第85話

「た、食べよ?」

「………」



 何て説明したらいいのか分からなくて、宗くんのお腹の音を理由に誤魔化した。

 そしたら宗くんは、明らかに唇を尖らせて、目を睨むみたいな目に変えた。



 ………怒らせた。



 どうしようって思ったところで、誤魔化した事実は消えない。

 だからといってどう言っていいのか分からない。



 宗くんの所作がキレイだなって思って、見ている、目を奪われている、見惚れているんだよ、なんて、兄弟間で言う言葉じゃない。同級生でも、幼馴染みでも言う言葉じゃない。



「………」

「………」



 お弁当に視線を落とす僕。

 チッて聞こえた宗くんの舌打ちが、僕の軟弱な心にぶすりと刺さった。



 怒った。怒らせた。

 今日は宗くんの誕生日のために会ったのに。



 宗くんは無言のままお弁当を食べ始めて、僕は。



 ………僕は、久しぶりに自分で作ったお弁当を、ほとんど食べることが、できなかった。






 宗くんは、食べ終わってごちそうさまでしたって手を合わせてすぐ、立ち上がってキッチンの方に行った。

 聞こえてきたのは水の音で、テーブルにお弁当箱がない。



 お弁当箱を、洗ってくれているんだ。



 怒っているのに律儀に手を合わせてごちそうさまを言って、怒っているのに律儀にお弁当箱を洗ってくれている。



 でも、怒っているなら。



 僕はきっと、このタイミングで帰った方がいい。というより帰りたい。

 このままじゃお腹が痛くなりそう。胃の辺りはもう重い。



 僕は広げたのにほとんど食べていないお弁当に蓋をして、お弁当の下に広げていたバンダナでお弁当箱を包んで縛った。

 保冷バッグと僕のリュックは宗くんがいるキッチンの方のテーブル。



 謝って帰ろう。

 ここからならひとりでも歩いて帰れる。



 そう思って、ゆっくりと立ち上がった。



「………っ」



 ゆっくりと立ち上がったはずなのに、立った瞬間目の前が黒のマーブル模様になって、よろけた弾みで足をテーブルにぶつけた。



 ガタンって音。

 ぶつけたところが痛いのに構っていられないのは、目の前が上下逆になるみたいな浮遊感に襲われているから。



 せめて倒れないようにって膝をついた。



「明⁉︎」



 慌てる、焦る宗くんの声。

 気配がぶわっと動いて、宗くんがこっちに来てくれたのが分かった。



「どうした⁉︎」

「………大丈夫。立ちくらみ。すぐ治るから」



 毎回なる訳ではないけれど、絶対ならないとは言い切れない立ちくらみ。

 気をつけてゆっくりと立ち上がったつもりなのに、よりによってここで。今。



 ぐらぐらする頭と視界に動けず、目を閉じて膝立ちのままじっとする。テーブルに手をついて、ひっくり返らないように。



 ほんの何十秒かを耐えれば、これはすぐに治まる。治ったら帰ろう。



 そう思っていたのに。



「………っ」



 ふわり。



 僕の身体を支えるように、宗くんが。



 びっくりして目を開けた。

 もう立ちくらみはほとんど治まっている。上下逆にもマーブルにもなっていない。



「ちょっと凭れとけ」



 なって、いないのに。



 僕を支えるみたいに、宗くんが。

 宗くんが。



 僕をふんわり、抱き締めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る