2章「過去」


 ①



 翌日。いつも土日はお昼まで寝ていることが多いのだが、今日は珍しく午前中に目が覚めた。まだ朝の9時だと目覚まし時計が示している。昨日は帰宅後すぐに眠ってしまったので目覚めは凄く最高だ。


休日の早起きもたまにはいいなと思いつつ、今日も家でゴロゴロして適当に過ごそうと考えながらリビングへ入ると、そこには朝食を済ませた妹がテレビを見ていた。現在は中学2年生なのだが、私と違って性格はしっかりしていて容姿も似ていない。そのせいで私がぐうたらなばかりに見下されているんじゃないかと思うことがあり、姉妹仲良く会話をすることも滅多にない。こうして自宅でバッタリ会うのもご無沙汰だ。ちなみにこいつも陸上部に所属している。


 「あれ、お姉ちゃん。おはよう、いつも寝ているのに今日は早いね」

 「あぁ、おはよう。昨日は早く寝たからね~」

 「ふーん」


妹と会話したのは久しぶりなので、どうやって話せばいいかわからなかった。だが、よくよく考えたら私は姉だ。何を身構えたり萎縮する必要があるのだと自分自身に言い聞かせた後、少し深呼吸をしながら冷静を保つことにした。


 「家にいるなんて珍しいね、今日は部活休みなの?」

 「うん、顧問が今日用事があるとかで休みになったんだよ」

 「そうなんだ、そういえばお父さんとお母さんは?」

 「2人とも出かけてる。朝ごはんは家にあるもの適当に食べてだって」

 「ふーん、わかった」


 2人とも何処へ出かけたのか知らないけど、興味がなかったので適当に相槌をしておいた。私の父はごく普通のサラリーマン、母はパートとして勤めていることが多いので、妹同様仲良く会話をする機会は滅多にない。不仲という訳ではないが、いつしか両親は放任主義に変わっていた。


 「そういえば、お姉ちゃん。東先輩のこと覚えてる?」

 「東先輩?」


朝食の準備をしようとしたら、妹が突然話しかけてきたので私はキョトンとしてしまう。はてさて、東先輩とは一体誰のことだろう?思わず首をかしげた。


 「え、忘れちゃったの?中学のとき、お姉ちゃんと凄く仲良かったじゃん」

 「そうだったっけ?」


全くもって思い出せない。1年前までの私にそんな親友をがいたのか。高校に入って半年経つが今の生活に馴染みすぎて忘れてしまった。これでは姉としての威厳がゼロだ。馬鹿な姉だと思われないうちに頑張って思い出さなければ。


 「今でも有名だよ、去年まで陸上部に東先輩とお姉ちゃんの2人が凄かったって。あまりの仲の良さに一部から付き合ってるんじゃないかって噂もあったし、今でもみんなから根掘り葉掘り聞かれて大変なんだからね!」


 「そんな私に愚痴られても...まぁいいや。というか、名字だけじゃわからないからフルネームで言ってよ。思い出すかもしれないからさ」


 「東ことか先輩。まったく、お姉ちゃん陸上部で有名人だったこと自覚してほしいよ...私までめんどくさいんだからね。しかも友達の名前忘れるとかありえないし」


 「それは面目ない...」


いつになく妹は饒舌だった。私は返す言葉がなく謝ることしかできない。だが、『ことか』という下の名前を聞いて私はすぐに彼女のことを思い出すことができた。


 「あー、ことかかー!!思い出したよ」

 「ほんと、お姉ちゃん忘れっぽいんだから...てか、いきなり大声あげないでよ。びっくりしたじゃん」

 「あんたが下の名前を言わないからでしょ、でもありがとね」


妹のため息を無視して、ことかのことを大体思い出してきた。彼女は中学のとき、偶然にも3年間クラスと部活が同じで出席番号も近いことから、私にとって数少ない友人だった。親しかったのに忘れるなよと言われそうだが、やっぱり私は他人の顔と名前を覚えることが苦手なんだと改めて痛感した。中学校卒業後は一度も会っていないので懐かしかった。


 「で、ことかがどうしたって?」

 「昨日、部員の子に聞いた話なんだけど、明日うちの中学校に来るみたいなんだって。顧問の話だと久しぶりに中学校へ行きたくなったとか」


 「ほう、それは興味深いな」

 「お姉ちゃんも来たら?かつての陸上部エースだったはずが、こうしてダラダラ過ごしてるなんて聞いたらきっと悲しむよ。それに妹としても恥ずかしいし」


 「余計なお世話だ...」


妹からまた辛辣な言葉を受ける。そういえば、ことかもこんな感じの毒舌家だったな。まったく、何故私の周りはこうも毒舌家が多いんだよ。乾さんを見習えと言いたい。彼女の優しさは本当にありがたい。にしても、明日中学校に行けばことかに会えるのか。あいつはいま何をしているのか物凄く気になるので、凄く楽しみになってきた。


 「(そういえば、昨日のショッピングモールで会った子も同じことを言ってたなぁ。その子についても聞いてみるか)」


ことかは私と違って人間関係を築くのがうまく学校の成績もよかったため、周りから優等生扱いされていた。彼女ならきっと知っているだろう。


 「わかった。私も明日行くことにするよ。多分顧問に会いに行くってことは練習時間の時だと思うから、なるべくその時間に行くことにする。明日は何時からやるの?」


 「朝の7時」

 「うわ、早っ...」


ことかと会える嬉しさよりも、寝坊するんじゃないかという不安が募ってきた。いつも休日は昼まで寝ている私がすぐに朝早く起きられるのだろうか。まぁ何とかなるだろう。



 

 ②




 朝食後、歯磨きと顔洗いを済ませて自室に戻るとまたベッドへ寝転んだ。パソコンをつけて動画やお気に入りのサイトを見ようか、それともゲームをしようか悩んだのだけど、リビングで先程の妹の話を聞いていたら気が変わってしまった。


 「明日ことかと久しぶりに会えるのか...」


私はことかと出会ったときのことを思い出す。出会いは中学1年生の時だった。








 中学入学後の私は友達作りに失敗してしまい、ひとりぼっちだった。なぜなら、小学校卒業後に親の仕事の都合上遠いところへ引っ越しが決まり、人間関係や環境すべてがリセットされてしまったからである。高校ならともかく、公立中学校の場合は近くの小学校がそのまま集まって進学をするので、人間関係は既に出来上がっているようなものだった。この頃から友人と呼べる友人がいなかった私からすれば、そんな環境で友人を作れというのは非常にハードルの高い話だ。


そんな状態で迎えたゴールデンウィーク前の体育の授業で、50メートル走のタイム測ることになった。体育教師の指示により出席番号順で走ることになったのだが、私の名字は『小田原』なので早く終わってしまい、そのあと暇になることに気がついた。後ろのワイワイした声を聞きながら心の中でため息をつきたくなる。ところが、出席番号1番が走り終えた途端に周囲からどよめきが起きた。どうやら、出席番号1番の人がいきなり高記録を生み出したみたいである。


どんな奴かと思って見てみると、その人が『東 ことか』だった。顔と名前を覚えるのが苦手な私でも彼女のことは覚えていた。出席番号が私と近いうえに、黒髪ショートでスタイルも良く勉強もできる人でクラスからは有名だった。彼女もクラスメイトと仲良く話しているところを見たことがないので、おそらく私と同じで遠い学校から引越しできたのだろう。


それ以外にも、顔がつり目で怖いのもあったと思うが、肝心な性格と言えば無愛想で表情1つも変えないうえに、何やらクラスメイトを下に見ている様子が目立った。いかにも話しかけるなという態度が滲み出ている。このことがきっかけで周囲から腫れ物のような扱いを受け、近付く人はいない。転校生同士という理由で少しは仲良くなれるのではないかと思ったが、期待虚しくお互いひとりぼっちになってしまった。


だから、こうして好記録を作ってもどよめきは起こるが誰も近付こうとはしない。彼女も『こんなの出来て当然』とばかりに相変わらず無表情のまま全員が走り終えるのを待っている。実にプライドが高くて可愛くないやつだ。


 そうこうしている間に、ことかの次は私だったので準備をすることにした。にしても前の人が好記録を作り出すなんて物凄く走りにくい。良い迷惑だなぁと思った直後、私はことかの記録をあっさり抜いてしまった。今度は私の存在が大きくなってしまったのである。元々足には自信があったけど、まさか記録をあっさり抜いてしまうとは思わず私自身でも驚きを隠せない。クラスメイト達がいる場所へ振り返るとやはり注目を浴びられていた。正直恥ずかしいからやめてほしい...。


逃げるようにその場を離れようとしたが、周りを見ていなかったせいで気が付くと私はことかの近くにいた。彼女も驚きを隠せなかったみたいでずっと私を凝視している。あの、ハッキリ言って怖いんですけど。


逃げたい気持ちでいっぱいだったが、ここで離れるのもかえって怪しまれそうだったので気まずい状態のまま、ことかの近くにいることにした。何か絡まれそうで嫌だなと思ったが、期待虚しくことかは話しかけてきた。思わず身構えそうになる。


 「あなた、小田原一姫ね」

 「は、はい。そうですけど...」


無表情で声をかけてきたものだから怖い。思わず敬語で返事をしてしまう。てか私に何の用なのさ。


 「次は絶対負けないから」


と一言だけ言い放つと私に背中を向けてその場を去ってしまった。あれ、言いたかったことはそれだけ?もっと色々突っかかってくるのかと思っていたので、思わずキョトンとしてしまう。というか、これってライバル視されたやつだよな?彼女はもしかして負けず嫌いなのではないかと疑うようになりはじめたのである。




 クラスの半分以上が走り終えると、待機列の人数が増え始め賑やかになった。今もなお、クラス(女子限定)で私の記録は誰にも抜かれることなく1位をキープしていた。その後、私は数人から色々話しかけられたり質問責めをされた。何処の小学校だったのかとか、部活は何をやっていたのかなどと聞かれた内容は大したことではなかったので、適当に返事をしてやり過ごした。1人で待っている時よりもあっという間に時間は過ぎ、全員走り終えたと同時にチャイムが鳴った。


 授業が終えて教室へ戻り、制服に着替え終えると担任の教師がやってきてホームルームをはじめた。そういえば、さっきの体育は6時限目だったかと思いながら適当に担任の話を聞いていると下校の時間を迎えた。今日も無事に終わってよかったと思いつつ、私は鞄をもって帰ろうとした時である。


 「小田原」

 

後ろから名前を呼ばれたので振り向くと後ろにことかが立っていた。先ほどとは違う微笑んだ表情を見せている。非常に珍しいのだが不気味である。


 「ど、どうしたんです...?」

 「また明日ね」

 「あ、はい。また明日...」


普段、無愛想なはずのことかがいきなり微笑みながら挨拶をしてきたので驚いた。意外な一面である。彼女は颯爽と教室を去ったが、私はずっとことかの背中を見つめることしかできなかった。何故私にだけなのかと疑問に思っていると担任がひょっこりとやってきた。


 「小田原、明日まで先生のところへ部活の入部届けを提出しろよ。未提出なのはお前だけだからな」

 「は、はい。すみません...」


注意を受けて思い出したのだが、ここの中学校の部活動は必ず何処かへ入部しなければならないという謎の規則があった。帰宅部希望だった私からすれば、かなり面倒くさいことである。明日までに提出なのは5月の連休明けには仮入部として参加しないといけないため、この時間帯に下校できるのは残り僅かだと考えると憂鬱になってきた。


 「(しょうがない、適当に決めるか...)」


私は人が少なくなった教室で独りため息をついた後、ゆっくり帰ることにした。ちなみに入部した部活は陸上部である。理由はただ単に顧問が優しそうで、練習が緩そうなのと走るのには自信があったからである。




 ③ 




 連休明け。今日は陸上部の練習初日である。グラウンドで待機していると、そこにことかの姿も見えたので彼女も陸上部に入部希望だということがわかった。私と目が合うとことかが話しかけてきた。


 「あら、小田原も陸上部だったのね」

 「奇遇ですね、東さんも同じだなんて」


私がいて嬉しかったらしく微笑んでいた。当時はまだ一言二言しか会話を交わしていなかったのに、どういう訳か自然と親しい関係になっていた。最初は怖い人かと思っていたが、微笑む顔を見ると可愛い。もっと愛想が良ければいいのに。そういえば言い忘れていたけど、私はこの頃、ことかを『東さん』と呼んでいたんだった。


 「あ、それと私に敬語を使わなくていいわよ、よそよそしいのはあまり好きじゃないからね。馴れ馴れしいのも嫌だけど」

 「え、あぁ...わかった」

 「部活ではあんたなんかに負けないわよ」

 「そ、そうですか」

 「また敬語になってる」

 「あぁ、ごめん...」


何だか調子が狂う。ことか成りのコミュニケーションだと思うのだが、お互いぎこちない。私はコミュニケーション能力に関して皆無に等しいため会話をすることが苦手だ。しかし、どういう訳かことかは何だか私とは違うようなものを感じる。


 「(この人はもしかして、ただ不器用なだけなんじゃ...)」


と気付いたところで顧問がやってきた。これから3年の夏まで練習三昧の日々が待っているだろうが、難しく考えず適当に頑張ることにしよう。



それからというもの、私とことかはクラスも部活も同じという理由で仲良くなった。しかし、この時はお互い学校内で会話をする程度で休みの日は一緒に遊ぶことは全く無く浅い関係だった。でも4月の頃を考えたら、次第にことかの本性がでてきた。彼女は負けず嫌いだけでなく、真面目で毒舌が多い人だとわかったのである。


例えば、運動神経は私のほうが良く部活や体育ではほとんどがことかに勝つことが多かった。その時の彼女は悔しがる表情を一段と見せるようになり、何度かムキになっている姿をよく見た。その態度は面白くて可愛げがあった。ところが、それとは正反対で勉強はことかの方が断然成績が上だった。1学期の期末試験の順位をことかに見られてしまい、それを見てため息をつきながら


 「...あんた、どんだけバカなのよ。まさか、脳みそまで筋肉でできてるんじゃないでしょうね?」

 「...余計なお世話だ。ほっといてくれ」


今思えばこれがはじめてことかに罵られた言葉かもしれない。こういう風にいつしか私に対して毒舌を言うようになった。ちなみにことかの成績は学年順位1位で、一方の私は下から数えた方が早いという酷い結果だった。


すると、この頃から周囲に『東ことかと小田原一姫は仲の良い不思議な2人組み』という評判がたっていた。他の人たちとはあまり会話をしなかったので、多分印象の問題だろう。



 ことかと出会って半年が経った10月。1泊2日の林間学校が行われた。いま思えばこれが転機だったと思う。


1日目の夜に肝試しが開かれた。段取りは教師が怪談話をした後、2人ペアを作り外灯もない暗い夜道を懐中電灯1つを持って歩くという内容だった。ほぼ自動的に私はことかと一緒のペアになったのだが、はじまる前のことかはというと


 「肝試しなんてへっちゃらよ、全然怖くないわ」

 「そんなこと言って、足が震えてるよ」

 「こ、これは武者震いよ...」


強気なことを言っているにも関わらず説得力がない。あぁ、こいつは相当な怖がりなんだろうなと察すると、今までの恐怖感が冷めてしまった。むしろことかが、どういう反応をするのか気になってしまう。いけない、顔がにやけてしまいそうだ。


教師が顔に懐中電灯を当てて怪談話を終えると、さっきまでの雰囲気が異様に変わり始めた。こういう切り替えがうまいのは流石教師というか大人だと感じた。外は思ったよりも暗いのでいつ何が出てきてもおかしくない雰囲気が漂っている。ことかはどうなっているのかと思い顔を見てみると既に半泣きである。ダメだこりゃ。


 「な、何よみんな、怖がっちゃって。お化けなんている訳ないじゃない...!」

 「そういう東さんははじまる前から何で泣いてるんでしょうねぇ」

 「泣いてなんかないわよ!こんなの平気だわ!」

 「くれぐれも驚きすぎて倒れたりしないでよね、一緒に行くこっちも恥ずかしい目に合うんだから」


毒舌のことかに対する仕返しのつもりで言ったのだが、ことかは返す言葉がなかったのか無言のままである。やれやれ、何だかこの後が不安になってきたぞ。


 教師の指示でトップバッターの私とことかが行く番になる。懐中電灯は1つだけしか持てないため、私がそれを右手に持って歩くこととなった。いざ出発しようとしたら、私の左腕が何者かにきつく絞められてるようで思うように動けない。体でもおかしくなったのかと振り向いてみたら、ことかが力強く抱きしめていた。


 「ちょ、そんなに引っ張らないでよ、歩きにくい!」

 「そんなに引っ張ってないわよ...!早く目的地まで行きましょう」


目を見てわかるほど体をブルブル震わせていた。その情けない姿に呆れていたが、まだ歩ける状態なので良しとしよう。というか、この様子を傍から見ればまるでカップルみたいだから凄く恥ずかしい。早く無事にゴールへ着きたくなった。


しかし、この肝試しは暗い夜道をただ歩くだけでなく道中、数人の教師が脅かし役として待ち構えていた。奇妙な笑い声が何処からともなく聞こえたり、怖い仮面をつけた教師が突然現れたりしてくるので流石の私も驚いた。一方のことかは、テレビのリアクション芸人のように大きな悲鳴をあげて私に抱きついてきた。そして終いには道の途中で腰が抜けてたてなくなっていた。驚きすぎというかキャラが崩壊している。


 「ほら、何やってるの。早く行きましょう」

 「もう嫌だ...歩けない...」


呆れながらことかの所へ近付くとベソをかいて泣いていた。私はおもわず苦笑いをして、


 「そんな泣くことないじゃない」

 「だって...あんな怖いものがでてくるなんて思わなかったんだもん...」


上目遣いで声を震わせている。思わず可愛いと感じてしまった。普段ツンツンした態度が多いのに、こんな可愛い顔ができるんだと感激してしまう。思わず顔を赤らめそうになった。


 「おだわら...?」

 「いや、何でもない。しょうがないから私がおんぶしてあげる。次の人も控えてるし早く行くよ」


私も何を血迷ったのか、ことかを背負って目的地へ行くことにした。幸いにも彼女はスタイルが良く細身な体型をしているので、何とか運ぶことができる。それに目的地まであと少しだから何とかなりそうだ。


 「小田原って優しいんだね...」

 「今回だけだよ、こんなこともうしないからね」

 「フフ...それが優しいって言うんだよ」


後ろ姿だったので顔がよく見えなかったが、ことかが笑っているように感じた。更に今までに聞いたことない優しい口調で言うものだから、穏やかな気持ちになってしまう。しかしその気持ちもほんの一瞬であり、私はニヤリと笑った後、意地悪をしてやろうと企んでいた。


 「東さんって面白い人だね」

 「え...?」

 「だって変なところでムキになるし、こういうお化けとかで怖がるんだもん。十分面白いよ」

 「...小田原の癖に生意気だ」

 「ほら、そういうところでムキになってるじゃん」

 「...今日のことは誰にも言わないでよね」


ことかをそっぽを向くようにして言い放った。元からバラすつもりはない。というかバラすような友人がいないのはことかもわかってるのに、何故意地をはってるんだと言いたい。だが、こういう時に限って余計に意地悪をしたくなってきた。ことかは私にいつも毒舌で見下すことばかり言ってくるので、これをきっかけに弱みを握る最高のチャンスだ。私はさっきよりもニヤリといかにも悪そうな笑みを浮かべる。


 「うーん、どうしようかな~」

 「こんな恥ずかしいところ見られたくないんだよ~、お願いします。口止め料として何でもしますから!」


そんな大袈裟な。今までのプライドが高かったことを考えると非常に情けない姿である。しかし何でもか。こいつに何をさせてやろうかと歩きながら私はしばらく考えていると、前方から黒猫が通りかかるのを見た。きっと野良猫だろう。それに気付いたことが、ひぃと悲鳴をあげた。


 「猫、怖いんだ?」

 「そんなんじゃないわよ!脅かし役の先生がきたのかと思っただけよ!」

 「わかった、わかったから叩くのやめてよ、痛いから」


ことかが私の胸の辺りをバシバシと叩く。やっぱりこの子は面白い。どんだけ怖がりなんだよと思ったそのとき、私の悪知恵が閃いた。


 「そうだなぁ、口止め料って言ったらおかしいけど、ことかに良いあだ名をつけてあげるわ!」

 「は?」

 「さっきの猫を見て思いついたんだけど、『ことにゃん』ってのはどう?あんたにはぴったりだと思うけど」


即興で考えたあだ名である。これからこいつを『ことにゃん』と言って遊びたいと思う。実にいい気味だ。


 「それじゃあ、ゴールまで行くよ!ことにゃん」


と笑いを堪えきれずニヤニヤしていると、ことかは体を震わせていた。さっきの怖がっている時とは違う。まるで頭に血がのぼっているみたいだ。


 「そ...」

 「そ...?」

 「そんなあだ名やめろー!小田原のバカー!!」

 「うわ、ちょっと暴れないでよ!倒れるから」


また私の胸を後ろからバシバシと叩く以外に、今度は暴れだしたのでバランスが崩れる。何とかバランスを保とうとするが、ことかはすっかり元気を取り戻し自ら降りた。普通に歩ける状態に戻っていたのでガッカリした。最後までおんぶしていたかったのに、勿体無いことをしたと思う。


 「次にそんな名前で呼んだら、ただじゃおかないから」

 「そんなに怒らなくていいじゃんか~」

 「うるさい!早くゴールまで行くわよ!」


ことかはすっかり機嫌を損ね、ズカズカと先に歩いて行ってしまった。私は追いかけるように彼女の後ろを歩き、ゴールをしたのである。




 ④




 このことがきっかけで私は『東ことかは真面目な毒舌女』から『東ことかは面白い人』という視点に変わり、面白がっていじるようになった。


例えば教室の休み時間、


 「ねぇことにゃん~、今日の数学の宿題忘れちゃったから答え写させてよ」

 「嫌よ、何でアンタなんかに...!しかもことにゃん呼ぶなって言ったでしょうが!」

 「ふーん、断るとか大した度胸ね。ねぇ知ってる三島くん?東さんって林間学校のときに」

 「なに隣の男子にバラそうとしてるのよ!?」

 「だったら宿題写させてよね。さもなければ」

 「あぁもう、いいわよ!見せればいいんでしょ!?」


休み時間のとき、ことかがお手洗いへ行こうとしていたので


 「ことにゃん、一緒について行こうか?お化けがいると危ないからね」

 「余計なお世話よ!あんたも行きたいだけでしょうが!てかいい加減その名前で呼ぶのやめなさい!」


こんな感じのやり取りが目立つようになり、気が付けばことかは出会った時の頃と比べてかなり明るくなっていた。それだけでない、どういう訳か他のクラスメイトの子たちと仲良くなっており、みんなことかのところへ集まるようになった。勉強ができるからという理由で、絵に描いたような優等生キャラになっている。春の頃は口数が少なく不気味な人だったのに、あまりの変わりっぷりに驚くばかりである。すると、私は次第にことかへの興味を失い徐々に離れるようになってしまった。


 「(性格が変わりすぎだろ...真面目ぶっちゃって。面白くない)」


いつしかことかはクラスの中心的存在となっており、私からしたら雲の上の存在と化していた。まったく、私なんかより他の子たちとは楽しそうな顔をしやがって。まぁいいか、きっとそっちの方が幸せなんだろう。私は久しぶりにぼっち生活を楽しむことにしようと考えていた。


だが、それでもことかは学校内や部活でも声をかけてきてくれた。内容は『最近どう?』とか『友達作りなさいよ』みたいな大したことないやつばかりだったけど、相変わらず『ことにゃん』と呼ばれるのには抵抗があったようだ。てっきり心の奥底では気に入ってるのかと思っていたので、やめろと言われても気にせず呼んでいた。だが、林間学校から帰ってきておよそ1ヶ月後。等々ことかの堪忍袋の緒が切れた。


昼休み。私はまた数学の宿題をうっかり忘れてしまい、ことかに写させてもらおうとお願いした時である。


 「小田原、それ何度目よ...。たまには自分でやったらどうなの?あの問題簡単だったはずよ」

 「そこを何とか...ね?お願いします。ことにゃん様!」

 「あんたね...!いい加減その名前で呼んだら怒るわよ!」


ことかの体はプルプルと震えており頭に血が上る寸前だった。にも関わらず私はそんなことはお構いなしにふざけてお願いしたのだが、それが逆鱗に触れさせたのは言うまでもない。


 「わかりました。もうことにゃんなんて呼びませんから、写させてください!あずにゃん!」


彼女の名字は『東(あずま)』なのでそれと関連付けて呼んでみたら、たまたま持っていた数学のノートで思いっきり頭を強く叩かれた。教室内はバシンと音が響き渡り、クラス中に私とことかの2人に注目が集まった。頭に痛みは感じなかったが、あまりの不意な出来事にかなり驚いた。ことかの顔を見ると今まで見たことの無い鬼のような形相をしていた。


 「いい加減にしなさい!このとり頭!!」


あんなに怒鳴られたのははじめてだった。騒がしかった教室全体が一瞬にして静まり返ると。周囲は突然何が起こったんだと表情をして注目をしている。


 「もうあんたみたいな馬鹿とは口聞かない」


と捨て台詞を吐くように足早に教室を去ってしまった。私は完全にことかを怒らせたのである。真っ先に謝ろうと廊下へ飛び出たのだが、一体何処へ行ったのか見つからず、気が付けば5限目を告げるチャイムが鳴ってしまった。なんてこったい、ことかを怒らせてしまった挙句の果てに宿題は出来てないわで踏んだり蹴ったりだった。


 「(まぁ放課後になれば、いつものことかに戻ってるでしょ)」


と安易な考えをしていたが、期待虚しくその後もずっと話しかけてくれなかった。翌日何度も謝ったが結果は同じで口を聞いてくれない。やれやれ、これは相当怒っているな...。今までこういう風に友達を怒らせたり謝ったりしたことがなかったので、一体どうすればいいのかわからなかった。参ったなぁ、果たしてことかとは口を聞かないまま一生嫌悪な関係で終わってしまうのだろうか。その日はずっと彼女のことで頭から離れなかった。


 翌朝、私は体調を崩してしまい学校を3日間欠席した。起きた途端、全身に力が入らず頭が痛い。そのうえフラフラするし喉が痛いわの最悪な状態だった。普段は滅多に風邪なんてひかないのに珍しいことだった。ことかのことで謝れないのは残念だと思ったが、そのことを考える度、余計に頭が痛くなってきた。仕方ないので、初日に休んだ日は病院へ行き、残りの2日間はベッドでゆっくり安静することにした。


ちなみに休んでいる間、連絡通知のプリント等は同級生なのか年上なのか全く顔を知らない人が私の家に届けてきてくれたようだ。おそらく家が近いからという理由で教師に頼まれたのだろう。それを受け取ったのが、当時小学生の妹だったので顔と名前を知ることは一切なかった。てっきりことかが来るのかと思って薄々期待していたのは内緒の話である。


そんなこんなで、私はすっかり元気になり学校へ行くことにした。3日間ずっと寝てばかりで退屈だったからやはり健康が1番だと痛感する。久しぶりに教室へ入り席に着くと、誰かが私の目の前にやってきた。ことかである。


 「小田原、おはよう...」

 「あぁ、おはよう...」


おいおい、口を聞かないと言い出したのは何処のどいつだと嫌味を言いたかったが流石にこの空気では言えなかった。久しぶりな会話だから気まずい。


 「風邪、治ったんだね」

 「うん、おかげさまで」


とっとと用件を言いやがれと言いたかったが、何やら物凄く深刻な顔をしているので静かに耳を傾けることにした。表情を見ると若干恥ずかしそうに俯いている。決して怒っている訳ではないようだ。


 「小田原、その...この間は怒鳴ったりしてゴメン。私が悪かったよ」


ことかはハエが飛ぶような小さい声で謝ってきた。これには私も驚いた。ことかから謝るなんて。私はしばらく学校に言ってない間に異世界へ迷い込んでしまったのかと疑いたくなった。そんな冗談はさておき、私も何か言わなくてはならない。


 「こ、こちらこそゴメン。私も悪かったよ。もうそのあだ名呼ばないからさ。口聞かないなんて言わないでよ」


何だか照れくさい。きっと面と向かって本気で謝る機会がなかったからかもしれない。不思議な気分だった。


 「ことか」

 「え?」

 「ことかって呼んでくれればいいから」


ことかは若干顔を赤くして横を向いている。恥ずかしがり屋め、その表情と態度は可愛かった。すると、ことかは手に持っていた何冊かノートを私の机にそっと置いた。いきなり何なんだ?


 「これは...?」

 「見ればわかるでしょ?今まで休んだ分のノート。あんたが赤点とって悲しむ顔を見たくないから書いておいた。特に今度の日本史はそのまま黒板で書かれた内容がそのままテストに出るって先生言ってたから、頑張りなさい」


私は何も言わずノートを受け取りパラパラめくると、確かに3日分の板書されたであろう内容がびっしり書かれていた。ちゃんと日付も残されているうえに色分けもされている。流石優等生、3日分の教科を考えればかなり手間がかかっただろう。


 「何これ凄い...」

 「まったく、馬鹿は風邪引かぬって言うのに、何風邪ひいてるのよ。これで肝試しの借りは返せたから安心したからいいんだけど」

 「肝試しの借りって...」

 「もし、赤点なんかとったりしたら許さないわよ。さもないと...」

 「さもないと?」

 「ずっと馬鹿にしてきた分、私の言うこと何でも聞いてもらうわよ!そうね、せっかくだから欠席した3日分なんてどうかしら?」


ことかが何やら嬉しそうに言うものだから怖かった。え、本当に赤点とったら私は3日間ことかの言いなりにならなきゃいけないのかよ、やめてくれ...。


 「それだけは勘弁してください...」

 「ふふふ、だったら精々頑張りなさい。私は今のうちに小田原に何をさせようか考えておくからね、想像するだけでワクワクするわ!」

 「その気持ち悪い発言はやめてくれ...変態丸出しみたいだ」

 「何が変態よ、小田原ってそういう趣味があったの?」

 「そうじゃないよ、言い方が気持ち悪かったって言ってるんだよ」

 「別にそんなつもりで言ったんじゃないわよ、精々ご飯を奢るとかそれくらいのことよ。この変態小田原」

 「誰が変態だ!!そんな風に呼ぶのやめてよね」

 「ずっと『ことにゃん』と呼んだ仕返しよ!嬉しいならもっと呼んでもいいわよ?」

 「仕返しって...もう勘弁してよ、謝ったんだから」

 「あっははは!小田原も面白いわねぇ。別に変態扱いするのは嘘だけど、今度の期末頑張りなさい」


今度は私が面白い人扱いされてしまった。思わぬカウンターを受けてしまったので、めんどくさい奴だなぁとため息をつきたくなったが、一応仲直りができたのでこれ以上の文句は言えない。しかし今度の期末試験を考えると、余計に憂鬱になってきた。ご飯を奢るだけならまだしも、本当に突拍子もないことを言ってきたらと思うと身震いしたくなってきた。もし冗談でも変態丸出しなことを言い出したら、こいつには道徳の授業をもう一度最初からやり直すべきだと思う。


 「それじゃ、楽しみにしてるわよ!」

 

もうすぐ朝のホームルームがはじまりそうなので、ことかがその場を去ろうとする。私は慌てて呼び戻した。


 「ちょっと待って!」

 「ん、何か不満でもあるの?」

 「そうじゃなくて...ありがとね、ことか!」


いま思えば、これが最初に下の名前で呼んだのかもしれない。それまではずっと『東さん』とか『ことにゃん』って呼んでたからね。ようやく呼び名が定着しそうだから一件落着だ。そして『ことにゃん』という名前ももう呼ぶことはないだろう。ぴったりなあだ名だと思っていたので残念なのが心残りである。


 「これからもよろしくね、小田原」


久しぶりにことかの微笑む顔を見たのだった。うん、やっぱり彼女は笑顔が似合うと思う。



 それ以降、私とことかは再び縁を取り戻し、今までよりもずっと仲良くなった。中学生のときはほとんどことかと一緒に過ごしていた。偶然にも3年間同じクラスだったし、学校以外での場所で遊ぶようにもなったからね。一部の人間からは付き合ってるんじゃないという疑惑をもたれたが、お互いあまり気にしていなかった。









 「思い出してみると懐かしいなぁ...」


卒業してから半年以上が経つが、出会った頃を振り返ると余計に会えるのが楽しみで仕方ない。妹に言われて思い出したのは、どうか大目に見てほしい。私自身、他人に興味がないのを憎みたい。


 「さてと、ことかの思い出に浸ったことで安心したし昼寝するか...!」


私は久しぶりに早起きをしたにも関わらず、今日もぐうたらな日を過ごすことにしたのだった。

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