第77話
お茶でもいれましょうかって実くんが立ち上がって、懐中時計に夢中になっていた僕は、すっかり手伝うよのタイミングを逃して、近くで見ててもいいだろうかって言いながら立ち上がって実くんについて行った政さんの背中を見送ることになった。
何を見るんですか、何をって、実くんの声。
でも、言葉ほど声の響きはイヤそうではないように聞こえる。
宗くんと残された僕は、それこそどうしていいのか分からなくて、持ったままだった懐中時計の蓋を開けたり閉めたりと無駄にいじった。
テレビからは笑い声。なのにこの部屋は無言。
そうだ、トイレに逃げるのもありかもしれない。
そう思って懐中時計を箱に置いたときだった。
明って、宗くんが僕を呼んだ。小さく、ぼそっと。まるで怒っているみたいに。
宗くんに呼ばれると、僕はいつもどきんってする。何故か。
さっきは指を食べられた。ケーキも食べられた。
………次は何だろう。
宗くんはあぐらの姿勢を前屈みにして、ズボンの後ろのポケットをゴソゴソした。そして、何か袋を取り出して。
「やる」
「………え?」
ビニールの袋は、ポケットに入れられていたことによって箱の形、四角い形になっていた。
やるって、僕に?何で?
予想外過ぎて頭がまったく追いつかなくて、差し出されたそれを見ているだけだった僕と宗くんの前に、んってそれは置かれた。
「ごめん。誕生日覚えてたのに遅くなった。………おめでと」
「………え」
「これやるから、政のやつばっか見んな」
「………え?」
「これも開けて見ろ」
ぼそぼそ、ぼそぼそ。
怒ったように宗くんは言って、ぷいって横を向いてそのままの向きでテーブルに突っ伏した。
誕生日プレゼント。僕に。宗くんから。
それにもびっくりしたけど、今宗くん、何て。
『これやるから、政のやつばっか見んな』
『これも開けて見ろ』
言われたことを頭の中で繰り返したら、勝手に顔が熱くなった。
それは、どういう意味で。それは、何で。
「あっ…あのっ…宗くん、ありがとう。でも僕宗くんの誕生日全然知らなくて、買いに行く時間もなくて、何も用意してないっ………」
「………知らない?」
「えっ………」
「俺の誕生日、明は覚えてなかったんだ」
「ええ⁉︎えっと………あのっ………」
向かい側。
机に突っ伏したまま、宗くんがちらって僕を見た。
ごめんなさい。
その声と、前髪の間から見えた目に、瞬間的に思った。
すごく悲しそうに聞こえて。見えて。
ごめんなさい。
昔、仲良しだったっていう宗くんを、僕は名前さえ覚えていなかった。
たろちゃんのことと宗くんの引っ越しが重なって、ショック過ぎて忘れたって。
それを僕はまだ、宗くんに言えていない。
言ったら嫌われるかもしれない。もう話してくれないかもしれない。おにぎりを食べてくれないかもしれない。
そう思ったら、イヤで。こわくて。
「………神社」
「へ⁉︎」
「今度神社行くから、明も来い」
「今度⁉︎神社⁉︎」
「お守り買ってくれたら許してやる」
「お守り⁉︎」
「今度俺、試合あるから」
「………え⁉︎」
「日曜日10時に来る。だから早くそれ開けろ」
え?え?ってしているうちに、僕は何故か今度の日曜日に宗くんと神社に行くことになっていた。
日曜日に予定が入っていたかどうかも、焦り過ぎて思い出せない。
入っていたとしてもあおちゃんと出かけるぐらいのはずではあるけれど。
え、何で。え、どうしよう。
パニック状態の僕に痺れを切らしたらしい宗くんがむくっと身体を起こして、僕の前に置いたビニール袋から和柄の包装紙に包まれた箱を取り出した。
そしてそれをびりびりと豪快に破く。
包装紙の下から出てきたのは、長方形の木箱。
宗くんはそれもぱかっと開けて、んって。
僕に見せるように差し出された木箱の中には。
「………刀?」
細い棒に小さな小さな、刀。日本刀がついているものだった。
「しおり」
「しおり?」
「しおり。絶対使え」
これが、しおり?
日本刀の飾りがついたしおり。
しおりって、本の間に挟むやつ、だよね?
「すごい、カッコいいね」
日本刀は、小さいのに作りがしっかりしていて、受け取った箱はしおりにしては重かった。
「鞘抜ける」
「え、本当?」
言われて木箱を置いて、そっと小さな日本刀がついやしおりを取り出した。
鞘は本当に抜けて、小さいのにそれはちゃんと日本刀だった。
「宗くんは、和のものが好きなんだね」
剣道をやっていて、習字もやっていて、プレゼントが日本刀のしおり。
だからそうなんだろうと思って言ったら。
「………明はそれも忘れたのかよ」
「………っ」
それも、ということは、保育園時代には、もう好きで、僕はそれを………知っていた。
拗ねたような口調だった。
そして宗くんはまた、横を向いて机に突っ伏した。
僕は小さな日本刀を鞘にしまって、ありがとうってもう一度言った。ごめんねも一緒に。
「………絶対、大事に使うね」
「………」
「日曜日は神社に行ってお守りね」
それで忘れてしまったことを許してもらえるなんて思わないけれど、少なからず傷つけただろう宗くんへの、謝罪のかわりに。
宗くんは少しの間黙っていた。
これはきっと怒っている。
そうだよね。泣いて、泣き過ぎて忘れてしまうぐらい、僕は宗くんのことが大好きだったんだ。
宗くんだって、誕生日まで覚えていてくれたぐらいには、僕のこと。
もういい加減、覚えていないって、忘れてしまったって、ちゃんと言わなきゃ。ごめんねって。
そう思って、ぎゅっと唇を噛んだのと、宗くんが。
「………ツナマヨ」
「え?」
こっちは向かないままではあったけれど、ツナマヨって言うのが同時で、僕はまた、ごめんねのタイミングを逃した。
「明日、ツナマヨ」
「分かった。明日のおにぎりはツナマヨにする」
「3個」
「分かった。ツナマヨ3個ね。………って、え?3個?ツナマヨ?」
最近は、宗くんも実くんが作ったお弁当を食べているから、おかずがしっかり入っているから、おにぎりはずっと2個で、それで十分だと思っていただけに、3個のリクエストにびっくりした。しかも3個ともツナマヨ。
宗くんはどれだけ食べたらお腹いっぱいになるんだろう。どれだけツナマヨが大好きなんだろう。
じっと僕を伺い見ている宗くんは、やっぱり大きな犬っぽい。
期待で尻尾が左右に揺れているような。
「分かった。明日はツナマヨ3個ね」
「神社でお守り」
「うん、行く」
約束したら、やっと宗くんは、少しだけ笑ってくれた。
「その刀、伊達政宗の愛刀だから」
「伊達政宗の」
伊達政宗の宗が、宗くんの名前の由来。
その伊達政宗の愛刀のしおりを、僕に。
そこにはどんな意味が含まれているのか。
考えても、僕にはさっぱり、分からなかった。
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