プロローグ3 数日前の話

 日に日におぼつかなくなる体は実に忌々しい。呼吸をひとたびすると体に雷が打たれたように痛みが走る。体を起こすことも一苦労である。

 どうしてこうなってしまったのだろう。ローズはベッドの上で天蓋をぼんやり眺めながら己のどうすることも出来ない不甲斐なさを責めた。

 六年前までは大きな病気もすることなく聖女として国中を巡り、小規模な瘴気を浄化していたことが嘘のようだ。年月を経るごとに巡礼が減っていた。今では外に出ることも殆ど出来ず大聖堂の棟に篭るばかりである。

 ベッドに横たわり縦長の窓から見える空の様子を伺うことだけが、今のローズには世界の全てだ。ベッドしか使われない広い自室が、惨めさをより際立たせた。


 聖女の地位を受け継いで十二年、自由のきかない体では先代までの聖女よりもずっと短い任期になりそうだと、ローズはどうしようもない自己嫌悪に陥った。自分の無力さが悔しくて情けなくてたまらない。国民は希望でもある聖女がこんな姿だとは思ってもいないだろう。瘴気が国中で発生していると聞く今、こんな姿を見せて民を動揺させるわけにはいかないと彼女の騎士から助言を受け、病状のことは外に漏れないように戒厳令を敷いている。


 サイドテーブルに置いてあるベルを痺れる指で探し当て、なんとか力を入れて振る。すぐにドアのノックがした。


「失礼いたします」


 一人の騎士が自室に入ってきた。消え入りそうなか細い声で名前を呼ぶとハロルドはベッドの傍にやってきて跪いた。目の周りが窪む程彫りの深い青白い顔は、ここにいる誰よりも不健康そうに見える。表情も読みにくく何を考えているかわからないハロルドを不気味だと言う人もいる。

 聖女の騎士が六年前に一人事故で亡くなってから二代目として就任した頃、あまりにも暗すぎるので相応しくないと言われることもあった。実際は歴代騎士を何人も排出しているレスター家の名に恥じぬ騎士道精神は信頼に能うものである。


「如何なさいましたか」

「代筆をお願いするわ」

「わかりました。どのような内容でしょうか」

「国王宛てに正式な文書を。召喚の儀を行うようにと記して頂戴」


 ハロルドは目を大きく見開いた。どういうわけか直ぐに訊ねたかったが「かしこまりました」と頭をさげた。

 歴代の聖女が使っているアンティークのビューローデスクを開けて紙を一枚取り出した。迷うことを知らないとでもいうようにさらさらと文面に起こして、その辺に置いてある適当な本と紙をローズの傍に持っていく。ローズの体を起こすのを手伝い、本を机代わりにしてペンを手渡した。ローズは震える手でなんとか歪なサインを記した。

 ペンを置いてひとつ息をつこうとしたら痛々しいほどの咳が出る。ハロルドはローズの華奢な背中をさするが一向に止まりそうにない。ハロルドはサイドテーブルの引き出しを乱暴に開けて、小瓶に入った液体の薬を取り出した。蓋を開けてそのまま飲むようにと口元に近づけると、ローズは震える指先をハロルドの手ごと添えて「ゆっくり」と掛けられる声に合わせて慎重に口をつけた。

 暫く荒い息と共に出る咳が部屋に響く。背中をゆっくりと擦る手に合わせて息が落ち着いてくる。


「情けない姿を見せてしまったわね…」

「何を仰いますか。あなたが生きていることが全てですよ」


 ハロルドはしかめっ面のまま優しい言葉をかけた。


「瘴気が国中に広がっているのでしょう?それに何年も民に姿をみせないままでいるのは、聖女としての務めを果たせていないことと同じよ」

「使命に懸命なこともご立派ですが、今はご自身のお体のことをお考え下さい」


 ローズは何も言わなかった。今の自分には何もできないことは充分承知している。ハロルドの言うように今は身体を休めるしかなかった。

 薬が効いてきたことで瞼が今にも落ちそうだ。ハロルドは擦っていた手を止めて、ゆっくりとローズの体をベッドに戻し掛け布団を肩までかけた。


「ゆっくりお休みください」


 すでに瞼を落としたローズに向かって、ハロルドは胸に手を当ててお辞儀をし敬意を表した。

 

 部屋を出て小さくため息をつき左の掌をじっとみつめた。まだ二十八歳というのに体には骨の上に皮だけがある、まるで老婆だと思うほど細くなっていることに危機感を覚える。ハロルドはローズを励ましていながらも次の聖女のことが頭を掠めてしまっていることに嫌悪感を覚えた。

 

 ハロルドは飲ませた薬を補充するために塔の階段を下りた先にある救護室にむかった。

 廊下を歩いていると先にある角から聖女付きのメイドたちの甲高い声が聞こえてくる。繰り言のようだが彼女たちは周りを気にしている様子はない。普段なら何も言わず立ち去るところであるが、ローズの自室に近い場所だ。せめて声を抑えてもらおうとメイドの声がする方向へと進む。


「もういい加減新しい聖女様が見つかっても良いころだと思うわ」

「…こんなこと言っちゃなんだけどあの状態じゃ、そう長くないわよね」

「そうよ。お気の毒だけど世界がかかっているのよ?最近は瘴気が王都にまで広がってるって言うじゃない。大聖堂にも穢れにあたったって聖女の力を求めて毎日長蛇の列になっているのよ」

「そうそう、各地の聖職者が集められているけど間に合ってないそうね。やだわぁ。もし瘴気が大聖堂にまで広がったら大惨事よね」


 ハロルドはあまりにも不敬だと眉間をぐっと寄せた。あの小さな体で民を憂いているというのに勝手なものだと怒りがわいてくる。一言物申そうと足早に近づいたが曲がり角直前に足が止まった。


「それもこれもレスター様がいらしてからのことよ」

「ああ、言えてる。レスター様がいらしてから聖女様の体調が更に悪くなったわよね」

「お顔も不気味だし何考えてるかわからないし怖いのよね。それに騎士の二代目なんて前例にないって聞くわ。不吉の象徴みたいな人よ」

「やだ、こわぁい」


「こぉら!そこまでだ」


 一歩踏み出すか悩んでいると聞きなれた声が彼女たちの繰り言を止めた。


「フェレメレン様!」

「君たちの心配もわかるけど、そんなことを大きな声で話すもんじゃないよ。ここは聖女様の寝所のお近くなんだから、特にね。誰が聞き耳を立てているのかわからないんだから。不敬でしょっ引かれてもおかしくないんだぞ?」


 自身だけでなく一族郎党縛り首になる不敬罪を想像してか彼女たちの顔はあっという間に血の気が引き肩をぶるりと震わせた。


「それに思うほどあいつは怖くないよ。確かに顔は病的に白すぎて、やばいのはわかるよ。あの聖女様だって初めは恐ろしくて顔が引きつっていたんだから、君たちが怖がるのも無理はない。でも誰よりも真面目で聖女様のことを一番に思っているレスターは聖女の騎士に相応しいと俺は思うな」


 フィグ・フェレメレンはその様子にふっと笑い、いつもの優しく甘いマスクと声で諭した。曲がり角からそっと様子を伺うと彼女たちは反論することなく項垂れているのが見えた。


「君たちがいつも頑張ってくれてるから俺たちも聖女の騎士でいられるんだ。一人一人笑顔でいることが強いては世界のためにもなるんだから、ね」


 気障ったらしくウインクをすると彼女たちはきゃあと喜び頭を下げて、ハロルドがいる方へと駆けて来た。すれ違ったが、彼女たちは壁に同化するように気配を消した彼に気付くことはなかった。


「やあ壁のハロルド」


 ゆっくりとした足取りで彼女たちの足跡を追うようにやってきた。挙げた手をプラプラと振り、もう片方の手には小さな紙袋があった。


「助かった」

「お、感謝してる?いいねえ。是非形にして礼を貰えるとありがたい」


 ハロルドは普通の顔をしていても眉間に皺が寄る。大体の人はそれを見て委縮し恐れてしまう。


「冗談だって。あの子たちも本気なわけじゃないし、そんなに気になさらんな」

「わかっている」

「そうだな。お前さんはそういうやつだよ。さっきも出てこなかったのは、ローズ様のことだったらさっさと出てきて諫めたが、自分の話になったから出て来辛くなった。そんなところだろう?」


 人の心を読むような口ぶりで語るフィグの言葉に黙り込んだ。全くその通りで、反論も必要なかった。しかし肯定するのも癪に障る。


「それで?聖女の塔を降りてくるってことは何か用事か?」

「ああ、発作止めの薬を取りに来た。先程咳が止まらなくて飲んでいただいたんだ」

「なるほど。それなら丁度ここにある。昼飯買ったついでに医者から貰って来たぜ」


 持っていた紙袋を差し出した。フィグは目端が利く男だ。あれこれ気付いては先回りして用意してくれる。ハロルドは「ありがとう」と言って袋を受け取った。そしてフィグと肩を並べて来た道を戻る。


「どうした?そんな神妙な顔をして。さっきのメイドに言われたことを気にしているのか?」

「そうではない。先程ローズ様から陛下への文書を託された。召喚の儀を行って欲しいとのことだ。私はきいたことがないが、聖女を召喚することは普通なのか?」


 フィグは神妙な面持ちで「そうか」と呟いた。


「珍しいことだよ。歴代の文書によると一般的には聖女がを通じて次の聖女を指名するんだ。それから聖女の騎士が次期聖女を迎えにいって大聖堂に呼び寄せる。俺とエリック…おまえの先代の騎士でローズ様を迎えに上がったよ。でも正直言ってあの役目は正直二度とやりたくはないな。急に聖女に選ばれたといって家族から引き離すのは見てられない。一度選ばれた聖女は家族の元に帰ることは出来ないし、今生の別れを言い渡すはめになるなんて想像もつかないだろうな」


 憂いを帯びたフィグの目は当時の光景を鮮明に描いた。父親の罵声、手を伸ばし泣き叫ぶ母親、その母親を慰める妹、村人は遠巻きにそれを眺めて自分の娘でなくて良かったと安堵する様子、どれもが目を背けたい光景だった。

 そんな中ローズだけが凛として迎えに来た馬車に迷いなく乗り込んだ。恐れ多いと知りながらも馬車の中で挨拶をしなくても良かったのか訊ねると「手紙を残したから」と淡々と答えたとフィグは懐かしそうに言った。


「そういう意味では召喚の儀だと、俺たちのような騎士があの光景を見なくて済むのは正直ほっとする。それでも召喚の向こう側では急に消える娘がいるから、家族を思うと、な」


 見ることのない聖女となる娘の家族を思ってフィグは憂いた。自分たちのことしか考えられないメイドや今の聖女のことばかりに目がいかない自分と違ってフィグの広い視野は尊敬に値するものだとハロルドは感心した。


「ま、考えても俺達には政治のことに首を突っ込むことは出来ないし上が決めたことに従うしかないんだ。俺らは聖女の騎士なんだからローズ様のことだけを考えようぜ。少しでも楽にしてやらなくちゃな」


 フィグは大きく笑った。どかっと背中を叩かれたハロルドは思わずよろけた。翳った表情を必死に隠すような笑い声だった。



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