#130 [エピローグ]①
「忘れたりしない」
そう誓ったあの日から
絶対に戻ると約束したあの日から
もうそんなに月日が流れていたんだな
忘れていた訳じゃない
今もまだ、昨日のことのように覚えてるよ
だけどさ…だけど、なんていうか…
それから2日後。
王座の間宛に久々となる、恒例の手紙が届けられた。
今日もまた晴れている。
それが彼女の心の影を色濃くしようとも。
彼女の心境とは裏腹に、天候も、国も、明るい日々が続いていた。
あれから2年が過ぎようとしている。国も一応は形になり、しかしまだ気を許せない今日この頃。
手紙を受け取った彼は「大臣」だったり「参謀」だったりする、いつもの厳しい顔を少しだけ綻ばせる。
「倫祐くんからですか?」
「あら、本当?じゃあ海羽、呼んでくるわね」
この国の王、蒼の問いにいち早く反応した彼女は、高く結ったポニーテールをほどいて沢也の横を通りすぎる。その間、固まった体を大きく伸ばす沢也の机に蒼が腰掛けた。
と、いっても…王座の隣にある沢也のデスクは大量の書類に埋もれており、最低限の依存で寄り掛かる程度しか出来なかったのだが。
「倫祐くんからの連絡も、大分落ち着いて来ましたね」
「馬鹿言え。最初こそ年に4回だったのが、2回に減っただけだろ?」
「…面倒になっただけ、なんてことはないですよね?」
「さぁ?どうだか」
沢也は真っ白な封筒を開けながら曖昧に返答する。それもその筈、彼が彼と最後に顔を合わせたのは、蒼が国に謝罪をしたあの日のこと。その日を境に倫祐は、国中のモンスターを討伐するための一人旅を続けているのだ。
彼の機械と相性が悪いという特性上、連絡は専ら郵便で行われているわけで…今回が6回目のやり取りになるのだが。
「相変わらずだな。あいつは…」
沢也が笑い混じりにぼやく通り、倫祐は文章であっても人並み外れた無口っぷりを発揮しており、報告だけが簡潔に告げられたその手紙は、約10分の9が白紙のまま封に収まっていた。
「内容も相変わらずですか?」
蒼の問いかけに頷きかけた沢也が小さな間を作る。そこに戻った有理子の後ろで、海羽の瞳が瞬いた。
「あいつのことだから、手紙なんて飾りでしょう?早くアレを開けましょうよ」
言いながら、有理子は手紙と一緒に届いていた小包を探し当てる。倫祐はそう、報告のついでに自らのポケットルビー整理のため、大量の宝石を送りつけてくるのだ。
「またなにか入ってるといいですね?」
「あいつの居所の手掛かりは、ソレとこの消印だけだからな…」
彼等が言うソレとは、モンスターの…妖精達の最後の姿である宝石に、時折混じっている品物のこと。有理子宛の地酒であったり、たまたま拾ったであろう紅葉や貝殻だったり、内容はその時々で異なるのだが……みんなは勿論、この2年間彼を待ち続ける海羽にとっては特に、それが唯一の励みとなっていた。
通常の海羽であれば、ただ連絡が来るだけで喜ぶ筈なのだが、今の彼女の精神状態では難しい。
なぜ?今は詳細は省こう。とにかく、日に日に笑顔が薄くなっていく彼女を心配する有理子は、開いた箱の中身を見て微笑んだ。
「早いとこしまっとけよ」
「うん。有り難う」
沢也の呟きに微笑んだ海羽は、水曜日の午前中という暫しの休息に荷物が届いた事に感謝して、有理子から受け取ったシクラメンを持って自室へと走っていった。
「モンスターを殆ど見なくなったって噂だけど…あいつ、まだ戻らないの?」
「いや。どうだろうな…」
有理子の問いかけに呟いた沢也は、複数あるノートパソコンのうち1つを弄りはじめる。
「あいつの事だから、連絡もなしに帰ってくる可能性のがでかいだろうし」
「まぁ、確かに…」
有理子は沢也の曖昧な言葉に頷いて、手に持ったシュシュで髪を纏めあげる。最後に赤髪に乗せた銀色にも虹色にも見えるアネモネの花がどこか哀しげに見えた。
「まぁ、とにかく。今日も午後から来客が多いんだから…今のうちに書類纏めておいてよね?」
「分かってる。来週の予定、早いとこ頼んだぞ?」
「はいはい、頑張らせて頂きます」
王と大臣、二人のスケジュールと「財務」を管理する秘書的立場の有理子は、背中越しに手をはためかせ、王座の間の真横にある自室兼仕事場へと消えていく。
「さて、沢也くん。なにか隠していませんか?」
有理子の姿が扉に吸い込まれて数秒後、蒼が静かに問いただした。沢也はふっと息を漏らし、左手に持ったままの倫祐の手紙を持ち上げる。彼が取り出したもう一つの手紙には、「沢也か蒼へ」と宛名が記されていた。
蒼へ確認する間もなく開いた沢也は、内容を把握して笑みを漏らす。首を傾げる蒼は、差し出された手紙を受け取って目を走らせた。
左利きの彼の独特な、しかし整った文字列が蒼の表情を微かに動かす。
「…困った人ですね…」
笑い混じりに呟かれた一言に、沢也の小さな苦笑が漏れた。
「どうするんだ?」
「そうですね…」
蒼はふらりと近場の窓際まで歩くと、瞳と同じ色の空を見上げて人差し指を立てる。
「こういうのは、どうでしょう?」
振り向いた蒼の悪戯な笑顔が、沢也の瞳を丸くした。
その日の夜。
有理子は自室に籠もって晩酌の片手間、書類の整理をしていた。ここ数年、蒼と沢也は勿論、海羽も沙梨菜も小太郎も…多忙な生活を送っている。
他のメンバーはともかく、自らがスケジュール管理する二人に至っては、多忙の一言では済まない仕事量を請け負っていた。とはいえ、人手が溢れているわけでもなく…仕事に見合う人材がそうゴロゴロ転がっているわけでもなく…更には、そう易々と人を雇えるほどの経済的余裕もなく。
必然的にそうなっている状況で、それでも彼等は昔と変わらぬまま…今も傍にいてくれる。
だから有理子は、忘れずにいられるのだ。
あの日、義希が言った事を…それを信じた自分の事を。
その思いを助ける髪飾りも、貰った時の姿のまま…
変わってしまったモノもあるけれど、さして昔と変わりない日常がここにある。
だからこそ。有理子は怖かった。
義希がいない生活が、当たり前になってしまうのではないかと…怖くて仕方がなくなった。
寂しくない、と言えば嘘になる。それでも彼女が耐られるのは、海羽の存在が大きいだろう。彼女もまた、待つ側として胸を痛め続けているから。
有理子には蒼という支えがいた。自然と、常にそうしてくれる彼がいた。だけど海羽には、私しかいない。だから倫祐の無口な手紙でも、どんなものでもいいから…彼の存在を認識するためのものがあればいい。
心の中で考えながら、有理子は不意に顔を上げる。
横を向くと、鏡に映った自分の顔から自然と逸れていく目線に気付き、素直に従った。そっと撫でたアネモネの冷たさが、ゆっくりと指先に馴染んでいく。
その静寂に紛れたのは控え目なノック。有理子は扉の向こう側にいる人物にあたりを付けて、すぐに返答した。
少しの間を置いて扉を押したのは、有理子が想像した通りの笑顔の持ち主。彼は夜の挨拶と共に、確かで緩やかな足取りをこちらに向けた。
「…大丈夫ですか?」
「大丈夫よ?」
不思議な切り出し方に首を傾げる有理子と、笑顔を変えずにテーブル付近に立ち止まる蒼と。
二人は小さく肩を竦め、笑い混じりに話を始める。
「実は…倫祐くんからの手紙に、追伸があったんです」
「…追伸?」
「ええ。…いつかは、そんなこともあるかと思っていたんですが…」
彼の勿体振った言い方は、有理子を不安にさせたいわけではなく、癖のようなものだろう。頷く有理子に蒼は続ける。
「…義希くんに、会ったそうです」
「…え?」
瞳を見開き、開いた口を閉じるのも忘れて、有理子は蒼の顔を凝視した。
「びっくりしましたか?僕も、内心驚きましたよ。倫祐くんが報告してくれたことにも…あんなに沢山の文字が書かれていたことにも」
蒼は殊更嬉しそうに続けると、笑みを取り戻した有理子に視線を固定して言葉を繋ぐ。
「彼の故郷にいたそうですよ。と言っても、僕達が知っている廃れた姿とは違って、随分と綺麗になってしまったようですけどね」
「建て直してたの?」
「そうみたいです」
「…いつ、帰るって?」
「それが…聞いてくださいよ」
蒼は有理子の切な気な声色に、悪戯な声を注いだ。
「『自分だけ過去に取り残されたような気がして、帰りづらい』…なんて、言っていたらしいんです」
「……」
「本当に、困った人です…」
蒼は顔をしかめた有理子にそう呟くと、彼女に歩みより優しく頭を撫でる。
「随分と勝手なことを言いますよね。気持ちは分からなくも、ないですが」
俯く有理子に、蒼は微かに声を落として昔話をはじめた。
「……あの時…本当は、最後まで迷っていたんです。心配性のあなたに、真実を教えるかどうか」
不思議に思って顔を上げた有理子に、蒼は笑顔を強め、小さく首を傾げて見せる。
「だけど、思ったんです。なにも知らずに待ち続けるのは、知るよりも辛いのではないかって」
話の合間の短い静寂。有理子はくるくると回る思考に身を委ねる。
「僕があなたにしてしまった過ちを、彼は繰り返したくなかったのかもしれない、そう思ったんですよ」
蒼は有理子の揺れを確認し、強めた笑みに哀愁を籠めた。
「彼が、僕にこの役目を任せてくれたこと……感謝してるんです」
蒼がなにを伝えたかったのか。有理子はきちんと理解したからこそ、嬉しくて笑みを溢す。
「だから、有理子さん」
次に続く言葉を想像しながら、有理子は真っ直ぐに注がれる蒼の眼差しを、正面から受け入れた。蒼は、少しの間を持ってその言葉を口にする。
「僕と…結婚しませんか? 」
優しい笑顔の宣言は、有理子を硬直させた。
「……え…?」
理解した筈の想いとは真逆の発言。唯一絞り出した疑問の声を最後に、混乱する有理子に向けて。
蒼は、耳元で囁いた。
その小さく短い囁きは。蒼が離れるまでの間に、有理子の表情を変えるのに十分な内容を含んでいた。
「うん……ありがとう、蒼くん…」
笑顔で返答する有理子に満足気な笑顔を返し、蒼はゆっくり踵を返す。
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