第73話

「相手がどんな人であれ、愛する人がいて、その人と共に日々を歩いていけるということは、とてもとても、愛しいものですよ。ね?冴華さん」



 それまで黙っていた辰さんの穏やかな声が静かになった部屋に響いて、冴ちゃんがはいってやっぱり穏やかに、でも力強く頷いた。

 そしてふたりで微笑み合った。



 僕の、薄い薄い記憶の中のたろちゃんと冴ちゃんも、よくこんな風にしていた。

 たろちゃんが何か言って、冴ちゃんが返事をして、笑い合う。



 結婚願望の強い政さんも、そうなんだろうって思う。辰さんと亡くなったお母さんが。

 それをずっと側で見ていて、だからこそ、結婚を夢見ている。理想の夫婦像を追いかけている。



「こういう気持ちも、じきに君たちにも分かりますよ」

「………分かりますかね。三度も騙された俺にも」

「ああ、君はね。しばらくひとりで居なさい。言われるがまま気持ちもないのに付き合うより、その方がいいでしょう」

「………そうですね。まあ正直今は本当に女性は無理です。奇怪な生きものとしか思えない」

「それは君がきちんと自分を見ていないからです」

「………自分を?」

「はっきり言って君はモテる。でも君はせっかく好意を持ってくれて、せっかく勇気を振り絞って告白して来てくれた相手をまったく見ていなかった。つまりそれは結局のところ自分のことを見ていないということです」

「自分のことは、毎日鏡で見ていますよ?」

「じゃあ聞きますが、君はどんなことが好きでどんなことが嫌いで、どんな人間で、どんなときが一番幸せでどんなときが一番不幸ですか?どんな人が好きでどんな人が嫌いで、もしパートナーができたら、その人とどんな毎日を送りたいですか?何をしてあげたい?何をして欲しい?」

「………そ、それは」

「おそらく君には答えることができないでしょう。何故なら君は今までずっと何となくでしか生きていないから。君のそのお腹が何よりの証拠。君の毎日はずるずるとした惰性。まあこれは、今の国と親であるぼくの責任でもありますが………。でもそんなんじゃ、いつまで経っても人を愛することなんてできませんし、また詐欺に引っかかるかもしれないし、もし結婚できたとしても破綻は目に見えているでしょう」

「………父上」

「何でしょう?」

「今日はまた………一段と厳しいですね」

「かわいい息子に、そろそろちゃんとして欲しいですからね。6人きょうだいの長男として」

「………6人きょうだいの、長男」



 辰さんの、政さんへの言葉は、僕の耳にも痛かった。



『何となくでしか生きていない。毎日が惰性』



 そんなことないと言いたいけれど、それは本当なのだろうか。

 僕はちゃんと、生きていると言えるのだろうか。



 その耳が痛いところに、6人きょうだいって言葉。



 政さんを筆頭に、明くん、宗くん、僕、そして冴ちゃんのお腹にいる双子。で、6人。



「そう。君は6人きょうだいの長男になりました。ぼくとしては、君にその自覚を持ってしっかりして欲しいところです」

「………し、精進します」



 政さんが頭を下げて、僕も。



 僕も、しっかりしたい。

 身体が虚弱軟弱なのは体質だから仕方ないにしても、心まで虚弱軟弱なのは。



 お兄ちゃんなのは、政さんだけじゃなくて、僕も、だから。



 ………お兄ちゃん。



 その響きだけで、僕も少しは、強くなれそうな気がした。


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