第993話 渡米した男 3

(前回からの続き)


 もう遠い昔のことゆえ、初めて研究室にいった日の事は記憶があやふやだ。


 学生寮からルイ・パスツール通りを10分ほど歩くと大理石でできたハーバード・メディカル・スクールに到着する。


 壮麗な大理石造りの建物で、ハーバードの名前に相応しいものだった。

 その南側に隣接してブリガム・アンド・ウイミンズ病院があり、西側に隣接してハーバード公衆衛生大学院のビルが建っている。

 それら病院と大学院の間にカウントウェイ図書館があり、その最上階が医学雑誌「ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン」の編集部になっている。


 メディカル・スクールの東側にはダナ・ファーバー癌研究所、ベス・イスラエル病院、チルドレンズ病院、ジョスリン糖尿病センター、ニュー・イングランド・ディーコネス病院など、名だたる超一流病院が集まっていた。

 オレが日本で学んだ医学書の多くがこれらの病院の医師たちによって書かれたものだ。


 つまりは……

 端的に世界の医学の中心ってこと。


 で、オレは思い切って Surgicalサージカル Planningプラニング Laboratoryラボラトリー (手術計画研究室) をたずねた。

 そこに出てきたのが、第213話「アメリカン・ドリームの男 1」に登場したジャックだ。

 ジャックによるとボスになるはずのシャロムは病気で入院中。

 大ボスのバログは4週間の休暇を取っているとのこと。


 ジャック自身は脳神経外科のレジデントだが、1年間のアカデミック・イヤーを利用して研究に専念しているのだそうだ。


「そうか、日本から来たのか。ええっと名前は何だったかな」


 といいつつ、オレが日本から送った封筒を書類の山から探し出した。

 まだ封も切っていない。


「すまん、すまん」


 そういいつつジャックは横書きの英文書類を縦に読んで「なかなかいいじゃないか」とめてくれた。

「何か研究の中身について質問はあるか?」と尋ねられたので、オレは「三次元画像を脳外科手術に応用するというのは、日本で試みていたんだけど。ルーチンワークにするには時間がかかって仕方ないだろ。1つの三次元モデルを作るのに下手したら10時間以上かかるし」といてみた。


 すると彼は「そんなもん1時間もかからないぞ」と言い始めた。


「おいおい、何を言い出すんだ」と反論するオレ。


「じゃあ証明してやろう」といいつつ連れていかれた別室には色とりどりのランプが明滅めいめつするスーパーコンピューターが鎮座ちんざしていた。


「こんな代物しろものがあったのか!」とオレが驚くと、ジャックは「通りの向こうの建物にももう1台スパコンがあるんだ」と笑った。


「ちょうどいい機会だから脳外科のオフィスも案内してやろう」


 そういうジャックについてブリガム・アンド・ウイミンズ病院の迷路のような建物を歩いた。


 そして着いた先はハーヴェイ・クッシングの使っていた書斎だった。


「ハ、ハ、ハーヴェイ・クッシング。あのクッシングかよ!」


 オレは腰が抜けた。


 二十世紀を代表する脳神経外科医であり、脳神経外科の父とまで言われたハーヴェイ・クッシングが、何十年か前にこの机で仕事していたわけだ!


「ハッハッハ。これがクッシング先生の手書き手術記録だ」といいつつジャックは分厚いノートを出してきた。


「いいか、クッシング先生は単なる脳外科部長ってわけじゃないんだ。その頃は脳外科ってのは外科の1分野に過ぎなかったからな。彼はこの病院の初代外科部長なんだ」


「これがクッシング先生の手書き手術記録か……」


 オレはふるえる指でページをめくってみた。

 術野の図と文字による詳細な所見がビッシリ記録されている。


 スーパーコンピューターとハーヴェイ・クッシング!


 東洋の島国からやってきた脳外科医に対し、短時間に2つも衝撃を与えたことにジャックはすこぶ満足気まんぞくげであった。


(次回に続く)

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