第十九話 一縷の望みにかけて

 朝も早くない時間にも拘わらず、街はひっそりと静まり返っている。やけに静かで不気味だ。普段なら各地から救いを望む人々が大聖堂に向かって歩きごった返している。そんな巡礼者に向かって商人が自慢の品を買ってもらおうと呼び込む。開けられた窓を覗けば職人が一心不乱に仕事に打ち込む様子が見えていた。今は王都騎士や憲兵が見回っているだけで、王都の善良な住民は人っ子一人歩いていない。


(一体何があったのかしら)


 ハロルドやスカーレットに捕縛命令が出ているなんて。王都騎士が告げてきた言葉を反芻したが実感がわかない。でもオリヴィエは目の前で拘束され連れていかれてしまったことで、事実なんだと思うと、体に流れる血液が凍り付くような寒気を感じた。オリヴィエが居ない今、一人ですみれを守り切らねばと無理矢理恐怖心を振り払う。


 マヌエルは大聖堂とは違う道へ進んでいった。どこに連れていかれるのか訊ねたかったが、黙っておとなしく着いていく。


 クリスには見慣れた娼館通りへとやってくる。マヌエルは路地に入った。クリスはぎくりとした。慣れている道とはいえ大通りしか歩いたことがない。子供のころからスカーレットから、路地に入ったり、のんびり歩いたり、もちろん店に入ることも駄目だときつく耳に胼胝ができるほど言いつけられている。道を間違えているのかもしれないと思い声をかけようとしたら、マヌエルは人差し指をたてて口元に当てた。


 建物と建物の間の道は酷く狭い。すれ違う時にも体を仰け反ったり譲ったりしないと通れないほどだ。それも道端にはゴミ箱や木箱が乱雑に置いてあるから足元にも注意を払わないと躓いて転んでしまいそうだ。


 とあるドアの前に辿り着くとマヌエルはノックをした。


 トンッ!トトトッ!トントン!

 

 すると中からもノックの音が聞こえる。


 トトトッ!トンッ!トトン!


 その音を聞いたらマヌエルはドアノブに手をかけてゆっくりドアを引く。


「お待ちしておりました」


 丁寧な口調で出迎えた男は丈の短いブリオーを着ているが聖騎士だという。男は二階に案内した。ノックをしてドアを開けると娼館の女主人———最近酔っ払いに絡まれた時大笑いしていた彼女が、スカーレットと共に待っていた。クリスは驚き口をあんぐりと開けた。自分が捕らわれそうになったとき、スカーレットもすでに捕らわれてしまったのだと思っていたので、目の前にスカーレットがいるなんて信じられなかった。


「クリス!すみれ様!」


 スカーレットは椅子が倒れんばかりの勢いで立ち上がり駆け寄って二人を一度に抱きしめた。


「無事でよかった!本当に無事で…」


 更に腕に力を入れられ三人は団子状態である。


「大丈夫だよ。この通り、ね」


 宥めようとクリスは声をかけたがスカーレットはうんうんと頷くばかりで離そうとしなかった。スカーレットが鼻を啜った音が二人の耳に入った。それぞれの手がスカーレットの背中をポンポンと叩いた。


「本当に無事でよかった。話すこともあるんだろう。この部屋は自由に使っておくれ」


 女主人はクリスの肩に手を置いて、スカーレット程ではないが力をこめて撫でた。


「ありがとう。スカーレットを匿ってくれて」

「いいってことよ。スカーレットやあんたにはいつも世話になってんだから」

 クリスは抱きしめられたまま女主人に目線をやり礼を言うと、彼女は口端をあげて目を細めた。


「じゃあ、この部屋は自由に使ってくれていいから。もしなんか必要なものがあるなら遠慮なく言いな」

「私も見張りを続けます」

「任せたぞ」


 案内した男は女主人の後を追って部屋を出る。

 クリスは少し体の力が抜けたが、頭の中はまだ混乱している。


「お疲れのところ申し訳ございませんが、状況をお伝えしてもよろしいでしょうか」


 マヌエルは重い口を開いた。勿論だとすみれは頷き返す。マヌエルは無言で、四脚あるうちの一つの椅子を引き座るように促した。そこにすみれが座り、クリスはすみれの隣に自ら椅子を引いて座り、クリスの向かい側の椅子にマヌエルが座った。

 スカーレットだけは席につかず部屋に備え付けてある簡易のキッチンで魔法石で火を入れてお茶を淹れるために湯を沸かす。


「どこから話しましょうか」


 訊きたいことは山ほどある。クリスはどこから手を付ければいいのか考えてから口を開いた。


「オリヴィエが捕まった理由は?」

「ハロルド様のご子息だからです。実子のライン様も拘束されてしまいました。罪状はローズ様の暗殺未遂です。長年にわたって毒を盛っている疑いが掛かりました。その薬をスカーレット殿から手に入れているのだと裏どりが取れたのです」


 エネロの神殿で三人が話していた内容をマヌエルがつらつらと話した。あれはそれぞれが想像で話した内容だったのに、まるで答え合わせのようだ。


「その薬に毒が入っている可能性があるとフィグ様が申告なさって、調査をすることが決まりました。調査の結果、薬の出どころがスカーレット殿の店だと判明しました。薬を買い付けに行っていたハロルド様はそれをお認めになって拘束されました」


 クリスはスカーレットを見た。丁度お茶が入ったと、それぞれの前にマグカップを置く。マグカップからは湯気が立ち上り、はちみつが入っているのだろう、ほんのり甘い香りが漂った。スカーレットは空いている席に「よっこらせ」と腰をかけた。

 本当に買い付けに来ていたのか訊ねるとスカーレットははっきりと言った。


「確かにハロルド様は来ておられたよ。かれこれ八年くらいかねえ…その頃のハロルド様は聖女の騎士の補佐官をなさっていて、エリック様の代理でいらっしゃった。今ではお得意様の一人さ。初めはね、聖女様が魔女の薬なんて飲むわけないと突っぱねていたんだけど、ローズ様は先代の魔女———エスメのことを信頼なさっておられて、その弟子の薬なら飲めると仰ったそうなんだ。恐らく先代の聖女様か、国王陛下、誰かはわからないけど、エスメの話を聞いておられたんだろうね。とにかく私もそれならばと、処方することを決めたのさ。彼女の症状を聞いて調合した。初めの二年はよく効いているとハロルド様から聞いて胸を撫でおろしていたけど次第に薬を貰いにくる回数が増えてきてね…一度症状を直に見たいと言ってみたんだけど断られてしまったよ。どうしても許可が下りなかったそうだ。それからハロルド様はここに訊ねてくる回数が少し減っていた。それでも二週間に二、三度はいらしたよ。以前よりも慎重になっておいでのように見えたかねぇ…」


 スカーレットはため息をついてマグカップに口を付ける。


「でも、それは状況証拠、ですよね?スカーレットの薬に毒が入っていた証拠にはならないでしょう?」

「ああ。ただ、宮廷医師が調合したものとは別の薬を飲ませていたことが拘束する理由になった。具体的に調べることもなく命令が下ったので私も不審に思い、信頼できる部下を数人と共にスカーレット殿に手が及ぶ前に匿うことにしたんだ」

「驚いたよ。急にマヌエル様がいらして、すぐに家を出る準備をしてくださいって仰るもんだから、とにかく貴重品だけ詰め込んで言われるままに家を出たのさ。王都を出た方がいいって言われたんだけど、あんたたちのことが心配でね。それでここにお願いしたら快く引き受けてもらえて本当に助かったよ」


 王都を出た方が安全であるのは確かだったが、スカーレットの行く当てはないし、クリス自身、王都に戻ってきてスカーレットの姿が見えなかったら気が気でなかっただろう。まだ気は抜けないが少なくとも一時でもクリスは安心できた。


「ただ予想以上に大事になってしまったのは、やはりハロルド様の拘束が関係していいる。彼が捕まったことは即座に世間に広がり、それまでのハロルド様や、不敬にもローズ様に対する不信感が爆発したようで、人々は大聖堂や王城に詰め寄りました。収拾がつかなくなってしまい一時的に戒厳令が敷かれたのです」


 それで王都が閑散としているのかとクリスは納得した。

 ローズの代になってから、エリックの急死やハロルドの就任以降、ローズが民衆に顔を見せなくなったこと、そして地方の瘴気の広まり、あらゆる不安の種は積もりに積もって国家への不審へと変貌した。そこに人々が疑念を抱いていたハロルドが捕まったとなると、それみたことかと牙を剥いたのである。


 王都の人々は家から出ないように命令を下された。一時的には効果はあるだろうが、人々の疑念を払拭しないまま続けばまた混乱が起きるだろう。クリスは眉を曇らせた。


「マヌエル様はスカーレットを助けてくださったからには、陛下やフィグ様の納得されていないのですよね?」


 クリスがおずおずと訊ねるとマヌエルは迷わず首を縦に振った。


「当然だ。ハロルド様がまだ補佐官の頃からよく知っている。彼は曲がったことは嫌いな性格だということは彼を知る殆どの人はわかっている。ローズ様を苦しめるような真似は絶対にしないと、部下としてもかつての同僚としても信じている。それにローズ様に毒を盛った疑いは今に始まったことではない。君はハロルド様の先代にあたるエリック・リリジェン様のことは知っているか?」


 クリスはこくりと頷いてから言った。

 オリヴィエの実の父親で、ウンディーネから万能薬を受け取った話をするとマヌエルは目を見開いた。


「ウンディーネ様?」


 七年前、ローズの巡礼の旅にフィグの補佐官としてついて行ったので大精霊に見えたこともある。すみれは初めてローズに会った時のことを話し、ウンディーネから万能薬を貰ったと実物をみせた。


「これが…精霊の万能薬…本当に存在したとは!」


 あまりに驚いて体の力が抜けたマヌエルは、伸ばしていた背筋を背もたれにとんと背中を預ける。そして首の後ろを擦ってどうにか冷静さを取り戻そうとした。

 そして確かに生前のエリック様がよく皆にその薬のことを話していたこと、本をみせては探してみないかと持ち掛けられたこと、でも皆おとぎ話だと笑って信じようとはしなかったこと、そんなおとぎ話のようなものに時間を割かれるわけにはいかないと話した。


「では…ハロルド様はやはり犯人だと思えない。エネロの町へ行くことを薦めたのは誰でもないハロルド様だ」


 マヌエルはそこまで言うと急に口を閉ざし眉間に皺を寄せた。


「どうか、されましたか?」


 クリスはマヌエルに訊ねると「あ、いや…」と口を濁した。

 部屋を勢いよく、ノックする音がした。マヌエルは立ち上がりドアを開けるとここまで案内した騎士の男が青白い顔で息を荒くして言った。


「大変です。処刑の日時が明日の朝と発表されました」

「明日だと!?」


 これまでにない張りつめた声にクリス達も目を剥く。オリヴィエが明日には処刑される?クリスは突拍子もない展開に血の気が引いた。

 マヌエルは、騎士に新たな情報が入るまで見張りを命じてドアを閉める。


「こうなってはもう考えている場合ではなくなった。至急その万能薬をローズ様に飲んでいただいて、処刑を中断させるしかない」


 残念だがすみれを聖女と認める民衆は居ないだろうと言いにくいことを、マヌエルははっきりと付け加えた。更に非常事態も相まってパニックを起こさせるわけにはいかないから、現状聖女であり陛下と同等に発言権があるローズの権力が必要になると言った。


「それで、ノーブル、君に頼みがある」

「は、はい。何でも仰ってください」


 マヌエルが言うには今の大聖堂は殆どの者が締め出されているという。聖騎士でも聖女の騎士に近い立場の人間や、聖女の世話係の女中しか残っていない。聖女の部屋の付近は特に厳重に見張られているという。このままでは万能薬を飲ませるのは不可能だ。

 そこで明日の広場で行われる処刑を利用すると言う。特に聖女暗殺未遂の罪として大体的に行われる。聖騎士、王都騎士、そして民衆は一斉に広場に集中する隙を狙って聖女の部屋に忍び込んで万能薬を飲ませるという計画をマヌエルはつらつらと話した。


「そこで君には処刑を行わせないように目を惹いてほしい」

「それは、どういう…」

「君が聖女の身代わりになるんだ。新たな聖女と名乗り、処刑の中断を命じろ」

「処刑には国王陛下やフィグ様も立ち会いますよね?すぐにばれるのでは」

「ばれても構わない。それが嘘だと見破れる者はいない」


 マヌエルは自分の髪を触りながらクリスの容姿を示した。

 クリスは息を飲む。とんでもない作戦だ。クリスにとって聖女を騙ることはとんでもなく恐れ多い。しかし悩んでいる場合ではない。

 体が震えている。それでもやるしかない。クリスは臍を固め頷いた。

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