第43話

 俺の不注意が原因でアンドロイドのマリーが完全に停止してしまい。俺は慌ててマリーの小さな体躯を背負って、マリア博士の研究室へと戻ってきていた。


 研究室に入ると、コーヒーを片手に独りでのんびりとしていたマリア博士が俺から事情を聴いた。


 マリア博士は露骨に呆れた顔になり、俺の軽率さに文句を垂れる。それでも俺の頼みを断るそぶりもなく、マリーの検査を承諾してくれた。


「自分の社長の貴重品相手に武器を振り回す愚か者がいるなんて、きっと直属の上司も気苦労が絶えないでしょうね。同情するわ」


「ったく、俺は手元にあったら有効活用する主義なんだよ。皮肉はいいからどうにかしてくれ」


「どうせ直しても修理費は払えないでしょ? ちょっとツケが増えるくらいなら便利にこき使おうなんて考えは嫌いよ、私」


「お、思ってもみたことないよ。失礼だな」


 俺の代わりにマリア博士の助手であるアンドロイドのサトーが、糸の切れた操り人形のように脱力したマリーを受け取って手術室に運んだ。


 手術室はマリア博士の研究室と強化ガラス1枚隔へだてた、視界を遮る物のない隣の部屋だった。そこは手術という語意に反して生身の人間用ではない。専門は俺のようなサイボーグやアンドロイドなどのロボット向きの場所となっている。


 部屋にある物も細々とした手術道具ではなく、代わりに円盤状の電動のこぎりや機械式の万力が部屋の中心にあるベッドへとこうべを垂れて設置されている。


 サトーはマリーを中央の手術用ベットに寝かせ、手動でセンサや手術用の機械を起動させる。そしてサトーが手術用のベットから離れたのを確認して、研究室にいたマリア博士がキャスター付きの椅子で移動して遠隔用の端末にかぶりついた。


 マリア博士が棒状のハンドルとキーの数が多い特注のキーボードを触ると、手術室の機械たちはオーケストラの指揮を受けたように動き出した。


「全センサ、チェック。全リモート・マニピュレータ、チェック。損傷レベルのスキャンを開始」


 いつものマリア博士の悠々とした雰囲気が消え、険しい顔で指先に全神経を集中させていた。


 手術室の方では金属のアームの先に付いたセンサが細かく動き、マリーを確認する。


「全身の人工被膜に裂傷と打撲を確認。最も深刻な背中への打撃は模倣脊髄に到達している。電気触診を実行」


 マリーは丈夫なアームに支えられてうつ伏せになる。金属製の太い杭2本がマリーの服の隙間から入って、背中の傷をいたわるように触れた。


 肉眼では見えないが杭から杭へと電気が伝わり、ナノカーボン製の人工筋肉が刺激されて震えた。


 電気触診は外部から微弱な電流を流してアンドロイドやサイボーグの神経回路を確認する検査方法だ。2本の杭が近ければ表面部分の神経を、遠ければ深い重要な神経を診れるのだという。


 何度か金属の杭がマリーの身体を往復した後、マリア博士の画面に検査結果が返ってきた。


 マリア博士がデータに一通り目を通すと、両腕を組んで不思議そうに首をひねった。


「一部の表面感覚が損傷しているけれど、ほとんどの模倣脊髄や模倣脳幹は無事ね」


「なら停止した原因はなんだ?」


「今のところはまだ不明ね。だけど模倣脳幹の反応がおかしいの。これだとまるで――」


 マリア博士が言いよどんでいると、手術室で動きがあった。


 マリーが何の前触れもなく目を見開き、身体を起こしてガラス越しに顔をこちらへ向けていた。


「どこまで調べた?」


 それは機械が自分自身の状況を把握する質問としては、不自然な言葉だった。


 マリーの問いには隠し事をしている焦りがあり、単なるアンドロイドの危機管理プロトコルでは説明できないような迫力を俺たちに感じさせた。


 俺はマリーの気迫に負けまいと、逆に質問を投げかけた。


「やばい話を見つけちまった。と言ったらどうする?」


 俺の挑発的な物言いに、初めてマリーの表情に動揺が見て取れた。


 そう、アンドロイドであるはずなのに言動と一致する感情を見せていた。


「特異アンドロイドなのか?」


 表面的に人間の感情表現を真似られるアンドロイドは存在する。接客用に造られたアンドロイドは、相手の共感を得られるよう対話に応じた喜怒哀楽を学習している。


 ただし従来の統計学的なパターンの学習では没個性化と当たり障りのない無難な仕草の繰り返しをアンドロイドは学び取り、『ロボット風』と揶揄やゆされる既視感に似た表現の幅の狭さが開発を困難にさせていた。


 俺はアンドロイドの感情表現パターンに詳しいわけではない。だがマリーが不意にこぼした感情の発露はつろは、機械の類に難しい所作だと俺は直感した。


「答えたらどうだ? どっちなんだ」


 マリーは先ほど少しばかりあらわにした戸惑いを上手く沈めたように見えた。


 もしかしたら俺の気づきは単なる思い違いで、偶然重なった特異な動作が俺に誤った印象を与えたのかもしれない。そう思えるほどの落ち着きだった。


「今更取り繕っても、勘違いだったなんて思わないからな」


 元々、マリーが特異アンドロイドである可能性は否定できなかった。比較的安定しているとはいえ、常にノーヘッドがそばにいて何らかの方法で特異アンドロイドの暴走を抑制していたのかもしれない。


 疑えばキリがないし、そこは第三地下という特殊な場所だった。それゆえマリーの余りある優秀さは単に技術力の高さだと思い、俺は自分を納得させて共に行動していた。


 だからノーヘッドが俺にマリーを預けるという突飛な提案をした時も、俺の心配が杞憂だったと腑に落ちたくらいだった。


 疑惑の解消がもう一度覆くつがえされて、俺も混乱が多い。疑惑も安心も、二転三転する考えは所詮しょせん俺の知性が足りないせいなのだろう。


 俺は救いを求めるように、専門家のマリア博士の見解を待つ。マリア博士なら俺とは違い、はっきりとした因果と根拠で、真贋しんがんを把握できる頭脳があるはずだ。


「う~ん……」


 しかしマリア博士は自信なさげに困った顔で思慮にふけっていた。俺がマリーにした問答も大して気にした様子もなく、スクリーンに映されたマリーの検査結果と格闘しているようだった。


「この造り、何だか既視感があるわね。少なくともただのアンドロイドではないし……」


「ったく。悩むのもいいが、逃げる準備もしておいてくれ。向こうがどう出るか分からないんだぞ」


 今この場には俺とマリア博士とサトーしかいない。スウェルはまだ別室でサプライズを準備しているらしく、自体に気づけてもすぐに援軍は期待できない。


 スウェルならばボックスを通じた能力でマリーを分析し、行動を不能にするのも簡単なはずだ。俺一人では無理でも、二人なら真相を知るためのチャンスに変えられる。


「破壊するか、もしくはスウェルを呼んでから協力して捕獲するか?」


 情けない話だが、俺一人だけでは今のマリーを取り押さえる自信はない。相手が受け身ならともかく、抵抗する状況ではマリーの速さに対応できそうにない。


 暴れた結果、研究室とマリーをめちゃくちゃに破壊しても構わないと言うなら、俺も全力を出したい。都合よく試したい新しい武器があるし、このまま初実戦としゃれこんでもいい。


 武器は今も手元にある。特異アンドロイドとも何度か戦った経験がある。


 俺がマリー相手に臆する理由など、何一つない。


「ああ、そうか。前提が違うのよ」


 俺がいつでも戦闘を開始できるように身構えていると、マリア博士が納得いったように手を叩いた。


「前提? どういうことだ」


「普通のアンドロイドと違う反応をしているからと言って、安易に特異アンドロイドと判断してはダメなのよ。限定するにはまず全ての可能性を排除しなければならないわ」


「んん?」


 マリア博士が回りくどい説明をしたので、俺は理解に苦しんだ。


 つまり意味するのは単純な構図だ。


 マリーはアンドロイドでも特異アンドロイドでもない。ロボットという名称も人に似ていないアンドロイドを指す際に使われる程度の表記の違いなので、当てはまらない。


人に似ているけれども機械、さりとてアンドロイドに属するものでもない。除外されて残る可能性は、俺もよく知るものだった。


「まさかサイボーグだって言うのか?」


「それもスキャンの結果が正しければ、脳幹部分以外は全て機械に置き換えられている。カネツネと違って生理機能を維持する内臓の代わりに、生命維持装置を使っているようね」


 マリア博士の見立てにも驚くが、次に口にした言葉はもっと深刻な内容だった。


「私が知っている生命維持装置と同じ規格なら、この装置だと1年も生きられないわ。アナタにはよほどの事情があったようね」


 マリア博士はマリーに視線を送る。当のマリーは逃げる様子も暴れる様子もなく、マリア博士の発言を肯定するようにうなづいた。


「どこから話せばいいか……」


 マリーの所作は大きく変わらないものの、少し柔和にゅうわを帯びたような気がした。


「まずは本当の名前を明かすべきだ。私はジル・カライト。かつて第三地下に軟禁されて研究をしていた研究者だ。訳あってアンドロイドの身体に自分を移植して反攻の機会をうかがっていた」


 反攻、という言葉を聞いて誰に対してか考える前に、社長のノーヘッドの顔が浮かぶ。それだけでは何故アンドロイドの身体となってノーヘッドと行動を共にし、反逆の意志があったのか分からなかった。


 マリー、いやジル・カライト博士はボックスの不死性を発見した狂気のサイエンティストの名前だ。騙るには大層で、本物と訴えるには現実感のない人物だった。


 本人もわかっているのか、カライト博士は簡潔に伝わるように言葉を選んだ。


「私はノーヘッドの指示でボックスと脳の融合をずっと研究していた。特異アンドロイドを造ったのも、その研究の過程で失敗した作品だ。ノーヘッドは私の研究を諦めて古代人であるスウェルを使った研究に鞍替えしようとしている。これで分かるか?」


「……んん!?」


 矢継ぎ早に飛び出したカライト博士の説明は、どれも全く事前情報のない驚きの話だった。


 ただ理解できたのは、これからカライト博士が明かす真実によって多くの謎が解明できるという確かな予感だった。

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死ねないクロガネと死なない電算機の少女 砂鳥 二彦 @futadori

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