第987話 渡米する女 4

(前回からの続き)


 さらに必要なのはビザの申請だ。


 当時、観光ビザで米国に滞在できる期間は90日間しかなかった。

 もっと長期に滞在できるビザが必要だった。

 こういうのは米国総領事館に申請しなくてはならない。


 申し込むのは交換留学生のJ-1ビザ。

 もしオレが妻とともに渡米するなら配偶者のJ-2ビザという事になる。

 だから夫婦で一緒に申し込んだ。


 領事館の待合室に座っていると、オレたちと同じ住所が書かれた封筒を持った人がいた。

 話しかけてみると同じマンションの別の棟の住民だった。


 オレたちと同じくらいの年齢に見えたど、すでに経済学部の助教授だということだ。


「英語でやっていけるか、不安な事はありませんか?」


 そう尋ねると、その先生は「以前にカナダに4年ほど住んでいたので、特に問題はないですね」と余裕のようだ。

 その後、近所という事もあってこの助教授先生とは親しくお付き合いする事になる。

 仕事でも私生活でも色々な形で交流があったが、それは別の話。


 それにしても北米での生活経験があり、英語も堪能たんのうというのはうらやましい限りだ。

 我々夫婦の方は不安でつぶされそうになっているというのに。


 頑張って手続きした甲斐かいがあって妻は念願のJ-1ビザを取得することが出来た。

 一方のオレの方はおまけで貰ったJ-2ビザだ。

 それでも長期滞在できるだけ観光ビザよりずっといい。


 さらに手続きは続く。

 というか、これからが本番だ。


 米国の大学院を受験しなくてはならない。

 これは現地に筆記試験を受けに行くわけではない。

 各大学院が独自に設定している書類を取り寄せ、それに記入して応募する事になる。

 今ならネットで済ますのだろうが、当時はすべて紙であった。

 何ページもある書類に手書きで記入して、必要書類を添付して郵送する。

 医師免許証とか医学部の卒業証明書とか成績証明書とか。

 当然の事ながら全部英語での書類になる。

 が、必死になって翻訳した記憶がないので、最初から英語の証明書だったのかもしれない。


 妻は全米の公衆衛生大学院の中から10校をピックアップした。

 中でもねらいはシアトル、ミシガン、ボストンの3つだ。

 何でこの3つか分からないが、それぞれに理由があったのだろう。


 当時のオレは米国の都市の名前を言われてもさっぱり分からなかった。

 もちろん今でも真ん中あたりの州の名前や位置関係はあやふやだ。


 で、これら10校にかたぱしから応募したら最初に合格通知が来たのがUCLAだった。

 たちまちオレの頭の中では西海岸のキャンパスライフ、青い空とまぶしい太陽が浮かんでくる。

 そして、次々に合格通知や、時には不合格通知が送られてきた。


 なんせ都市の名前が良く分からないので、合格通知が届くたびに地図で場所を確認した。

 ミシガン大学のあるアナーバーなんか、東西と北を五大湖に囲まれている。

 と言う事は冬は豪雪地帯なんだろうという事がオレにも想像できた。


(次回に続く)




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