甘いのは苦手なんです

月岡ユウキ

酒と甘味と、男と女

 私の隣に座るスーツ姿の男は、クリームブリュレにスプーンをそっと差し込んだ。微かに聞こえたパリッという音の後、ふるりと揺れる黄金色をそっとすくい上げる。メガネ越しにもはっきりとわかる幸福そうな表情でそれを口に運ぶと、間髪入れずに手元の白ワインを口に含んだ。


「んっああー! このワインの控えめな酸味と華やかな香り、そしてクリームの甘さとなめらかな食感……最高かあ゛あ゛あ゛……っ!」


 小声で、でも悶絶しながらカウンターに突っ伏しているのは私の部下、加藤拓也29歳だ。普段はわりとクールで物静かな方なのに、今はスイーツとアルコールを前にして完全にキャラ崩壊している。


「ねえ、お酒とスイーツってそんなに合うもんなの?」

「いやもう至高ですね。俺ぁぶっちゃけ、これを食うために働いてるようなもんですから」


 私は中峰はるか、34歳。中堅商社勤めの営業リーダーで、加藤の直属の上司である。甘いものが苦手な私は、ナッツをつまみながら赤ワインを傾けている。


 二年ほど前に中途採用でうちに入ってきた加藤は、期待通りの即戦力だった。あっという間に業務を覚え、今では顧客からの評判も上々である。


 こうなってくると、他の男性社員から嫉妬されるのはよくある話だ。でも加藤の根回しのうまさと人当たりの柔らさは、社内の人間相手にもよく発揮された。今ではすっかり部内に馴染んでいるようで、今年入ったばかりの新人からも兄貴分として慕われている。


 そして今日の昼間、加藤が中心になって手掛けていた大きな案件がとれた。ご褒美に一杯奢ろうかと冗談まじりで聞いた所、何やら行ってみたい店があるという。でもそこは男性一人ではどうにも入りづらいので、一緒に来てもらえないかとお願いされたのだ。


 珍しく困ったように頬をかいていた加藤は、『どうかどうかお願いします!』とめいっぱい頭を下げた。――こんなの断れるはずがない。そうして案内されてやってきたのが、半地下にあるこのBARだった。


「しっかし『スイーツBAR』ねえ。加藤がだなんて知らなかったわ」

「二刀流?」

「あら、知らないの? 酒飲みで甘いもの好きな人の事を二刀流って言うのよ?」

「へえ、それは知りませんでした。――ああ美味い」


 それはそれは幸せそうにクリームブリュレを口に運ぶと、再び白ワインを口に含む。薄暗く暖かみのある照明に照らされる中、加藤の喉仏が大きく動くのが見えて少しだけ心臓が跳ねた。私はそっと目を逸らして、赤ワインを口に含む。


「学生時代の友人たちと飲みに行くと、いまだに食べ放題系の店ばっかりでうんざりしてたんですよ。俺はもっとこう、繊細に甘味と酒を味わえる場所をずっと探してたんですけどね。最近ここがOPENしたって聞いてどうしても来たかったんです」

「でもここ、別に男性が一人でも恥ずかしい雰囲気じゃない気がするけど……?」


 店内は程よく薄暗くて、バーテンは渋いおじさまだ。男一人でカウンターに座っていても違和感はなさそう。


「半地下だし、中がどんな店かわからなかったんですよ。それに……ほら。今だって女性とカップルばかりじゃないですか」


 確かにカウンターに座っている私たちの並びでは、私と同年代の女性が一人座っている。スパークリングワインを傾けながら、パンケーキを幸せそうに口に運んでいる最中だ。


 背後のテーブル席では向かい合って歓談する男女。そして奥のシート席では、ウイスキーを傾ける男性にしなだれかかった女性が『あーんして?』と囁きながらチョコレートを口に運んであげている。私はその甘々な様子を見ていられなくて、カウンターへと視線を戻した。


 その間にサクッとクリームブリュレを片づけた加藤は、再びメニューを眺めている。


「俺、次は日本酒いきますけど、中峰さんどうします? そのワイン、もうすぐ空くでしょ」

「あ、えっと……」


 私もメニューを覗き込むけど、酒よりもページ数の多い華やかなスイーツメニューが眩しすぎる。その上、目の前でメニューをめくる加藤の大きな筋張った手が妙に艶っぽく感じられて、ちょっと考えがまとまらない。――おっと、もう酔いが回ったか?


「んー、ちょっと迷ってるかな」

「もし決まらないなら、俺がおすすめして決めましょうか? 何か嫌いな酒ってあります?」


 加藤が私に顔を向けたその途端。メガネに反射していたテーブルキャンドルの暖かい光が消えて、急に目が合う。……少し焦った。


「ん……特にないけど、甘いのは嫌い」

「ふふっ、中峰さんはですね」


 相変わらず、とはどういうことだろう。私が営業先で頂いたスイーツには一切手をつけず、事務所のみんなに全て配っていたのを見ていたとでもいうのだろうか?


 加藤が店員を呼んだ。幾つか手早く注文すると、まもなくカウンターに新しい酒とスイーツの載った皿が並ぶ。加藤の前には冷酒とフルーツタルト。私の前にはウイスキーのハーフロックと……チョコレート?


「私もスイーツがあるの? 甘いのは苦手って――」

「まあものは試しですよ。チョコが全部甘いだけと思ったら大間違いです。それに中峰さんが本当にダメだったら、俺が責任を持って片付けますから」


 ニコニコ微笑む加藤は、おすすめ商品を売り込む営業の顔になっている。仕方なく皿の上を観察すると、輪切りになっている丸いチョコレートの中に砕かれたナッツ?のようなものが見えた。


「それは『チョコレートサラミ』っていうんですよ。ビターを選んだんでそんなに甘くはないはずです。ひとくち食べてから、口内を洗うように酒を舐めてみて下さい」


 勧められるままに、添えられた細いフォークをチョコレートサラミの真ん中に当てる。いとも簡単に半分になった切れ端を刺してみると、驚くほど柔らかい。これは生チョコレートだろうか?


 恐る恐る口に運べばしっとりとした食感と共に、ずっしりとしたビターチョコレートの香りが鼻を抜けていく。そしてあっという間に溶けて無くなりそうなチョコレートを追いかけるように、舌に残るナッツたちを噛み砕いた。これはアーモンド? くるみも入ってるのかしら。ほんのりとした酸味はきっとドライベリーだ……。


「そ、そんなに甘くないのね」

「ですね。ほら、すぐにこれ飲んで下さい」


 口の中にチョコレートとナッツの余韻を残したまま、目の前にあるハーフロックを口に含んだ。


(……!)


 正直、この味わいをうまく表現する言葉が咄嗟に思い浮かばなかった。ビターチョコレートの濃厚な味わいとウイスキーの香りがブレンドされて鼻を抜けていく。それと同時にナッツの香ばしさとウイスキーの強いアルコール感が、とろけるように交わりながら喉の奥へと落ちていく……。


「美味しい……」

「――その顔が見たかったんですよね」

「えっ何?」

「いやなんでもないです」


 ニッコニコしながらフルーツタルトを口に運ぶ加藤が、何か言ったようだけど聞きとれない程には驚いた。


「こんな飲み方、初めてだわ」

「中峰さんって、普段はどんな飲み方してるんです?」

「そうね、ハイボールとか、たまに日本酒とかかな。飲むとあまり食べないから、つまみはしょっぱいものが少しあればいいわね。最悪、塩だけでも――」

「――それはやめたほうがいいです。本気で早死にしますよ?」


 苦笑いしながらぐい呑みグラスの日本酒をきゅっと呷った加藤は、手酌でおかわりを注ぎながらゆっくりと呟いた。


「中峰さん。俺ね、今まで年下の女性としか付き合ったことないんですよ」


 急に何言い出すのかと思ったけど、まあお酒の席だから。加藤にも色々吐き出したい事があるのかもしれない。それに庇護欲をそそる年下の女性の方が合うという男性は多いだろうし、別に珍しくもない話だ。


「ふーん、そうなんだ」

「でも中峰さん見てたら、年上もいいかなって思って。あ、もしかしてこれもになるんですかね?」


 私は思わず、口に含んだハーフロックでむせかけた。


「しっ、知らないわよそんなの! 加藤、ちょっと酔ってるんじゃない?」

「あっはは、そうかも知れないですね。まあいいや、酔ったついでに聞いちゃいましょう。中峰さんってです? 年上年下両方オッケー?」


 頬杖をついたまま悪戯っぽく私の顔を覗き込んでくる加藤の表情は、いつものクールさとは程遠くて。私はその顔を正視できず、横を向いたまま答えた。


「私、年上としか付き合ったことないわ。それも全員、五つ以上うえ」

「ふうん……そうですか」


 カチャと皿が動く音がした。それと同時に耳に近いところで低い声が囁かれる。


「――お互い、食わず嫌いは良くないと思いません?」


 その甘い声に背中が微かにぞわりと震えるのを感じた次の瞬間。思わず振り返った口の中に、チョコレートサラミの残り半分が突っ込まれた。


「ん、むっ……!」


 口の中に生チョコレートの甘さが広がる。私が咄嗟に言葉を発せずにいると、加藤は頬杖をついたまま満面の笑みで囁いた。


「そうその顔。ほんと、可愛いっすね」


 それだけ言うと加藤は、そのままカウンターに突っ伏して気持ちよさそうにすやすやと……っておい!! 寝てんのか!?


 腕時計を見ればまだ22時過ぎ。もう少しだけ様子を見たら、加藤はこのままタクシーに放り投げてしまおうと心に決める。


 幸せそうに眠るその表情が無性に腹立たしくて、おでこをピシッと指で弾いてやった。そしてナッツを噛み砕きつつ、口中でハーフロックとブレンドしながら嚥下する。


 甘味とアルコールのチャンポンはなのに、この程度の目測を誤るなんて……加藤こいつもまだまだね。


(これだから、甘いのは苦手なのよ……)


 そう思いながらも、私は最後のチョコサラミへフォークを差し込んだ。その一切れは半分にせず、ぱくりと全部口に放り込む。ナッツとドライフルーツを咀嚼しながら、蕩けたチョコレートを絡めつつ味わった。


 そしてグラスに残った最後のハーフロック。一口にしては少し多めに含んだそれは、ビターな香りと甘さを内包しながら、ゆっくりと私の喉を焼いていく。

 ――慣れない味わいだけど、今はそれがちょっと癖になりそうで。


(食わず嫌いは良くない、か……)


 私は空になったグラスを置いた。加藤の様子を横目で見れば、その無防備な寝顔に思わず口角が上がってしまう。


 私はカウンター内のバーテンダーに声をかけた。


「すいません。次はこの大吟醸と、それに合うスイーツを……おすすめで」

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甘いのは苦手なんです 月岡ユウキ @Tsukioka-Yuuki

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