死ねないクロガネと死なない電算機の少女

砂鳥 二彦

第1話

 道の真ん中を歩く芋虫を視界に入れた時、こいつは俺と同じ邪魔でろくでなしな奴だなと思いながら、つい目を凝らして足元のそれを見ていた。


 俺の眼下に置かれたまま、その芋虫は人通りの少ない夜道の上をもそもそと歩く。


 幸い芋虫は誰にも踏み潰されずに生きている。ただその場所に歩行者がいないわけではなく、かといってかわせるわけでもなく、そいつはひたすら鈍い足を進めていた。


 場所は賑わいのある町からずいぶん離れた郊外、港に面した場所だ。通りを歩く人はあれど、俺以外誰もその芋虫に注意を向けようなどという者はいなかった。


 俺は芋虫の前で立ち止まり、屈んでよく見てみる。すると後ろにある街灯の光がさえぎられ、芋虫に暗い影を落とした。


「お前もいつか死ぬんだろうな」


 俺が芋虫をつまみ上げると、そいつは身体をよじって逃げようとする。


 別に殺そうってわけじゃないのに。と、俺は呟きながら芋虫をすぐ傍の街路樹の根元に生えた草の上へ移動させた。


 芋虫は特に礼を言うでもなく寡黙に葉の上をのそのそと歩き出して行く。それに俺が満足していると装着していた腕時計型の端末から着信音が聞こえてきた。


「こちらカネツネ」


 俺が応答すると端末の向こうから熟年の女性のご機嫌な声が聞こえてきた。


「お仕事ご苦労さん。早速だけど今どんな状況?」


「もうターゲットがある埠頭近くだ。接敵もなし。人気はややあるが問題ないだろう。それよりも頼んでいた追加情報は?」


「ああ、もちろん用意したよ。詳細は端末に送っておいたから」


 端末に声を掛けながら、俺は自分の短い赤毛をいじる。話す相手は俺の雇い主であり、借金の取り立て屋でもある芥川マリア博士だ。どうやら近況を聞きたいだけではなく、例の情報が手に入ったらしい。


 俺は端末を操りデータベースをホログラフィックで空中に表示させると、もう一方の片手で映像と文字を動かした。


「道路の監視カメラは生きているが倉庫内のカメラは案の定ダメか。過去数日の映像分析によれば人型の存在は6人、そのうちアンドロイドかサイボーグが確定しているのは5体か……」


「車の荷台にいればもっといるかもしれないわね。ただそうなっても私は責任を取らないから。何せ私は――」


 マリア博士はいつもの決まり文句のように、こう答えた。


「君が嫌いだからね」


「……そうだな。支払いの方法はいつもの通りで頼む」


「ああ、これで君の寿命は78日と3時間17分に縮まったわ。私としては喜ばしいことよ」


「それはよかったな。他に用件はあるか? そろそろ俺も仕事に入りたいんだが」


「おっと、貴重な時間を割いてくれて悪かったわね。それじゃあ話はここまで」


 俺はマリア博士との通話を切り、他のデータの詳細を確認してからホログラフィックも消した。


 それから場所を埠頭の箱型の倉庫に移動し、周囲を伺う。俺の予想通りターゲットのある倉庫は守りが厳重で、周りを囲むように見張りが4人立っているのが分かった。


 俺は自分の目のセンサーを赤外線カメラに切り替え、4人の動向を探った。


 4人は見た目が人間のそれと似ているが、動きが硬い。その証拠に赤外線で見える身体の中に生物特有の体温はなく、相手が機械なのがすぐわかった。


「全員警備用のアンドロイドか。少なくとも近づくだけなら死ぬ心配はないな」


 通常のアンドロイドは高性能AI基本法と言われる国際法によって民間、軍事に関わらず人の殺害は禁じられている。それも法律によりロボット内に人を直接ないし間接的に殺傷をするのを防止する制御装置が組み込まれるよう制限されているのだ。


 各国政府はこの法を批准ひじゅんし、順守しない製造・所持・使用に対して殺人罪並みの罰則を敷き、違法なアンドロイドを利用しにくい環境にしているのである。


 とは言っても、非合法な手段で違法アンドロイドを入手しようとする人間はどうしてもいる。そのため、完全には製造・所持・使用を防げていないのが現状だ。特に近年はリスクを負ってでも作られた希少な違法アンドロイドに厄介な奴がいるのだ。


「さて、動くか」


 警備アンドロイドの行動法則は単純だ。侵入者を見つければ所有者に報せ、自分に危害が加えられればそれを報せる。場合によっては相手の動きを阻害する場合もあるが、前述のように殺害してしまうような強硬な行為はできない。


 いわばそいつらはちょっと頭ができる程度の鳴子なのだ。だからこそ回避する手段は知っていればたやすい。


 俺は警備アンドロイドに目撃されない角度で拳に収まるほどの大きさの石を遠くに投げる。そうすると石は固いコンクリートをしたたかに打って弾み、その音に警備アンドロイドが反応した。


 警備アンドロイドは「異常な物音があれば確認する」というプログラムに従い、まんまと騙されて持ち場を離れて行ったのだった。


 俺は今の内とばかりに警備アンドロイドが離れた裏口から侵入する。


 静かにドアを開け、中に入って閉めると倉庫の内装がだいたいわかった。


 内部は図書館のように棚が整列し、本の代わりにダンボールや木箱が置かれている。けれども見る限り、それは目的のターゲットではなかった。


 俺は他の見張りに注意しながら慎重にライトの下へと歩を進める。しばらくは同じ光景が続き、周りに異変はない。


 そうして進んでいると、行き先に誰かの話声が聞こえてきた。


 俺は身を隠して棚の隙間から様子を見る。すると、少し先の開けた場所に2人組の男と地面に積まれた荷物の塊が見えた。


 2人組の男は一部機械の身体をした大柄な男と、小柄な男だ。そして荷物の方は複数の金属の箱と人間ほどの大きさもあるコクーン状の不透明なカプセルが1つだった。


「受取人はまだ来ないのか?」


「今夜中には来ると聞いている。なにせ検閲を通していないボックスは裏ルートでもとても貴重だ。むこうもみすみすチャンスを棒に振るはずがないよ」


「だといいが……。それよりもこの間、地下闇市から手に入れたアンドロイド、あれはちゃんと使えるのか? まさか噂のアレの可能性はないだろうな?」


「さぁね? もしそうだとしてもあのアンドロイドは奥の手か逃げるための陽動用だ。そうおいそれと簡単に使うつもりはないよ」


 話をしている男のひとりは大柄な体躯で髪型がモヒカンな上に服の袖から覗く機械の肌、通称ソリッドスキンが四肢を構成している見た目通りのサイボーグだ。それともうひとりは俺と同じくらい小柄な男でスーツ姿、こちらは生身のように見える。


 俺は視線の先に、小柄な男が鉄製の箱の中から取り出した1センチ四方の角砂糖のような灰色の物体を目にした。


 やっと見つけた。それがターゲットだ。


 目標のブツは正式名称をグレーボックス、多くの人は短くしてボックスと言っている。


 ボックスは今の人類史が始まる以前、記録が全く存在しない古代人が作り上げたという超高性能半導体、もしくはAIともいえる代物だ。


 謎のテクノロジーによって作られたボックスの特徴は、現代のテクノロジーのありとあらゆる分析と分解ができない謎の物質であるという点。それともうひとつの特徴は神経や回路などを接続すると莫大な演算量を発揮する点だ。


 後者はいまだ全貌が分からない古代のプログラム言語と暗号で構成されており、全体のわずか数パーセントしか解読や翻訳がされていないにもかかわらず、従来の半導体で可能な演算量を天文学的数字で凌駕りょうがしているという。


 それにより、ボックスの採掘と性能の発見は全世界のテクノロジーを一変させてしまった。


 AIなどはすぐさまボックスとその翻訳機の開発へ移行し、ドローンやアンドロイドは人間並みの人格形成が可能となり。世界は恩恵だけではなく、ボックスを利用した高性能AIによる新たな問題を抱え込むようになってしまった。


 そんな問題を抑制すべくボックスは未加工での流通が規制され、表市場に流れているのはあらかじめ翻訳機や制御装置によって安全に加工されたものだけになった。


 もちろんこの加工されたボックスを分解して元の状態にするのも国際条約で禁止され、刑法でも処罰が用意されている。


 だからこそ、こうして裏のルートでなんの加工もされていないボックスが出回り、非合法な組織が犯罪に利用しているのだ。


 各国政府はこれらの新しい犯罪に対応すべく、新しい刑事課やボックスハンターという賞金制度を作り、犯罪者から未登録のボックスを回収するよう動き始めたのだった。


 そんなボックスハンターという政府の雇われが、俺のような奴らの仕事なのである。


「……先にマーキングしておくか」


 俺は上着の内側に携帯していた拳銃を取り出す。それは普通の拳銃とはやや異なり、銃床の上に背が高いカメラのような機械が備わっていた。


 セーフティーセンサー、ボックスハンターからは『チェーン』というあだ名で呼ばれている面倒くさい安全装置だ。


 こいつのせいでボックスハンターは拳銃を相手に向けてもすぐ発砲できず、先に目標が驚異のある対象かどうかセンサーに判別させないとロックが外れない。


 だから文字通りこのチェーンは、目前の犯罪者相手に対して鎖付きのハンデを与えるものだった。


「使用者の網膜認証確認しました。対象2名をターゲッティングしています。目標を中央に捉えたままお待ちください」


 俺は骨伝導を通して脳内にキンキンと響く女性的な機械音声を聞いたまま、銃口を棚越しの2人に向ける。


 そのまま3秒ほど待つと、セーフティーセンサーから応答があった。


「対象2名の脅威判定が確定しました。1名は指定暴力団波川組構成員の出島ヒロ、もう1名は同じく指定暴力団波川組構成員の葉山テツオです。ロックを解除、驚異の排除を可能にします」


 セーフティセンサーはこのように警察のデータベースにアクセス、もしくは対象の武装の有無、適法のアンドロイドかどうかなどの判断をして銃の使用許可を与えてくれる。


 このシステムはある程度の拘束がある反面、相手の身元確認などができるという点では便利だし、軍や警察以外で対人における銃の使用が許可されていないこの日本において銃を適法に使用できるというメリットが大きかった。


 おまけにボックスハンターは銃の所持・使用以外にも軽犯罪法免除やボックスを確保する経緯で犯した殺傷沙汰に対する罪の免責と審査される権利があり。そういった面からもボックスハンターは政府から優遇されていた。


「動くな、波川組!」


 俺は銃を構えたまま棚の後ろから飛び出す。


 波川組の2人は俺の奇襲に驚いたのか会話をやめ、動きを静止する。だがそれも一瞬だけだった。


「なんだ? ハンターか? ただのガキじゃねえか」


 確かに俺はまだ成人していないので、波川組の言う通り青年の部類だ。とはいえ銃を向けられてこうも余裕とは予想外だった。


「言動には気を付けろ。こちらはもうマーキングができている。いつでも発砲できるぞ」


「ん? その豆鉄砲で何ができるかな?」


 2人のうち、大柄な男、葉山テツオが前に出てくる。


 俺は反射的に照準をテツオに移して引き金を絞るが、テツオの左腕から展開された円形の金属盾によって発射された銃弾が弾かれてしまった。


「クソッ! 防弾ライオットシールド付きか!?」


 おそらくライフルなどの強装弾なら盾を貫通するし、盾を必要とするならば胴体は生身だろう。しかし俺が持つ銃は警察から支給された小口径の38口径9ミリ弾を使用したオートマチック拳銃しかないため、それは無理だ。


 防弾シールドが向こうにある以上、これではまともに向かい合っても銃弾を盾に防がれて相手に傷ひとつ付けられないではないか。


「おらっ!」


 テツオは走り寄った勢いを付けながら、丸太のような右腕の拳をカネツネの腹にぶつける。


 これは見た目通りトラックに跳ね飛ばされるような威力。常人ならこの一撃で悶絶ものだろう。


 そう、普通ならそうだ。


 俺の身体は腹に打ち込まれたブローで僅かに浮くも、すぐに足が地面へと着いた。


「――なっ!?」


 俺は殴られる直前、テツオの腕を右手で掴み勢いを相殺させたのだ。それでも身体に受けた威力までは相殺されないが、これでいい。


「悪いな。お前と違ってこっちは特別性だ」


 俺は全身を捻りながら右のアッパーをテツオの顎へ炸裂させる。


 途端、テツオの顔面は生身ではないソリッドスキンであるにも関わらず粉砕され、顎の部分はほとんど潰れてしまった。


「ぶうっ!?」


 テツオはそのまま膝を突き、項垂うなだれるように床へ倒れてしまった。


「こいつ!? サイボーグか!!!」


 後ろに控えていたヒロはテツオのやられ様を見て驚き、怯んだ。


「さっさと観念しろ。あまり俺の仕事を増やすなよ。俺だって貴重な時間を割いてる余裕はないんだ」


「くっ! 1人やったくらいで調子にのるんじゃない!」


 カネツネは降伏勧告に応じないヒロに近づく。けれどヒロも安々とやられるつもりはないようだ。


 ヒロは血相を変えながらも傍にあった、ボックスとは別の荷物にしがみつき、それを乱暴に開いた。


「商品に手を付けるのは矜持きょうじに反するが、仕方ない!」


 何を取り出したかと思えばそれは携帯式の対戦車ランチャーだ。型こそ旧式だが、当たれば装甲車もふっとぶ代物だ。


「ふっとべっ!」


 ヒロはぎこちなくも俺を狙って容赦なく引き金を引き、砲塔の先からミサイルが飛んできた。


 しかしミサイルは加速すれば速いが、初速は遅い。


 俺は咄嗟に回避するため横へステップを踏もうとしたが、後ろにはまだ倒れたテツオがいるのを思い出してしまった。


 馬鹿野郎、と思いつつも。俺はその場に踏みとどまり、貴重な避けるための時間を浪費してしまった。


「くっ!」


 俺は自分を庇うように前へと右腕を差し出し、射出された弾頭の先端を受け止めた。


 瞬間、爆発的な炎と衝撃が倉庫に響きわたった。


「く、くははははっ! マジでふっとびやがったよ」


 ヒロはランチャーを捨てると、倉庫の壁ごと吹き飛ばして炎に包まれた現場を一瞥いちべつした。


「テツオも死んだか。これじゃあ客も来ないな。できるだけ商品をかき集めて逃げ――」


「どこに逃げようってんだ?」


 ヒロは端末を取り出して後始末を始めようとしたが、それを俺が呼び止めた。


「馬鹿な!? まともに食らったはずじゃあ!?」


 俺は炎に濡れた床からゆっくりと歩いて脱出し、肩に背負った気絶中のテツオを下ろした。


「またスムージースキンが剥がれちまった。おまけに右腕はお釈迦。こいつは高くつくな」


 俺は、人間の肌を模倣した全身の皮が後ろの一部を除き剥がれてしまったのに気を悪くする。


 スムージースキンは人間の触感と見た目のため高価で、普通のサイボーグなら使わない貴重品だ。それにソリッドスキンと違って耐久性も低く、ワレモノ注意なのである。


 ヒロは露わになった俺の姿に驚き、腰を抜かしたようだった。


「その姿は!? まさかお前があの凶悪な『クロガネ』か!?」


 今の俺はスムージースキンが脱げて、肌の下にあった黒い骨格がはっきりと姿を現している。


 その見た目は、まるで黒い人間の全身骨格のようだ。


 特殊な合金と高密度のポリマーが配合された装甲は小柄で細身な見た目とは裏腹に500キログラム近い重量で圧倒的な硬度を誇り、先のダメージでも右肘から先の損傷以外はほとんど傷がない。


 内蔵された筋肉の代わりのアクチュエーターは、腹腔ふくくうの代わりに備え付けられたバッテリーを糧に、他のサイボーグとの比類を許さぬ強靭さを持っていた。


「その呼び名は嫌いなんだがな……。人を悪人か何かみたいに言いやがって。これでもまだ人を殺したことはないっての」


 俺は見た目が人間だった頃のように、声帯部分のスピーカー音にならってカタカタと下あごを揺らした。


「いい加減夜も深けた。サツやじゃじゃ馬が集まる前に終わらせるぞ」


 そう言って俺は炎に照らされた黒いがしゃ髑髏のようにヒロへと近づくのだった。

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