第二十二話 まだ芽生えたばかり

 すみれがフィグの徽章にかけられた瘴気を浄化した日から、王都は暫く騒がしい日々が続いた。フィグによって処刑前日にローズに毒を飲ませたことはローズの口から語られ、彼は正式に投獄させられることとなる。

 聖女の騎士が自ら聖女を殺めようとした未遂事件は近年最大のスキャンダルとしてセンセーショナルに報じられた。王城や大聖堂には、王家や聖堂の在り方に不満を持った民衆が連日抗議にやってきて騎士たちは対応に追われた。とりわけ国王には不信の目が向けられた。この事態に直接的に関与していないことは明らかになったが、大事になるまで気付くこともできなかったとの声が一際大きかった。


 代わりに処刑の日まで大行列をなしていた民衆の姿はすっかりなくなった。まるでフィグを浄化した時に生じたまばゆい光は、民衆の不安をも溶かしたようだ。また聖女がまだこの世界に存在し、これからも聖女の加護に護られるのだと信じることが出来た。おかげで大きな混乱も起こらなかったことは幸いだった。王都はそれなりに平和と秩序を保ったまま、平凡な日々が今日も続いている。


 ローズは正式に聖女を退任することを発表した。療養のために聖女の部屋はローズが引き続き使うこととなった。国王は新たに宮殿医師を雇い、スカーレットを含む監視の目を増やしてローズの回復にあたらせた。少しずつ体調は戻ってきたが、長年服毒させられたことでの後遺症が残り車椅子の生活を余儀なくされた。


「歩けなくなったのは残念だけど、皆のおかげで生きているんだもの。感謝しかないわ」


 聖女の任を降りてからのローズは、すみれの指導にあたっていた。そのうちの一つ、聖女の庭の使い方を教わったすみれは、早速自分の庭を作り出し、ローズや彼女の騎士たちと共に東屋でお茶を楽しんだ。入口から東屋に続く石庭とソメイヨシノの樹があるだけの小さな庭だった。


「本当に間に合ってよかった。あの朝、クリスと別れてマヌエルさんと大聖堂に向かう際は本当に生きた心地しなかったよ…それに…」


 すみれは眉間を寄せながらその時のことを話した。


 夜明け前に、すみれとマヌエルとスカーレットは闇に紛れて大聖堂へと向かった。処刑の準備で人手が割かれている分、大聖堂に待機している騎士も多くないとマヌエルは言った。実際その通りではあったが、フィグは抜かることなく騎士を配備していた。ローズや騎士たちの部屋がある塔の入口の守りを固め襲ってきたのである。

 フィグの息のかかった騎士たちはハロルドの凶行と信じ、またマヌエルはフィグを裏切った騎士と刷り込まれていた。すみれは彼らを説得しようと思ったが聞く耳をもたなかった。マヌエルは剣を抜きかつての仲間にその刃を突き立てるしかなかった。


「本当言うとね、この世界に来てからずっと見た目なんて大したことないって考えていたの。エネロの司祭様の様に話せばわかってくれるって。でも思っていたよりずっと深く沁みついてしまっているものだって身に沁みてわかった。もしあの時私の髪がローズ様やクリスのように白銀色だったら話を聞いてくれたのかなって思うと、やるせないな…」

「すみれが気にすることないと思うぜ?彼らも自分の信じたものを信じた結果だ。彼らにとってもフィグに騙されたとはいえ、騎士の誇りと名誉にかけて剣を抜いたんだ」


 オリヴィエは以前より憂いがなくなりすっきりした様子だ。騒動の後オリヴィエはクリスとすみれにハロルドと和解出来たと恥ずかしそうに言った。長年無意味に疑い、恨みを重ねていたけれどきちんと話せてよかったと安堵の表情を浮かべた。


 クリスはすみれの肩に手を置いた。


「この世界で外見は指標なのよ。実際に聖職者は色素の薄い人の方が多いし、魔女は濃い人が多い。この世界の住民にとってそれが当たり前なの。私自身間違われて嫌だなって思っていたのに、すみれを見て最初は信じられないって思ったもの。私も他の人と変わらないんだなって思わせられた。これからは少しずつでも私たちがそれぞれ聖女であり、聖女の騎士としてイメージの払拭を皆に示していけばいいのよ。そうしたら後世はもっと色んな外見の人が志願しやすくなると思う。聖職者が増えれば、この世界の瘴気も抑えていけるし、聖女一人の負担も減るに違いないわ」


 すみれはクリスの手に触れはにかんで頷いた。


「そういえばあの呪術師はあれから目撃情報はないんですか?」


 オリヴィエの問いかけにローズじゃお茶を口にした後に深いため息を零す。


「ええ…中央広場を最後に姿をくらませたわ。呪術師の存在は国家秘密のひとつだった。知っているのは王族と、聖女だけよ。六年前まではね。わたくし自身、そういった輩がいると禁書で知っていたけれど、過去の存在だと思っていたわ。彼らが目撃されたのは何百年も前で、それ以来はぱったり書かれていないから彼らの組織はなくなったと理解していたわ。国王陛下、つまり国としても絶滅したと結論を出していたしね。この騒動で呪術師が世間に知らされて、陛下は心を痛めていらっしゃるの。わたくしもを見てしまっては、ね…」


 ローズはもう一度ため息をついた。三人もまた呪術師の言葉にずっと心をざわつかせていた。


◆◆◆


 呪術師がフィグにかけた呪いを発動させてから中央広場は更にパニックに陥った。すみれとクリスはフィグから溢れた瘴気の浄化にあたっている間のことだった。

 呪術師を拘束していた騎士は漸く彼が『何か』をしたのか気付き剣を抜いたときには遅かった。呪術師は騎士を体当たりで処刑台から突き落とした。落ちた衝撃であげられた悲鳴にオリヴィエたちがそちらの方へ視線を向ける。呪術師は処刑台から飛び降り、騎士の抜き身の剣で器用に縄を切り自由となる。他の騎士たちは彼を逃がすものかと、切っ先を向け襲い掛かった。

 呪術師は不気味な笑みを浮かべ口を動かした。騎士たちは信じられない光景に驚愕し青ざめた。そこにあった身体は水面のように揺らいだのである。そして地面に吸い込まれるようにして消えた。


「どこへ消えた!?」


 呪術師は建物の屋根の上に姿を現し、逃げ戸惑う民衆や、目の前で起きたことに頭がついていかない騎士たちを見下し声高に叫んだ。


「オリーヴァの愚民よ!これが貴様らが崇めた聖女と聖女の騎士の哀れな末路だ!奴らの力を過信するな!この国は決して盤石などではない!」


 弓隊の騎士たちは弓を構え、呪術師に向ける。しかし窓から覗く住民や、まだ広場付近にいる者も多く放つことが出来ない。その様子をみて呪術師は高らかに笑った。


「俺はあの男を媒介に、この国に修復することのない強固な呪術をかけた!これからゆっくりと崩壊するさまをじっくり楽しませてもらう!」


 そして呪術師は跡形もなく姿を消した。


◆◆◆


「悔しいけれど、呪術師の言葉は事実だわ。あれから聖女や国の在り方を問われる機会が増えているもの。これまでも反聖女派は存在していたし、これからは勢力を拡大すると思うわ」


 反聖女派———国家でも頭を悩ます存在である。フィグが言っていたような聖女一人に瘴気の浄化を背負わすことを良しとしない勢力である。心からそう思う一派もいれば、聖女の立場をなくすことで瘴気の浄化が追い付かないようにし、国の転覆を狙う者もいるという噂である。少なくともローズの命を狙っていた呪術師はそれを目論んでいた。

 もしあの時、ローズが死にすみれの命も落とす結果になっていれば、次の聖女———聖女のような強く稀なる力を持つ存在が現れるまでに時間がかかっていただろう。


 呪術師を追い払うこと形になったのもオリーヴァ聖王国としては痛手になった。長年絶滅したと思われ記憶からも薄れていた呪術師が存在し、それは一人なのか、家族なのか、もっと大きな勢力を広げているのか全く情報がないからである。


「彼らのやり方は洗脳なのよ。心の隙を巧についてくるわ。決して心の弱さだけじゃない。強い意思を持っていても刺激されれば増幅し、やがて一つの考えに囚われてしまうわ。今回のように悪い方向に、ね」

 

「私も少し自信を無くしてしまった気がします。あんなにお優しくてお強いフィグ様でも洗脳されればあのようになってしまうなんて、今でも信じられません」


 クリスの言葉にローズは哀憐の笑みを浮かべて言った。


「わたくしも同じ気持ちよ。そうならないために、どうすればいいか考えていかなければならないわね」


 三人は顔を見合わせた。思いがけない出会いから怒涛の展開にお互いの親睦を深めまっていない。それでも短い期間に彼らには互いを思いやりそして『信頼』が芽生えた。まだ吹けば飛ぶようなものかもしれない。


「すみれ、脅すつもりではないけれど、彼、もしくは彼らはきっと聖女の命を狙ってくると思う。だからこそあなたの騎士を頼ってちょうだい。二人なら絶対大丈夫よ。あなたにとって一番信頼できる人たちのはずだから」

「ええ、勿論!今もこれからも信じられる友達だもん」


 すみれは「ねっ!」と二人に満面の笑顔を向けた。オリヴィエは当然と笑い、クリスは頬を染め恥ずかしそうにはにかみ頷いた。

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