第712話

 運営が衝撃の事実に絶叫している間にも、世界は止まることなく動き続けている。


『ハデス。タルタロスの門が開いたのですか?』


『開いた……いや、壊されたというのが正しいのかもしれない』


 ハデスが持っていた鍵はタルタロスの門が存在している時に使える代物で、開けたり閉めたりする際にはその鍵が必要になる。


 それが壊れたということは、タルタロスに存在している門自体が壊れて消え去ったのだとも言えるのだ。


『……タルタロスの門を壊せるような神となると、テュポーン神しか思い当たらないな』


『というか、ホントにテュポーンが力技でぶっ壊したんじゃないの?』


『……その可能性が一番高いな』


 離反したハデスとアポロン、アルテミスの会話は、タルタロスの門を壊した犯人をしっかりと特定出来ていたが、今はそんな事はどうでもいい。


『ヘパイストス! 武器の備蓄は!?』


『……不足分は無い。既にマルテニカのユピテルに預けている故、門から出た神々に配給すれば良かろう』


 鍛冶神ヘパイストスの作りし武器の数々は、タルタロスから解放されたティターン神族の者達に大きな力を与えるだろう。


『彼らに振る舞う兵糧も確保してあります。尤も、この勢いであればそれも然程使うことはないでしょう』


『……封印の解除は出来てる。というか、勝手に封印吹っ飛ばして、全員どっかに行ってるよ』


 豊穣神であるデメテルは糧秣を、炉の女神にして家庭を守る女神であるヘスティアは、各地の封印を解く役目を担っていた。


 尤も、前者は兎も角後者に関しては解くより先に壊されたことで、役目自体が有名無実となってしまったようだが。


『ホント、慣れないことはするものじゃないね。秩序を司るとか言っておきながら、結局帝国を御し切れなかったんだしさ』


『いいえ、違います。帝国を傾けたのは、偏に我々オリュンポスの神々が堕落していたからこそ起きてしまったことなのです』


 悲しげな表情を浮かばせているデメテルの言う通り、本を正せば我々が力不足で止める言葉も持ち得ず、それを理由に何もしなかったからこそ今の戦を起こすに至った。


 勿論、それが悪いことではないと理解はしている。歪んだ帝国を正すには、最早その命脈自体を絶って一から作り直すしかないのだ。


 だが、もっと早く動いていれば。父上が存命のうちに、ゼウスの本心を暴くことが出来ていれば……


『ハデス様。悔いることは後に。今はこの流れに乗り、我々の手で終止符を討たねばなりません』


『……あぁ、アポロンの言う通りだ。我らはマルテニカに降りるぞ!』


 こうして、我らも戦に出る為にマルテニカの西端に降りる。ティターン神族と共に、まずはマルテニカを己の物と詐称するヘラを討ち取らねばならぬからな!





 マルテニカの西端、人里見当たらぬ端の地に降り立てば、タルタロスから脱した神々が続々と海から陸へと上がっていく姿が見えた。


 武器を渡しているのは、ユピテルに連なるサトゥルヌスやミネルヴァ、メルクリウスやネプチューンだ。


『ユピテル!』


『おぉ、ハデス! テュポーン神がタルタロスの門を吹き飛ばしていったぞ!』


 ユピテルの下へ駆け寄れば、タルタロスの門を壊した者が誰かを教えてくれた。やはり、テュポーンが壊していったのか……


『タルタロス内に影響は?』


『問題無いな。寧ろ、中に閉じ込められていた連中にとってはいい目覚ましになったようだ』


 ぞろぞろと海から上がってくるティターン神族の者達は、戦える者から順に武器を受け取って、鎧兜は必要な者だけが身に着けるようになっていた。


『……存外、戦えぬ神の方が多いな』


『さもありなん。戦える神の多くは既にゼウスらの手により大半が討ち取られている。残っているのは、重傷を負った者かありもしない罪で投獄された生き残りくらいなものだ』


 残るティターン神族の為にゼウスについたエピメテウスなど、タルタロスに投獄された神で戦える神はごく僅か。


 大半はティターン神族の女神ばかりであるし、そうでない神も嘗ての戦いの傷が癒えきらぬ状態で外に出てきている。


『ようやっと自由になれたか……オイ! ゼウスの野郎は向こうにいるんだよな!?』


『そうだ、ヘカトンケイル。必要なら石でも鉄球でも用意してやる。故に、その膂力を十分に発揮してくれよ?』


『当然だ! 監視っつってタルタロスに閉じ込めたゼウスのやつに目に物見せてやろうじゃねぇか!』


 ただ、幸いなのはゼウスに味方していたヘカトンケイルが、今回は我々の味方として参戦してくれることだろう。


 ティタノマキアの折にはゼウス側としてティターン神族を追い詰めたヘカトンケイルも、ゼウスの甘言で幽閉される目に合えば味方する気も起きないというもの。


 既にその手には海底から拾い上げたのか、山のように大きな岩礁を幾つも握っており、百ある腕は絶えることなく敵にそれを投げつけると容易に想像ができた。


『コットス、ブリアレオス、ギュゲス。投擲はお前達に任せる。俺は、この手で直接ゼウスの首を斬り落としてやる!』


『おぉ、兄者! ご無事だったのですね!!!』


『俺もいるぞ、エピメテウス!』


 士気の高さは疎らなティターン神族も、先に窮地を脱していたプロメテウスと、地中より姿を現したアトラスが加わったことで、一気に彼らの士気が高まる。


 プロメテウスの手には両刃の大剣、アトラスは分厚い手甲を装備しており、何故かアトラスに関しては巨大な山を担いで現れている。


『コイツぁゼウスの奴が仕込んだ山でな! 今までの借りを全部乗っけて、アイツの顔面にぶつけてやろうって思って持ってきたんだ!』


『……持ってくるのはいいが、あまり地形を変えるなよ? 帝国の領土は仕方無いが、この地や他国の地を荒らすと後に響く』


『問題ねぇよ! そうなることも含めて、アマネの嬢ちゃんの伝手を頼らせてもらったからな!』


 アマネが関わっているのなら問題は無いのだろうが、投げる場所次第で周囲の被害も馬鹿にはならないだろう。


 それだけは理解して欲しいところなのだが……まぁ、場の流れに祈るしか無いな。


 と、そんな事を考えていると、北西にある竜の領域から、何百もの竜が帝国に向かって飛んでいる姿が見える。


『む……先頭にいるのは、もしや!』


 その先頭の龍に心当たりがあり、こちらで大きく手を振って合図すれば、こちらに気付いた竜の集団が進行方向を変えて集まり始めた。


『ハデス! こうして顔を合わせるのは久しいな!』


『ガルグイユ老、お久しゅうございます! 御老公も、帝国に向かっているのですか?』


『おう! 既にファフニールのやつは住処から帝国に一直線でな! 儂がこの辺りの竜を率いて、東にいる天使や端の神をぶっ潰すつもりだ!』


 古代龍であるガルグイユ曰く、竜の島から東に進む集団と、竜の島から海上を渡って西側から帝国を攻める集団とで二手に別れたそうだ。


 また、他の古代龍も続々と己の領域から動き始めており、傘下の亜竜種も含めれば千を超えて万に至るくらいの竜が、帝国を目指して移動することになるらしい。


『帝国のど真ん中にゃぁ、既に派手な攻撃がぶっ放されたみてぇだがよ。仮にゼウスがいたとしても、それで死んでる気がしねぇ』


『御老公の言う通りです。ゼウスは狡猾で、生き残る事に徹すれば恐らくどんな攻撃であっても耐え忍ぶか隠れ潜むくらいのことはやってのけるでしょう』


 何せ、己の奸計を実行に移すまで悟らせなかったような神なのだ。もし帝国に強力な一撃が放たれたとしても、それでくたばるような生命力を持ち合わせているとは思えない。


『マルテニカを我が物と詐称するヘラを討ち取る。まずはそれを第一と致しましょう』


『ゼウスはファフニールが抑えるだろう。それまでにヘラとやらを潰して、とっとと助けに行ってやらんとな』


 西に進んでも東に進んでも、帝国に近くなれば天使達の守りも厚くなるだろう。穏健派を離脱させることが出来れば、無駄に討ち取る首の数も減らせるのだが……


「ハデス様! 万事恙無く終わりました!」


『おぉ、アスモデウス! ということは、穏健派は戦場から姿を消したか!!!』


「はい! キューピット達を筆頭に、穏健派の離反に成功致しました! 戦場に残るのは、既に堕落したかゼウスらに未だ忠誠を誓うものだけです!」


 色欲の悪魔とされているアスモデウス。実名こそ出していないものの、そのような存在がいると匂わせたことで、存在しない悪魔の影を追っていた事は知っている。


 何せ、アスモデウスの正体はルシファーの配下であった女天使なのだ。流言と虚言で偽の悪魔の存在を作り出すように指示を出したのも私であるし、それに上手く踊らされていることに笑いを堪えたことも少なくはない。


『ルシファーもゼウス討滅の際には戦場に出る! アスモデウスは、穏健派の天使達の指揮を頼むぞ!』


「承知致しました! ハデス様、御武運を!」








――――待っていろ、ゼウス! 今、お前に引導を渡してやる!!!

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