第72話
「ここでこんな話をするものではないのだろうが………」
政さんがお箸を置いて改まった感じで言った。
「ここ最近、もしかして俺は元々あまり女性に興味がないのではないのかと思い始めて、だな」
政さんの突然の独白は、ごく真面目な顔と声での独白だった。視線はうちで一番大きいお皿に山盛りだったはずの、そしてもう三分の一ほどになった唐揚げに一点集中で。
「正直、女性に不自由をしたことはない。ありがたいと言っていいのか、次から次へと現れてくれる。初めて彼女というものができた中学生のとき以来、彼女がいなかったのはせいぜい数ヶ月程度だ」
「………あ?モテ自慢か?」
「いや、そうじゃない。ただ、思ってな」
「何を?」
「俺は今まで一度も相手を好きになったことがないんじゃないのか?と」
「好きじゃねぇのに付き合ってたのか?」
「………そうなるな。いつも特に断る理由がなくて、何となく付き合い始めていたからな」
「………最低だな、お前」
「ぐさっと来るが、もっともだ」
唐揚げ一点集中から、隣に座る宗くんを見て眉を下げた政さんが、どことなく寂しげに見えた。
「父上と母上のような夫婦に、普通に自分もなれると思っていたんだが」
「でもそんなの………まだ分からないでしょ?これから出会う人だっているだろうし」
実くんが声のトーンを落として政さんに言った。
落としたトーンは遠慮でか、躊躇いでか。
「………それが」
「………?」
「真美子さんと付き合っていた………というか、付き合っていると思っていたとき、その、何もしなくて、だな」
「何もって?」
「俺は彼女に、指一本触れていない」
「はい⁉︎」
「………どんだけ」
「彼女をいいとこのお嬢さんだと信じていた俺は、彼女の『結婚するまで清いお付き合いをしたい。そうするのが昔からの夢だった』っていう言葉を間に受けて、どこか安心もしていたんだ。ああ、この人にはそういうことをしなくていいのかって。そして気づいたんだ。そういえば今まで、手を繋ぐだの抱き締めるだの、自分から進んでしたことはないな、と」
「………で?出た答えが女に興味ないかも?」
「そういうことだ」
「女じゃなくても、自分の理想に超ぴったりな実みたいなやつも居るって分かったし?」
「は⁉︎」
「………そういうことだ」
「何聞いてんの宗くん⁉︎何言ってんの政さん‼︎あのね⁉︎そりゃ3回も騙されたら、女性不信にもなりますよ‼︎そんなのボクだってなりますよ‼︎それが普通でしょ⁉︎なのに変に自分を疑って自分の過去を否定したらダメです‼︎」
実くんは、言いながらテーブルの上で手をぎゅっと握っていた。
もしかしたら、だけど。
もしかしたら、実くんは嬉しいのかもしれない。本当は。男の人から言われるこういう言葉が。
政さんにご飯を作って、渡して、戻って来たときに見た実くんの顔を思い出して、僕はそう思った。
嬉しいと思うと同時に、ツライのかもしれない。
自分が異性に恋愛感情を抱けないことに、長く悩んでいた………現在進行形で悩んでいるかもしれない実くんだけに。それがどんなことか、分かりすぎるぐらい分かるだけに。
「………ああ、すまない。せっかく弟ふたりの誕生祝いに。自分から話しておいて何だが、この話題はやめよう。悪かった」
実くんの言葉に何も、政さんは答えなかった。言わなかった。話題を変えた。
変えた話題が、弟ふたりの。
………弟。
政さんは、女性不信から冴ちゃんの妊娠を疑ったり、詐欺師とか認めないとか言っている。その後その発言を撤回したということはない。聞いていない。
………なのに、僕のことを弟って。
場の空気を誤魔化すためにか、単に好きなだけか。また勢いよく唐揚げを食べ出した政さんに、僕は。
「僕」
「………?」
「そういう、恋愛とかって全然分からないけど」
「明くん?」
「政さんにいい人が現れるといいなって、僕、思います。………ううん。きっと現れる」
「………明くん」
「実くんにも、だよ?」
思うことを思うように言って、でも恥ずかしくなって。
僕はぬるくなったお白湯を一口、ごくんと飲んだ。
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