第103話

「宗くんと何があったの?って、聞いてもいい?」



 黙って俯いていた僕に、実くんの優しい声。

 その声に上げた顔、視線の先に、声のままの優しい笑みを浮かべた実くん。



「宗くんと明くんに、何かあったんだろうなあっていうのは、みんな分かってる。でも、聞いていいのかなあって、みんな悩んでる」

「………ごめんなさい」

「ううん。ごめんなさいじゃなくてね」



 そこまで言って実くんは、そうだって急に立ち上がって冷蔵庫を開けた。



「明くん今日で1学期が終わりだから、ボクからのお疲れさま」

「………え」



 冷蔵庫からお皿らしきものを取り出して、僕に背中を向けたまま何かして、そして、どうぞって、僕の前に。



「チョコブラウニーだよ」

「………」



 チョコブラウニー。



 これは、宗くんと僕の誕生日のお祝いをするのにみんなで集まったとき、宗くんがホールで食べていたやつ。



 宗くんの話をしているときにこれ、は、偶然なのか、それとも実くんの作戦的なものなのか。



 どちらか分からないけれど、僕はチョコブラウニーから思いっきり宗くんを連想して、思いっきり思い出して、視界が歪んだ。涙が浮かんだ。



 宗くんと一緒のときの、宗くんに触れたときの、宗くんのにおいに包まれたときの、どきどきと、言いようのない安心感。ここだっていう。



 一瞬でもその感覚を知ってしまったら、人間ってダメなんだと思う。



 知ってしまったら、知ってしまったから、もう知らなかったときに心が戻れない。



 不足。足りない。飢える。

 ここだって安心感を、僕の心が全力で求める。



 宗くんがいない。

 宗くんが来ない。



 それは僕のせいなのに。僕が覚えていないから。なのにその僕が求める。



「………実くん」

「ん?」

「僕は小さい頃、どんな気持ちで宗くんを見てたのかな………。記憶って、このまま戻らないのかな………」



 同じ僕なのに、僕は小さい頃の僕の気持ちが分からない。

 僕のことなのに、僕は今の僕の気持ちが分からない。



「………明くん」



 チョコブラウニーを前にして本格的に泣き出した僕に、実くんの困惑声が聞こえた。






「………そんなことがあったんだね」



 自分ひとりじゃもうどうしていいのか分からなくて、永遠にどうしていいのか分からなさそうで、実くんにならいいやって、僕は実くんに全部を話した。



 おにぎりを渡すときに握られていた手のことも、神社に行って手を繋いだことも、立ちくらみを起こして支えてもらって、思いがけず密着したことも、そのときに僕が思ったことも、最後宗くんに言われたことも。



 実くんは僕を茶化すことなく、揶揄うことなく真剣に聞いてくれた。



「これはボクの感想なんだけどね?」

「………うん」

「宗くんと一緒にうつってる保育園の写真を見る限り、明くんは宗くんのこと世界でイチバ好きだよね」

「………えっ?ええ⁉︎せっ…世界でイチバン⁉︎」

「うん。そんな風に思う顔だったよ」

「すっ…好きって実くんっ………」

「もちろん、それがどんな『好き』なのかまでは分かんないよ?でも、あんなにも満面に笑う明くん、初めて見たから。もう全身で言ってるよね、『だいすきー‼︎』って。明くんと宗くんのお互いで」

「だっ…⁉︎だ、だいすき⁉︎」

「うん。『だいすき』。ボクにはそう見えたよ。明くんにはそうは見えない?」



 聞かれて。

 すごく真顔で。すごく真面目に。



 思い出す、写真。



 部屋に持って行って、じつは何度も何度も、毎日毎日眺めている写真。



『だいすき』。



 その言葉が、僕の中で宙ぶらりんになっていた気持ちに、すとんってはまった。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る