第991話 渡米した男 1

 サンフランシスコに到着したオレたち夫婦の行先はそれぞれに違っていた。

 妻はミネソタ、オレはボストンだ。


 というのも、奨学金のプログラムに6週間の語学研修があったからだ。

 そして語学研修は留学先とは離れた場所で行われる。

 したがって妻はボストンのある東海岸とは別の中西部、ミネソタ州に行くことになった。


 夏休み期間中のミネソタ大学を利用した語学クラスがあり、そこに放り込まれたのだ。

 学生寮に滞在し、三食がビュッフェスタイルで提供されるために勉強に専念できる。


 日本からも大勢が参加していたそうだ。

 その多くが学生だけど、社会人や高校の英語の先生もいたのだとか。

 年を取っても学ぶ姿勢というのは素晴らしい。


 韓国からの学生も多く、その他は全世界から英語を学ぶために来ていた。


 学生寮は2人1部屋で、妻と同室だったのはモロッコからやってきたアミナだった。

 彼女は第290話「モロッコから来た女」にも登場した。


「ここの大学は学生数が5万人もいるらしいの。隣の建物に行くのですら随分ずいぶん歩かなきゃならないくらい広いし。なんでアメリカってこんなにリッチなの?」と日本と比較して妻は嘆いていた。


 それでも週末には街に繰り出したりメジャーリーグのミネソタ・ツインズの応援にいったりして6週間の学生生活を堪能たんのうしたようだ。



 一方、ボストンに着いたオレを待ち受けていたのは……


 まずローガン空港に出迎えてくれたのはホストファミリーのミゲルだ。

 彼はメキシコ系アメリカ人3世だった。

 以前に日本に住んでいた事があるらしく、少し日本語もしゃべった。


 ボストンの郊外、ダウンタウンから車で30分ほどのところに大家族で住んでいた。

 その日は空港近くのホテルに泊まり、翌朝は学生寮から妻の知り合いの台湾人でリュウちゃんが車で迎えに来てくれた。

 彼は確か「隆一」という日本的な名前だ。

 台湾では「ロンイー」みたいな発音だったと思う。

 でも日本人の皆がリュウちゃんと呼ぶうちに、そっちの方が定着してしまった。


 彼のお祖父さんは長崎大学歯学部の卒業だ。

 台湾で歯科医院を開業して、普通に日本語をしゃべっている。

 そのためか大相撲と高校野球のファンで、字幕なしで日本のテレビドラマも見ているのだとか。


 リュウちゃんは1年前にハーバード公衆衛生大学院に入っており、しかもオレが入るのと同じ学生寮に住んでいたので何かと助けてくれた。


 彼も少し日本語が出来たが、オレたちのコミュニケーションはもっぱら英語だ。


 オレに割り当てられたのは表通りに面したワンベッドルームの部屋、日本風にいえば2LDKだ。

 家具やベッド、机なんかは備え付けのものがあった。

 しかし、引き出しは開閉するたびにガタガタいって隙間すきまだらけだ。

 日本の家具のように引き出しを閉めたら空気すら通らなさそうなものとは大違い。

 また蛍光灯というものがほとんどなく、机の上のスタンドは白熱球だった。


 何もかもビシッと整備されている日本から行くと、もう何処どこの発展途上国かと思わされるような事ばかりだった。


 しかし家具ごときで文句を言ってはならない。

 オレの苦難は始まったばかりだった。


(次回に続く)


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