第214話 アメリカン・ドリームの男 2

前回は脳神経外科レジデント、ジャックの話をした。

書いているうちに色々思い出したので当時の事を述べたい。


ジャックは古いボルボに乗っていた。

ウインカーが壊れていたので、曲がるときはいつも手信号だ。

窓から左手を出してウインカー代わりにしている。


車の中でオレたちはいつも馬鹿話をしていた。


「ティムがさ、某病院に半年ほど修行に行ってたんだ」

「なるほど」


その某病院には有名な脳外科医がいる。

仮に名前をドクター・ミッチェルとしておこう。


聴神経鞘腫ちょうしんけいしょうしゅの手術の助手を沢山やって、ついにミッチェルの法則ってのを編み出したわけ」

「おおーっ! どんな法則なわけ?」


大発見かと思ったオレは素直に驚いた。


「つまり聴神経鞘腫の直径の二乗に2を足したら予想手術時間になるわけよ」

「なんじゃ、それ。アホらしすぎる!」

「ガッハッハ。ティムの考える事と言ったらそんなもんだぜ」


ティムというのはジャックより1年下の脳外科レジデントだ。

アメリカ人にしては、いや日本人にしても小柄な体にオッサンみたいな顔がついている。

でも、アイビーリーグの1つ、ペンシルベニア大学とそのメディカルスクールをともにトップで卒業したそうだ。

人は見かけによらない、とはこのことだと思わされた。


が、ティムの話はそれだけではない。

趣味は株の売買だ。

オレが日本から来たといったら「日本ならニッケイだな」とティムに言われた。

言うまでもなく日経新聞のことで、以来、オレたちは陰でニッケイ・ティムと呼んでいた。


話を聴神経鞘腫ちょうしんけいしょうしゅに戻す。


「だからさ、1センチのサイズだったら1の二乗じじょう足す2で3時間、2センチだったら4足す2の6時間かかるってわけ」

「速い方だけど、無茶苦茶速いってわけじゃないような気が……」

「確かにそうだな」


普通の脳外科医にとっては十分に速い。

でも、あのドクター・ミッチェルだったらその半分くらいの時間でもいいのでは、とオレは思った。


「ジャック、それはもしかしたらセンチじゃなくてインチじゃないのか?」


1インチは約2.5センチだ。

そうすると直径2.5センチの腫瘍なら3時間、5センチでも6時間で摘出てきしゅつすることになる。

おそるべきスピードだ。


「そうか! そうかもな」

「きっとそうだろ。それでこそオレたちのドクター・ミッチェルだぜ」

「そうだ、そうだ!」


こんな調子だった。

オレも若く、ジャックも若かった。



ジャックは郊外の一軒家に住んでいた。

庭が広く、森林のすぐそばで気持ちのいい場所だった。


ジャックの奥さんはフィギュアスケートの元オリンピック選手だ。

この町で生まれ、この町で育った。

だからジャックが「神の手」、タカ・フクシマの所で修行したいと言ったら大反対されたそうだ。


でも、実際に家族で引っ越したら思わぬことが起こった。

新しく住んだ所で奥さんは大変な人気者になってしまったのだ。

元オリンピック選手というのは田舎では大スターなのだろう。


奥さんの方に大勢の友達ができる一方、ジャックの修行は困難を極めた。

タカ・フクシマは雲上人うんじょうびととしても、直属の上司との人間関係がうまく行かなかったそうだ。

それが家庭生活に影響したのか、ジャックは奥さんと別れて他の州に移った。


その後の消息は前回述べた通り。

最終的にジャックはアメリカン・ドリームを実現させたってわけ。


それにしても人生というのは何が起こるか分からないもんだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る