第二十三話 どんなに疎ましくても

 ローズはハロルドに車椅子を押してもらい地下牢に赴いた。騎士の地位を奪われ忠誠を誓った徽章と共に騎士の服を脱ぎ捨て、今は囚人服に身を包んでいるフィグと会うためだ。


「比較的素直に応じております」


 ハロルドの真横で共に歩いているマヌエルが取り調べの記録帳をぺらぺら捲りながら言う。


「比較的、ね」

「質問には素直に答えており、共犯の医師との齟齬も見当たりません。ただ…」


 マヌエルは口ごもった。「ただ、何?」と訊ねるととひとつ咳ばらいをして重い口を開いた。


「あの方は騎士の地位をはく奪されたとはいえ、お立場がございますから…尋問した騎士や憲兵では深く立ち入った質問ができないようで。特に動機については未だにお話になりません」

「そう…わかったわ」


 三人は地下牢の入口に着くと、ハロルドはローズを抱きかかえた。見張りの憲兵が車椅子を階段下まで運び、もう一度座らせる。憲兵が扉を閉め出ていくのを確認してからフィグが収監された牢の前まで進んだ。


 地面に座り込んでいたフィグはローズを見ると否や立ち上がり「あっ」と声をひきつらせた。しかしその後に言わなければと思っていた謝罪は口にすることが出来なかった。ローズたちも暫くはフィグを眺めているだけだった。


「思ったより元気そうで安心したわ」

「今は食べて栄養をつけなければ、長時間の尋問には耐えられませんから」


 眉を下げ自嘲気味に零す。ローズたちが知っているフィグとはまた違う一面をみた気がした。

 処刑の際に見たフィグは本当に彼本人だったのか信じられないと思っていた。あんなに冷酷な顔をそれまで一度もみなかった。ローズは今でも思い出すと背筋がひやりとする。


「記録を一通り読んだけれど、取り調べにも素直に答えているようね」

「せめてもの償いってやつですよ」

「結構。今日は特別にわたくしがさせていただくわ」


 後ろで控えていたマヌエルは背もたれの付いた椅子に座り腕で記録帳を抱え、直近の取り調べに書かれた最後のページを広げる。


「どうぞ、お手柔らかに」


 フィグは牢の端っこに置いてある丸い小さな木製の椅子を真ん中に置いて、背中を丸めて腰を掛けた。


「では、始めます」


 ローズは背中を伸ばしてフィグと対峙した。


◆◆◆


 前日に目を通した取り調べの記録には日頃から聖女制度を無くしたいと書かれていた。

 普通に生きていた少女を聖女として無理矢理に親兄弟から離して生涯の大部分を聖女として祭り上げる体制は非人道的に値するのではとフィグは考えていたという。瘴気を浄化するのはなにも聖女しかできないわけではない。聖職者より強大な力を有しているだけで、聖女とし人生を賭して捧げる必要はないのではないかとフィグは思っていた。例え瘴気が完全に消えなくても、瘴気に対抗できる術は聖職者にあり、瘴気にあてられモンスターと化した獣は騎士団が対峙すればいい。人間が瘴気にあてられる機会を減らすだけでも害は減ると考えているのだ。

 実際そういった考えを持つ勢力は国内にも存在するが、聖女を殺めてまで改革をしようとする極論は浮上していなかった。ただし、今回の件でこれからそういう考えを持つ者がもっと現れることをローズは危惧している。


「彼に最初に会った時は呪術師だなんて知らなかったんです。旅人だと名乗った呪術師とは酒場で意気投合して、お互いの仕事の話とか、恋愛や結婚の話とか…他愛ないものばかりでした。次第に気を許すようになって聖女制度の在り方———政治の話もするようになったんです」


 そして呪術師はついにフィグにもちかけた。まっすぐフィグの目を見つめながらゆっくり話始める。


『この世を変えることができる力をあなたは持っているじゃないですか。一番聖女様の近くにおられるあなたならなんでもできる。哀れな神の子を解放してさしあげなさい』


 フィグはその間ひとつも瞬きができず、呪術師の灰色の目からぴくりとも目玉を動かさなかった———いや、動かせなかった。灰色の目はみるみるうちに赤くなっていく。血を思わす赤、あまりにも毒々しくてあまりにも美しかった。あの目を見たのを最後にフィグは不思議と心が軽くなるのを感じた。


———そうだ、聖女様を解放してさしあげなくては。それは俺にしかできない。


 どのような形でも構わない。とにかく聖女という立場がなくなればいい。例え命を奪っても、聖女の肩書に囚われるよりずっといい。フィグは本心でそう思った。なんの疑いもなく、それが正しいのだと信じた。


「俺は宮廷医師に目を付け、呪術師と共に会いに行きました。そこで何があったかは覚えていません。ただ彼は迷うことなくすぐに賛同し、毒を調合しようと持ちかけてきました。ゆっくり毒を盛ることで病で亡くなったことにすれば誰も疑問にもたず、そして誰も傷つかないと言いました。彼の作った毒は咳や微熱を発症させ、徐々に弱らせるというもので、実際あなたは彼の思惑通りの症状がでましたよね」


 ローズは静かに頷いた。確かに毒を盛られていたなんて想像だにしなかった。与えられた薬はずっと体調をよくするものだと信じきっていた。それも最も信頼する騎士から渡された物だ。疑う余地など彼女にはないのである。


「うまくいくと思っていた矢先、一人だけ妙に勘のいい男がいましてね…」

「それがエリックね」


 フィグはエリックの名前を聞いて顔を歪め笑った。


「そうだ…あの男、エリック・リリジェン。あいつだけはローズ様の体調の変化に疑問を抱いたな。魔女の薬に頼ると言い出した時はその程度かと捨て置いたが、ついには万能薬の話を出した時には多少なりともひやりとした。勿論そんな夢幻の代物が存在するなどと思っても居なかったが、彼は異様にやる気を出していたのが心配だった。そしてあの日、巡礼でエネロの神殿でウンディーネと対面した時に、まずいと思ったよ。あいつなら、ウンディーネに本気で掛け合うんじゃないかと。不安は的中し、夜中に野営地を離れる姿をみた。他の騎士の弓矢を持ってフードを被り、こっそりついていくことにした。彼は昼間に司祭が神殿の扉を開ける呪文を暗記して、ついにウンディーネに再び見え、そして万能薬の葉を一枚受け取った。俺はどうにかしてそれを奪わねばいけないと躍起になった。先に神殿を出て彼を待ち伏せた。野営地に戻ろうとする彼に矢を放ち、森深くへと追いやった。殺すつもりはなかったが、追いかけている間にふつふつと嗜虐心が芽生えていた。気付けばあいつの左胸を狙って矢を放っていた。すぐにウンディーネの葉を奪った———それからあいつが持っていた銀のチャームも一緒に…後は崖から遺体を放って何事もなく野営地に戻ったわけさ」


 ハロルドは鉄格子を叩くように握ると反動で揺れて、雷のような金属音が響き渡った。


「何故だ、何故そのように語れる!エリックはあなたにとっても善き相棒で善き友ではなかったのか!」


 フィグは音に驚いたが、ハロルドの憤りを宿した瞳にはなんの感慨も覚えなかった。それどころか笑いすらこみ上げる。必死に抑えねばうかつにも漏らしてしまいそうだった。フィグは立ち上がり、ハロルドに近づき言った。



「善き友だと?私から最愛の姉を奪ったあいつを友と呼べるわけがなかろう!」

「なに?」

 

 地をも揺るがしそうな怒声はフィグ自身の心臓を締め上げるような苦しさが残る。暫くぜーぜーと息を吐き整え、椅子にどかんと座り前髪をぐしゃっとかき乱す。


「あいつは聖女の役目を誇りに思っていた姉をたぶらかし、姉から誇りを奪った男だ。あげく若くして死なせたんだ…死なせたんだ…!息子も息子だ!全く姉に似ずあの男にそっくりの!あの顔を見る度に虫唾が走った!すぐにでも縊り殺してやりたかったよ!」

「貴様ぁ!」


 ハロルドはフィグ自身を殴るように鉄格子に拳を殴りつける。血がにじむのも構わず何度も殴りつけた。ローズがハロルドに呼びかけ制止させて漸く鉄格子から離れた。


「それがあなたの本心ね」


 ローズは自らの手で車輪を回し、ゆっくりとフィグの方へ近づいた。


「フィグ、あなたが此処まで堕ちたのはあなたの思想なんかじゃない。愛するお姉さまを失った悲しみよ。呪術師はそこを付け入ったの」

「ち、違う!」

「いいえ、違わない。それならばあなたはエリックの銀のチャームを奪ったの?」


 フィグは思い出していた。ウンディーネの葉を手にしたとき、エリックの胸元で光るチャームが目に入った。それを取り上げ目を凝らす。

———オリーブを咥えた鳩は平和の象徴。国の安寧を願う姉さまが一番好きな鳥だ。

 許せなかった。エリックが姉の好きなものを持っていることが堪えがたき屈辱のように思えた。

 それを懐に仕舞い、後日呪術師が瘴気の媒介を探していることを相談され、処分に丁度いいと思い渡した。穢れてしまえばいいと思った。リリーがエリックを愛しているなんて考えたくもなかった。


「エリックはリリー様の誇りを穢してなんかいないわ。そうでなければ、命令だったからって聖女の騎士になれるわけないじゃない。あの人の真摯に励む姿をあなただって見ていたでしょう?常に一生懸命に騎士としての役割を果たしていた。お姉さまが誇り高い聖女だったようにあなたも同じだったはずよ」

「俺が?そんなわけありませんよ。命じられたままに役目をこなしただけです。感情を伴わないただの義務感だ」


 フィグは眉間に皺をよせ冷ら笑った。騎士としての誇りを疾うに失っていると思っている自分に向けているようだった。


「私はそう思わない。エリックと同じように、あなただって真摯だった。私はそんなあなたに助けられてきたもの。決して義務感だけではなかったと信じているから」


 ローズとフィグはお互いに視線を外そうとはしなかった。


「ローズ様、そろそろお時間です」


 マヌエルは羊皮紙を閉じて声をかけるとローズは「わかったわ」と呟き、フィグから視線を外した。フィグも視線を地面に落とす。

 ハロルドは車椅子をフィグの牢屋から離れるように引き、地上への道へと戻ろうと押し始めた。


「ローズ様」


フィグは顔を伏せたままローズの背中に向かって呼びかける。


「もしあなたがそう思っていたのなら、それはきっとあなたに姉の姿を重ねただけです。それだけです」

「…あの日、あなたとエリックが聖女になった私を迎えに来てくれた日のこと覚えてる?」

「ええ…」

「父はやるせない気持ちを怒りとしてぶつけ、母は泣いていた。六つ下の妹は母を宥めていた。聖女になる決意を固めてももろく崩れてしまいそうだったわ。強がっていないと自分の気持ちに負けてしまいそうだった。そんな私にあなたは言ってくれたのよ。これからは私たちが必ず守ります、家族の代わりに護り続けますって。どんなに心強かったか。もしあなたがあの時もお姉さまを重ねていたとしても、私にはあなたの言葉が本物だった」


ローズは振り返ってフィグに「これまでありがとう」と言うと、フィグは顔をあげた。


「これからは私があなたのお姉さまの代わりに家族として会いに来るから。どんなに疎ましく思われても、ね」


 行きましょうとローズは車椅子を押すように促した。ハロルドは少しだけ後ろを振り返る。フィグは声をあげずに泣いていた。その顔は悲哀と悔恨に満ちていた。しかし虚しさはもうなくなっているように見えた。


 頬が赤いのは涙をぬぐったからか、もしくは———

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