き、新しき夜明けの日を見届けよ!』
主の言葉に合わせ、門から現れた蕃神達が笛や太鼓を手に取り、嘗て無い程の音色でその時を言祝ぐ。
『全ての悪意はこの時を以て終焉を迎える! 絶望は胡蝶の夢として! そして、全ては我が一時の悪夢として!』
『――――失せろ!!! 我こそが、全ての支配者、ゼウスなのだッ!!!!!』
ゼウスの雷槍が放たれ、世界を穿ち滅ぼさんと前へ突き進む。
ただ、それよりも早く、宮殿の主はその言葉を紡ぎ――――
『【博智の魔皇】の夢として――――泡沫の彼方に、疾く消えよ!』
――――閉じられた目が、ゼウスを視認する。
その瞬間、迫る雷槍が歪み弾けて、そしてゼウスの身体さえも同じように狂わせて消えていく。
『――――ヒッ!? ば、馬鹿な!? 我は、不老不死の存在ッ!?』
『確かに汝は不老不死――――されど、不滅の存在ではないのだよ!!!』
魔皇の目が全てを否定する。己が見た夢として、ゼウスの体は夢幻の中へと消えていく。
『――――い、嫌だ!? 我は、我はまだ、こんなところで滅びるわけにはッ!?』
ゼウスの手が恐怖によって振り乱され、表情には恐怖だけでなく絶望さえ混ざりあって浮かび上がる。
来たるべき終わりが、ゼウスを包みこんでその身体を歪みの果て。
『――――さらばだ。この世全ての悪の化身よ』
――――ヒッ、ヒィァァァァァァァァ………………!
ゼウスは消える。魔皇の夢として、誰も知らぬ虚空の中へ。
――――その悲鳴さえも、ゆっくりと虚空の中へと溶け出していった。
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