わたしはあなたが好きだけど

六条菜々子

第1話 出会い

「もう、間に合わないよね……」


 学校の最寄りにある電車が運転見合わせになり、私は時間に間に合うことはなかった。目の前が真っ暗になってしまい、飛んでいるカラスの鳴き声があたりに響いていた。


 父が亡くなった。その一報が届いたのは、ついこのあいだのことだった。死因は交通事故とのことで、その連絡があったあとも、私にはピンとこなかった。なぜなら、父とはもう数年会っていなかったからである。

 母と二人暮らしをしている私は、以前から父のいない生活は当たり前で、ごく普通のことだった。それによって母を責めたことはなかったし、苦しむこともなかった。そして、母から父の話を聞くことは片手で数えるほどしかなく、父がいない理由が離婚だということも、最近になって知った。

 もはや記憶にすら残っていない実の父親。その人が、亡くなった。


 葬儀に間に合わず、記憶に残っていない父の顔は、これで永遠に見れなくなってしまった。


 残念というか、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。お金をかけてでもタクシーで向かうべきだったかとか、なぜ電車が遅れてしまったのかとか。今更考えたところでどうにかなるようなものではないことばかり、頭の中を駆け巡っていた。


「お母さん? うん、本当にごめんなさい。間に合わなかった」


 葬儀場にいる母に、謝罪の電話をした。長居をするつもりはなかったようで、すでに少し離れたところにいるらしい。


「じゃあ、また連絡するね」


 ため息を吐くしかない私は、葬儀場の最寄り駅ではなく、その隣の駅で下車していた。近くまで行くと、親戚に会ってしまうだろうと思ったからだ。私と父の関係を考えると、あまり会いたくはなかった。そもそも、交流がほとんどないので、顔を覚えられているかは怪しいけれど。


 駅から歩いて数十分。気分を紛らわせるために河川敷付近を歩いていると、公園を見つけた。その中に男の子の姿が見えたので、きっと遊んでいるのだろうと思ったけれど、どうやら様子がおかしい。というのも、じっと見ていると涙を流しながら座っていたのである。

 お節介かもしれないけれど、悲しんでいる子を放っておくことはできなかった。風が通り過ぎていくなか、私は男の子へ近づいてみることにした。


「どうしちゃったの、大丈夫?」


 見知らぬ男の子は、私の服を見て固まっていた。そりゃそうだよね。突然年上の知らない人に声をかけられたら、私でも怖いもの。


「大丈夫です……」


 聞き方が悪かったとすぐに反省した。悲しいときに大丈夫かと聞かれたとしても、反射的に大丈夫と答えてしまうだろう。こんなに辛そうにしているのに、大丈夫なわけないじゃないか。


「じゃないよね? そんなに泣いてたら、目の周りが真っ赤になっちゃうよ」


 そっと、男の子の頭を撫でた。包み込むように、ゆっくりと力をできるだけ入れずに、何度か繰り返した。自分が悲しいとき、誰かが頭を撫でてくれるだけで、少しは気が休まる。思い込みにすぎないけれど、これで少しは気分が軽くなると信じたい。


「私の言い方がよくなかったよね。大丈夫なんて言わなくていいから…ね?」

「はい……ごめんなさい。なかなか泣き止めなくて」


 自分が辛い状況なのに、私のことを気遣える気持ちが、すごく嬉しかった。


「いいのよ。大丈夫、お姉さんがいるからね」


 きっと、よっぽど辛いことがあったに違いない。それが何なのかを知ることはできないけれど、こうしてそばにいることはできる。それに、なぜかこの子のことを他人とは思えなかった。どこかで会ったことがあるのかな。


「お姉さん」

「どうしたの?」

「俺と会うのは、初めてだよね」


 男の子もなにかが引っ掛かっているのか、不思議な質問をしてきた。もっと考えてみるけれど、思い当たる人はいない。


「……初めてだと思う。間違ってたらごめんね」


 自信はないけれど、そう答えるしかなかった。ここで変に二回目だと思う、なんて答えてしまうと、あらぬ方向へ話が進んでしまうかもしれない。嘘はつく必要がない。


「ううん。ありがとう」

「いいのよ。私、たまたま来た公園で泣いている男の子を見かけて見捨てるほど、冷たい人じゃないから」

「なんでそんなに優しくしてくれるの?」

「え? 理由なんてないけど、冷たくする必要もないじゃない?」


 難しいことを聞く子だな。周りの人たちは、あまり優しくしてくれないのだろうか。少し人間不信になっているのかな。


「そういうものなのかな」


 見知らぬ人であっても、困っているなら助けてあげなさいと教えられてきた私にとって、これが特別なこととは思えなくて。この子が不思議がっていることが理解できなかった。どうしてもというなら、自分のことを話してみれば、少しは信用してくれるかな。


「今日ね、私の高校の創立記念日なの。だから、一日休みでね。そのことをすっかり忘れてて、電車に乗る直前に気づいて。せっかく準備したし、このまま知らないところに行ってみようと思って、ここまで来たんだよね」


 ほとんど嘘だった。ここで葬式に間に合わなかったから、ここまで来た、なんて言ったら困らせるだけ。


「そういうことか。だから見たことない制服なんだ」


 通っている高校のセーラー服を、私は着ていた。ここからだと距離があるので、知らなくても無理はないと思う。


「うん。もう帰ろうかなって思ってたら、あなたがいたのよ。声をかけるつもりはなかったんだけど、泣いてるように見えてね。近づいてみたら、やっぱり泣いていて。心配になって声をかけちゃった」


 偶然見かけたのは本当だ。河川敷まで来ていなければ、ここで会うこともなかったはず。


「私、林原加奈はやしばらかなっていうの。一応、高校生だよ。あなたは?」

「俺は、大垣飛鳥おおがきあすかです。中学生です」

「急にかしこまっちゃって、どうしたの。年上だと思わなかった?」

「いや、そういうわけじゃないんですけど。俺、高校生の人と話してるんだって思って」


 敬語に変わったのがなんだか面白く思えてしまい、私は少し笑ってしまった。本当に、年上だと思われていなかったのかな。


「なにそれ。面白いね、大垣くん」

「林原さんも、面白いお姉さんです」

「加奈、でいいよ」


 そう伝えると、大垣くんは顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。思っていることが、すぐに顔に出るタイプみたいだ。


「いきなりそれは恥ずかしいです」

「じゃあ、私から言うね。飛鳥くん」

「えっと」


 ここでひくわけにはいかない。頑張って仲良くなって、いつかこれを笑い話にしたかった。泣くほど辛かったことを、少しでも薄くさせたかった。そんなちっぽけな願いのために、私は必死になっていた。


「…加奈お姉さん?」

「なんで疑問形で私のことを呼ぶのよ」

「自信がなくて」

「呼び捨てでもよかったのに」


 次第に周りが赤く染まっていき、公園に吹く風が冷たくなっていくのを肌で感じていた。寒さに耐えきれず、手元を見ると小刻みに震えていた。

 もう夜になってしまったので、帰ろうと思い、鞄を持って立ち上がった。それに合わせるように、飛鳥くんも立ち上がった。横目で彼のことを見てみると、背が私よりも小さかった。きっと、これから伸びていくんだろうなあ。


「加奈お姉さん」

「なに?」

「きっと、また会えるよね」


 それは、きっと叶うことのない約束。しかし、この世に運命というものがあるのなら、また会えるかもしれない。どんなかたちになるか、いつになるのか、そんなことは分からないけれど。


「偶然が重なって、今日は会えたもんね。飛鳥くんとは、また会える気がする」

「うん。ありがとう」



 公園を出たあと、私たちは近くの駅まで歩いて向かった。寒さに耐えられなかった私は、少しでも温まろうと思い、飛鳥くんに手を繋ごうと提案した。快く受け入れてくれたのはよかったものの、彼もまた手が冷たかった。

 段々と熱を帯びて汗をかいていることに気づいた。だが、また本調子ではなさそうな彼のことを一人にはできず、駅に到着するまで手を離すことはなかった。

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