第42話

 俺がマザーウィル社の社員として久しぶりに出社した日の空は、暗雲とした苦い顔をして復職を祝ってくれていた。


 その日はヨウ爺さんの店へ訪れた日からあまり時間が経っていない。急な復帰命令を出された俺は、まずマリア博士の研究所へ顔を出していた。


 歩いて研究所へたどり着くと、ちょうど俺たちが屋内へ入ってからポツポツと雨が降り始め、瞬く間に本格的な雨模様となった。


 自宅待機と解除を命じた社長のノーヘッドから俺が予感していた連絡はなく、隙間時間を利用して俺はアンドロイドのマリーと共に研究所の地下にあるトレーニングルームへと足を運んでいた。


 地下のトレーニングルームは、飾り気のない白磁のタイルが敷き詰められた家具も何もない部屋だった。広さは小さな家ならすっぽり入りそうなほどの大きい空間で、体育館を思わせる高い天井には埋め込み式の照明がはめ込まれていた。


 降り注ぐ白い人工の光は真夏の太陽とはまた違う眩しさがあり、見上げると自前の機械仕掛けの眼球がうめくように駆動くどうしてノイズ音を吐き出した。


「アンドロイドの試験運転や俺のようなサイボーグのリハビリに使ってる場所だ。ここなら少し暴れたくらいじゃ壊れない。武器を振り回すならぴったりの場所だな。――って、お前に言ってもしょうがないか」


 マリーはエメラルド色のガラスの目を微動だにせず、直立不動のまま俺の言葉を待っていた。


「ようはサンドバックになれって話だ。電磁式のパイルは使わないし、サイボーグ用の特注キックミットもある。手加減はできるさ」


 俺の提案に対してマリーは命令が下されたと判断したのか、初めて返答した。


「了解した。命令を復唱する。キックミットを装着してトレーニングの相手になる。以上か。メインカスタマー、カネツネ」


「おお、察しがいいな。推論能力が高くて助かるよ」


 現代の科学水準だと、ロボットへの口頭命令には課題が多い。人間の言語体系に依存した言い回しの多様さは、正規品と言えども意思疎通の齟齬そごが多くなる原因だった。それが常日頃から開発者たちの優秀な頭脳を悩ましていた。


 それでもほんの数年前と比べて命令プロンプトエンジニアリングは格段に鮮麗せんれいされ、今では言語の種類に応じたプロンプト翻訳ツールが存在する。おかげでAIの認識能力は補完され、実用レベルとなっていた。


 一方で既製品のほとんどはプロンプト翻訳機能が完璧かんぺきとは言えず、先ほどのような間接的なニュアンスだと命令の意図をみ取れないアンドロイドも珍しくなかった。


「さて、こいつの調整を始めるとするか」


 俺はヨウ爺さんが仕上げた、カバンの形をした『パイルバスター』という新しい武器を持ち上げた。


 それはパイルバンカーやラムバッティング装備からアイディアを頂戴ちょうだいした杭打ち武器だった。近接戦闘でも大型のロボットを破壊できるという無理難題なコンセプトでありながら、ヨウ爺さんは短期間で形にしてくれた。


 俺はまずパイルバスターの衝角しょっかく触発しょくはつ式の機能をロックする。戦闘で任意にパイルを打ち出そうとすると、パイルを起動させる余裕がなくダメージを与える最適なタイミングを逃してしまう。それを防ぐために、接触センサを利用した自動作動システムも採用している。


 今はパイルが勝手に動くとキックミットを持ったマリーを破壊しかねない。事故を避けるためにも、武器の一部機能は封じておくに越したことはない。


 また手動式のスイッチも同じように設定を停止した。これで訓練中にパイルが誤って作動する危険性は完全に排除された。


 その間にマリーは特大のキックミットを身に着け、お互い訓練の準備が整ったようだった。


「よし、始めようか」


「待て。トレーニング用の設定を要求する」


「設定だ? 難易度ってことか? ったく、ならベリーハードにでもしておいてくれ」


「了解した」


 俺はマリーに冗談めかしな命令をすると、遠心力を利用してパイルバスターをバットのように振りかぶった。


 そのまま俺はパイルバスターが弧を描くようにステップを踏んで振り回す。スピードとパワーがしっかり乗った一撃が、マリーの構えるキックミットの中心へ吸い込まれていった。


 ただし俺の攻撃は目標に当たらず空振りに終わる。キックミットにパイルバスターがぶち当たる寸前で、マリーが軽やかなバックステップを踏み武器のヒッティングポイントから外れたからだ。


 パイルバスターのリーチから攻撃対象が外れ、俺は武器に残された行き場のない遠心力にもてあそばれて腰砕けとなりすっころんだ。


「おいっ! 避けるなよ。訓練にならないだろ」


「命令通りの難易度に調整した。もしくは回避頻度を変更するか?」


「なら変更だ。回避はなしだ!」


 俺はマリーの反抗的でぶっきらぼうな態度に苛立ちを覚えつつ、再び立ち上がった。


 心の中ではマリーの雑な発言に悪態をついて、ノーヘッドの趣味嗜好を呪う。アンドロイド特有の人間に見えるくせに融通が利かない性質たちは、最新式でも変わらないようだった。


「ったく、仕切り直しだ」


 お互いに構えなおし、俺はパイルバスターをもう一度後ろに引きながら持ち上げる。


 まさに振り下ろそうとする俺の一撃に対して、今度こそマリーは避ける仕草をせず腰を沈めて打撃を受ける体勢になった。


 しかしそれだけではない。マリーは俺がパイルバンカーを始動させる直前、素早い体重移動で前進したのだ。


 バットやクラブなどの長い得物は、スイングした際に最適の打点が存在する。主にそれは先端近くの作用点が、楕円の軌跡上でもっとも離れた時に最大のパワーへ到達する。


 裏を返せば打点を少しずらせば、威力は減衰げんすいする。例えば武器を握る力点に近ければ近いほど、加速が乗る前であればあるほど、破壊力がなくなるわけだ。


 もちろん打点を外すために近づいて相対的な加速が加われば意味はない。だからマリーは俺のパイルバスターとキックミットがぶつかる瞬間、巧みに勢いを殺した。


「うぉっ⁉」


 俺はマリーの神速に反応できず、柔術のごとくパイルバスターと共に身体のバランスを崩された。


 相手がアンドロイドとはいえ、俺も強靭なサイボーグだ。重量の比較からも馬力比べに負ける要素はない。強いて言えばこちらの落ち度は、動きに繊細せんさいさを欠いているところだ。


 俺が長年サイボーグの身体を使い続けていても、まだまだ生身の器用さに遠く及ばない。ゆえに俺の動きは大仰おおぎょうな動きが多く、行動パターンや順序を上手く考えなければ戦い慣れた相手に軽くいなされてしまう。


 ロボットの動作も同じような緩慢かんまんさがあるものの、サイボーグはより酷い。反応のタイムラグが発生する原因は明確に分かっていないけれども、一説には機械と肉体を繋ぐ部分の互換性が生身と違うせいらしい。


 俺はサイボーグの弱点であるそれをごまかすように、いつもパワーを全面に押し出せる戦術を選んできた。だがマリーはそんな俺の努力をあざ笑うように、難なく俺の弱みを見つけてしまったのだった。


「ずいぶん優秀な戦闘アルゴリズムを積んでいるみたいだな。ったく、主人と同じで面倒くさい奴だ」


 おそらく修正を命じて細かい命令を入れなおせば、マリーの動きもおとなしくなるだろう。


 あくまでも今回は基礎訓練から始めるつもりだったし、変更したとしてもロボットに負けたわけではない。これは逃げの一択ではなく、恥となるわけでもないのだ。


 ただ逆に考えてみると、この挙動は活かせるかもしれない。このまま特異アンドロイドの事件を追えば、動きが特殊なロボットに幾らでも遭遇する可能性がある。仮想敵としてのマリーの動きは、これからの戦闘の参考になりそうだった。


 もし時間が余っていれば、パイルバスターの修練はもっと慎重に段階を踏んで行うべきなのだろう。けれど事件は現在進行形で進んでいるし、のんびりしている時間はない。それにも関わらず核心にいる犯人は間違いなく、これまでの奴らよりも手ごわい。


 俺は強くならなければならない。それも早急に、明日からでも新しい武器を現場で使えるレベルになる必要があった。


 突貫でもいいから、今相手にしている敵を攻略する方法を見つけるべきだ。そして、それができるチャンスをみすみす逃す手はない。


「どうした? 難易度を変更するか?」


「……いや、このまま続けてくれ」


 いつものぶっきらぼうな口調で問い直すマリーに対して、俺はトレーニングの再開を伝えた。


 マリーのキックミットに会心の一撃をぶつけるには、もっと工夫が必要だった。俺はまずカバンのように武器を腕から下げるスタイルを止め、肩にパイルバスターを担ぐ構えに切り替えた。


 これなら上段振りの出が速く、身体の向きによって下段の振りへ移行するのも簡単だ。とりわけ特異アンドロイドやマリーのような、こちらの出方に応じて柔軟な反応ができる相手に選択の迷いを与えて動きを鈍くできるはずだ。


 俺は他の工夫として自分の側面を前にして、マリーに接近する方法を選ぶ。そうすれば反対側の肩にぴたりと付けたパイルバスターの挙動は、相対そうたいした対象から見えにくくなる。これならば直前まで自分の動きをごまかして、避けられる確立を下げられる。


 マリーは俺が戦闘スタイルを変更した意図を感じ取ったのか、細かく移動して俺の正面や背面に回ろうとする。俺も同じようにマリーが動く度に、身体の向きを変えた。


 両者が何度かお互いの間合いをはかるやりとりを行い、マリーがまたもや俺の背中側へ動いたタイミングで仕掛けた。


 俺はマリーへ向きなおらず、自分の背中を押し付けるように後方へ飛び出す。


 通常ならばこの動きは、後ろに倒れかかるような無防備なプッシュに過ぎない。違う点は俺の身体が500キロもある金属パーツの集合体であるという部分だ。蹴り足の初速も加われば、車の正面衝突と大差ない。


 唐突な俺の動きに対してマリーは、素早く後ろへ踏み出しながらキックミットで俺の身体を受ける。ほぼ完璧な受け流しとはいえ、マリーの身体は俺よりも小さく軽い。


 マリーはキックミット越しの衝撃を完全に殺しきれず、け反りながら大きく後退した。


「もういっちょ!」


 背面での体当たりに続き、伸びきった腕に掴まれたパイルバスターを引き付け、体軸を中心に反時計回りの回転を乗せてマリーにぶつける。


 マリーは俺の追撃を浴びる前に体勢を整えられず、不安定なバランスのままキックミットの中心にパイルバスターの攻撃を食らった。


 今回ばかりはマリーも巧みな足さばきでダメージをコントロールできず、その身体は木の葉のように吹き飛ぶ。俺の動きに対応できなかったマリーは、背中から壁へ両肩と後頭部を強く打ち付けてたまらず膝をついた。


「シュッ!」


 俺は鋭く息を吐くと連撃を止めず、パイルバスターを引き付けた力の反動で左足を前に蹴りだした。


 その頃には壁を支点にバランスを取り戻したマリーによって、俺の左足は空を切り壁を叩いた。


 ただしマリーは横に滑り損ねたのか、僅かに俺の蹴りがその顔面をかすめて、擦過さっか音が小さく鳴る。


 位置としては右のこめかみのやや上、肌は裂けていないが人間なら反射的に瞼を閉じてしまう傷だった。もしマリーがアンドロイドでなければ、顔を歪めて戦意を削がれていただろう。


 俺は無表情のマリーとは打って変わって、口角を吊り上げて声もなく笑う。


 やはり殴るなら加減をあまり考えなくて済む機械がいい。サイボーグの感覚フィードバックが鋭敏でなくとも、攻撃で肉を打つ独特な弾力は暴力を抑制させる忌避感がある。


 特に最近は地下で眠っていたゾンビもどきを人生2回分くらい倒した後なので、心理的側面だけでも遠慮が要らないのは助かった。


 注意しなければならないのは、マリーというアンドロイドが勤め先の社長であるノーヘッドからの借り物という事実だ。そのため都合の上ではいつでも手加減を忘れてはいけない。


 だからこそ、ほぼキックミットだけを狙うトレーニングの縛りも2つの意味でちょうどよかった。


「うっ!?」


 そのせいもあってか油断していた。俺が続けざまにパイルバスターのスイングをお見舞いしようとした時、予想外にもマリーの動きが止まっていた。


 本来ならばキックミットを盾にしているはずだが、マリーは完全に無防備な身体を晒していた。


「しまっ――」


 パイルバスターは重く、しかも振り下ろしだ。おまけに壁へのキックをした後の無理な体勢は、一連の流れを急停止する余力がない。


 俺が身体を無理やり捻ってパイルバスターの軌道を変更しようとしても、2人の激突は避けられない。


 マリーは自分よりも大きなサイボーグの体重移動と落下スピードの加わった鈍重な一撃を、うなだれた華奢な背中で受けた。


 細く小さなアンドロイドの身体は、地面とパイルバスターに挟まれて構造物がひしゃげるような嫌な音を部屋全体に響かせた。


 地面へ逃がしきれない物理的エネルギーによって、ほんの少しマリーの身体は弾む。そのままマリーは地面の上で倒れたままになった。


「や、やば……」


 俺は恐る恐る近づいて、地面に伏したマリーの表情を伺う。マリーの方はまぶたが開いたまま、眼球を模した視覚センサが反応する様子もない。


 他にもアンドロイドが損傷に対して自己診断を施すような基本アルゴリズムが動作する様子もなかった。


「ったく。高価な玩具おもちゃにはやっぱり役不足だったか?」


 残念ながらその場にいる俺には、マリーが完全に停止してしまったという頭を抱えるような問題しか分からなかった。

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