第二十話 地下牢に響く

 ぴちょんと雫が落ちる度に地下牢内をこだまする。外界との気温差とこれから待ち受ける処遇にオリヴィエは身体を震わした。

 連行してきた王都騎士はオリヴィエを石の壁で仕切られた狭い檻の中に何も言わず顎で入れと促した。オリヴィエは大人しく足を踏み入れる。がしゃんと鉄格子の扉が閉められ南京錠に鍵をかけられた。同時にどうすることもできない虚無感が襲ってくる。

 王都騎士はオリヴィエを一瞥し来た道を戻って、唯一光が入ってくる出入口の鉄の分厚い扉を閉めた。地下牢は暗闇に包まれオリヴィエは目をくらます。


「くそっ!」


 一瞬だけ血が沸騰するように怒りが沸き上がり鉄格子を握り揺らした。しかしすぐに力なく項垂れそのまま座り込んだ。

 どうしてこんなことに。長年憂いていたことが現実となった。それでもどこかでそんなはずはないと信じていた。

 ふっと乾いた笑いが漏れる。信じていた?そんなわけない。誰よりも疑っていたのは俺じゃないか。


 ずっと醜い感情が渦巻いていた。六年前、エリックが仕事でローズと巡礼に行くとでかけた後姿が忘れられない。巡礼自体は珍しいことではない。実際よく家を空けていた。だからその日が特別だったわけじゃないのに、やけに瞼に焼き付いている。

 二週間経った頃に、家にハロルドが訪れて大聖堂へと連れていかれた。そこで遺体中が傷だらけのエリックの遺体と対面した。胸に矢が刺さった跡があった。誰かに襲われて崖から落ちたと聞かされた。つまりは聖女を守って死んだ名誉の死ではない。いったい誰がこんなむごいことを!ハロルドに震える声で、焼け付く刃の切っ先のような視線で睨みつける。

 ハロルドは黙って首を横に振った。オリヴィエは拳を強く寝かされたエリックの台を殴りつける。反動で少し遺体が動いた。オリヴィエはふとエリックが大事にしていたペンダントの事を思い出す。それだけでも墓標に飾ろうと襟元を開けると、いつも身に着けていたはずのそれはなくなっていた。犯人が持ち去ったのかと思ったが、特に高価なものではない。売っても二束三文にもならない安物だ。

 全て失った気がした。一人取り残されたのだと自覚させられた。


『オリヴィエ、君の面倒を見させてもらえないか』


 ハロルドは感情をみせず淡々と言った。何故そう言いだしたのか判らなかった。ただ聖女の騎士補佐官であるハロルドの養子になれば騎士への道が開ける。エリックの死の真相に近づけるかもしれない。心の奥でちりっと火花が散った気がした。


 空席になった穴を埋めるべく、エリックの直轄の部下で会ったハロルドはすぐに聖女の騎士へと昇格した。その頃からきな臭い噂が耳に届くようになった。エリックを殺したのはハロルドではないのか、聖女の騎士という栄誉な地位は騎士の家系であるレスター家にとって悲願でもあるだろうなどと民衆は口々にハロルドを叩いた。仕舞には国家転覆を企んでいるなどと根も葉もない噂までもが飛び交った。

 気の毒だったのは実子のラインである。丁度騎士学校を卒業するころだったラインは、優秀さから聖騎士を望まれていたが、その噂に押され王都騎士へと配属される。彼は「仕方ないさ」とそれを甘んじてそれを受け入れた。

 噂は長年続いた。嫌でも耳に入るオリヴィエは次第にそれが真のように感じられた。無意識に刷り込まれ、蝕まれていることにオリヴィエ本人は気付かずに今日まで来た。

 そして今に戻る。


「オリヴィエ?オリヴィエか?」


 聞きなじみのある優しい声が少し離れた牢から聞こえた。


「兄さん?」

「ああ、やっぱりオリヴィエだ。父さん、オリヴィエまでこのようなところに…」


 金属がかち合う音が聞こえた。勢いよく鉄格子を握ったと思われる。


「オリヴィエ!」

「と、父さん…」

「オリヴィエ、怪我はないか?」

「え?うん、大丈夫だけど」

「そうか…良かった…いやこの状態で良いとは言えないが…」


 いつもぶっきらぼうのハロルドの大声、それも心配そうな声をオリヴィエは初めて聞いた。


「父さん、一体何があったんだ。ローズ様に毒薬を盛ったって本当なのか?」


 エリックの遺体と対面した時のように声が震えている。ハロルドが犯人じゃない、そう信じたいのに本人の口から聴くまでは誰も、自分ですら信じられなくなっていた。


「そうか、お前にも苦労させてばかりだな。面倒をみるなんて偉そうなことを言って親としての義務は果たせていないのだろう。すまなかった、すまなかった、オリヴィエ」

「どうして謝るんだよ…」

「これではエリックに顔向けができないな。私が不甲斐ないばかりにおまえに要らぬ心配をかけさせた。本当にすまない。でも信じてくれ、私は誓ってローズ様に手をかけてはいない」


 不思議なことにオリヴィエは長年抱えていた憂いがすとんと落ちた気がした。実際ハロルドの言い分になんの証拠もないはずなのに心から信じられた。何よりも初めてハロルドの親心に触れた気がして、堪らず涙が零れる。

 

「エリックに頼まれたのだ、ローズ様とオリヴィエを守って欲しいと」



 ハロルドはゆっくり話し始めた。

 エリックとハロルドは騎士学校の同期だった。騎士の家系に生まれたハロルドは当時からしきたりを重んじる厳格な性格だった。片田舎生まれのエリックは正反対ともいえる程奔放で自由に生きるタイプだった。そんなエリックがどうして騎士になったかハロルドは不思議で仕方がなかった。


『普通に金が理由だけど』


 信心とは無縁の答えにハロルドの眉間は皺が深く深く刻まれたことを、友人となったエリックは面白おかしく酒のネタにしたという。

 理由はともかくとしてエリックは騎士を目指すには体力の底が浅かった。走っても剣を振るってもすぐに音を上げた。同期の中で一番向いていないと教官から呆れられた。

 しかし座学は誰よりもとびぬけて成績が良かった。幼い頃からよく本を読んでいたらしい。定期的に村に来る貸本屋の本は片っ端から読み漁り、騎士学校にいる間も、休みの度に図書館へと足を運んでいた。

 ある休みの日を境にエリックは突如訓練に身を入れるようになった。みるみるうちに細い体に筋肉がつき、剣の腕も次第にあがっていく。ハロルドを含め誰もが目を見張った。


『何故急にやる気を出したんだ』


エリックは初めこそ誤魔化して目を泳がせていたが、にやけ顔ですぐに白状した。


『運命の人に出会ったんだ』


 その時ハロルドは思った。頭が沸いたのだと。しかし頬が赤く染まったエリックの目は見たこともないくらい優しく真剣な目つきだった。


『それで?その相手は誰なんだ』

『驚くなよ?』

『大抵の事では驚かないから要らぬ心配はするな』


 エリックは周りで誰もいないことを確認するとハロルドの耳に顔を寄せて言った。その言葉にハロルドは一瞬気を失った。


『聖女のリリー様だ』


 当時リリーは、活気に満ちた聖女として民衆から慕われていた。聖女としての役割を果たそうと懸命に従事している姿に民衆は心を打たれた。そんなリリーはお忍びで行った図書館でエリックと運命の出会いを果たした。二人はすぐ恋に落ち逢瀬を重ねることとなる。

 密会を重ねた二人の関係は間もなく明るみになった。聖女の騎士や教官は酷く激昂した。別れることを視野に話が進んだが、二人は受け入れることはなかった。結局リリーは自ら聖女の座を降りることを決意し、またエリックも騎士学校をやめると言った。

 リリーの条件は聖女が見つかり次第叶うことになったが、エリックはそうもいかなかった。彼の知識、そして磨かれた剣の腕を捨てるにはあまりにも惜しまれて、学校に残った。卒業時、誰よりも良い成績を残したエリックに、次の聖女となったローズの騎士に任命されることとなる。


 二人は結婚した。赤子にもすぐに恵まれた。前聖女と現聖女の騎士の子供には国象徴ともいえるオリーブから名前を貰い『オリヴィエ』と名付けられた。エリックは聖女の騎士としてローズからも民衆からも信頼を得ていた。全てが順風満帆だった。

 しかし二人の幸せは長くは続かなかった。リリーは若くして体を崩しほどなくして亡くなった。エリックは暫く立ち直れないほど憔悴しきっていた。しかし聖女の騎士という肩書と、リリーの忘れ形見であるオリヴィエを育てる使命が彼を奮い立たせた。


『でも騎士なんて、国や聖女の為ならいつ死んでもおかしくないだろう?』


 エリックは度々死を覚悟したことを言うようになった。馬鹿なことを言うなと喝を入れることもあったが、エリックは言うのをやめなかった。


『もしもでいいからさ、聴いてくれよ。俺が死んだら、オリヴィエを頼みたい。大事な一人息子だから信頼できるお前にしか頼めないんだ』


 その時ハロルドは決して頷かなかった。そんな日は来くるはずがない。そう信じていたからである。

 しかしエリックは己の死を予感していたように、巡礼中に命を落とした。彼はローズの体に起こった変化をいち早く察知していた。誰もがただの風邪だとタカを括っていたが、エリックは真剣だった。万能薬のことも皆に話していた。もしそれが見つかればすぐに体調も良くなると。無論、誰も信じなかった。ハロルドも流石にそれは眉唾だとエリックをあしらった。



「エリックは大精霊の元に万能薬があると信じていた。だからあの日も———ウンディーネの神殿に巡礼した夜に一人で神殿に向かったことはなんとなくわかっていた。しかし私はエリックが野営地を離れたことを誰にも報告をしなかったのだ。ウンディーネに掛け合って断られたらすぐに戻ってくるだろうと思っていた。しかし一夜経っても彼は帰ってこなかった。そして夜が明けて崖から転落したと思われるエリックが発見された。あの時もっと信じてやれば良かったのだと今でも後悔している」


 それからというと、ハロルドは約束通りオリヴィエを引き取り、ローズの騎士となった。そしてずっと考えていたのはエリックが言う万能薬のことだった。しかしローズの体調は回復するどころか悪くなる一方だった。生前、エリックが王都の外れにある魔女の店で薬を買っていた事を思い出す。それも皆には明かしていなかった。普段は医者が調合した薬を飲ませていたが、症状が酷いときエリックが貰って来た薬を飲ませていたのである。ハロルドはエリックの名前を出し、スカーレットから同じ薬を買っていた。それをローズに飲ませると症状は少し落ち着いたように見えた。

 しかし原因不明の病はローズの体をゆっくりと蝕んでいった。

 ついに先日ローズから召喚の儀を持ち掛けられたころ、ずっと頭にあった万能薬のことをローズに切り出した。もし召喚が成功すれば、まずエネロの町への巡礼を許可するようにローズに頼んだ。エリックの息子であるオリヴィエなら万能薬のことに気付くかもしれない。

 ハロルドは即座に行動に移した。次の聖女にはオリヴィエを騎士に出来るか教官に確認した。元々真面目で優秀と聞いていた。親のひいき目を除いてもオリヴィエは騎士に向いていると思っていた。実際教官は聖女の騎士へと推してくれた———本人が地方騎士を希望していると聞いたときは頭を抱えたが。

 ローズの書状を陛下に手渡す際には、民衆の為にすぐに巡礼に出向くように進言した。陛下は首を縦には振らなかった。右も左もわからぬような者に巡礼を任せることを憂慮した。慣例通り聖女としての役割を学んでからの方がいいと仰ったが、大聖堂に日々多くの民衆が助けを求めている状態を重ねて述べ、もし聖女に何かあれば自分の首と引き換えること条件に、陛下はついに折れて許可を出した。



「神殿にて呪術師を捉えたと連絡入ってから大聖堂での空気ががらりと変わった。それから私は聖女毒殺未遂の嫌疑にかけられた。そこで確信した。おまえが万能薬を手に入れたとな。今はどこにあるんだ」

「クリスに渡してある。今はどうなっているか判らないけど」

「それなら安心だ。マヌエルが手を回してくれている。後は間に合うかどうかだが…」


 ハロルドは息を大きく吸って吐いた。


「ただ、おまえたちをこんな風に巻き込んでしまったのは私の責任だ。謝って済む問題ではないと承知しているが、せめて、処刑時に嘆願しようと思う。免れる、のは難しいかもしれないが、必ず、かけあってみせる」


ハロルドは消え入る声で言った。


「俺の命なら構わないさ。これでもレスター家の息子で騎士だ。覚悟はできている。二人分の命ならオリヴィエは赦される可能性があがるだろう?」

「俺だって…!」

「分かってるさ、オリヴィエ。お前は俺の弟なんだから。だからこそ一人でも生き残ってレスターの姓を閉ざさないでくれよ」

「兄さん…」

「ばっか!泣くな!それに叶えばって話だし、全員そろってあの行きの可能性だって普通にあるんだ。あんま期待してくれるなよ」


 ラインは軽やかに笑った。オリヴィエは泣くように笑った。ハロルドも小さく笑った。三人の笑い声が地下牢中をこだまする。

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