ブレイブ・イン・ザ・ロッカー ~強制送還勇者の保護について~
暁太郎
第1話 勇者、ロッカーに反発される
三分
一八〇秒
目の前に置かれたスマホのストップウォッチ機能が、刻まれる時間を正確に知らせてくる。
(三分をちゃんと待つ、なんて人生でもう二度と無いだろうと思ってたのにな)
スマホの横には、カップラーメンが並んでいる。閉じた蓋の端から湯気が漏れていた。月光に照らされた学習机の上に置かれたそれらを見て、駿は未だに現実感を取り戻せずにいる。
正確な時を、事も無げに告げるスマホも
カップラーメンという、出来すぎた食べ物も
無人と化して長らく経った学校の教室も
全てが駿にとって「過去」として置き去りにしていったもののはずだった。
「スゥー……スゥーッ」
空気が漏れるような音が鼓膜を震わせた。後ろ……音源の方向に目をやる。
「チッ……」
駿はそれを見て思わず舌打ちをした。
(こっちが思い悩んでる時に、いい気なもんだ……!)
暗い教室でも窓から漏れる僅かな光を反射し、一般的なそれの名称とは不釣り合いな、白銀の光沢を放っていた。
ロッカーである。
教室に限らず、何かしらの施設には絶対と言っていいほどあるものだ。
白銀のロッカー。音はそれから出ていた。正確に言えば、寝息。
「スゥーー…グガッ」
寝息の主がカエル鳴き声のようなイビキを出した。呑気極まりない。
「そんなに気持ち良いもんなのか……?」
横たわったロッカーに、まるで棺桶に入ったヴァンパイアよろしく寝ているのである。正直、理解できない。
保温にも向かなそうだし、単純に寝心地が悪いだろう。だが、なにより駿にとってロッカーには嫌な思い出しかない。その中に入るなど、考えたくもなかった。
そんな自分の気も知らないで、勝手に熟睡しているロッカーの主に駿は苛立ちを募らせる。
(てか、まともな説明もせずに眠るか!? 普通!)
駿は机のスマホを手に取り、ロッカーに向かって投げつけた。
スマホはロッカーの角にぶつかり、乾いた音をたてる――
「え」
――事はなかった。
ロッカーにスマホがめり込んだ。大きく凹んでいた。だが、普通の凹み方ではない。まるでスライムに沈んだかのように、そう、凹むというより受け止められていた。
そして、
「いっ――!?」
めり込んだ部分が急速に元の形に戻った。スマホはその反動で弾け飛び、駿の顔面に向かって射出された。
ガンッ
「でぇぇぇっっ!!!」
額を強打された駿は椅子から転げ落ちてのたうち回る。
「なんだよコレぇッ! こんなのこっちの世界じゃ――」
「うるっさい!!」
ロッカーの扉が勢いよく開き、怒号が放出された。眠りから覚めたロッカーの主は、目をこすりながら起き上がってくる。
「なに? ……出来たのカップ麺」
あくびをしながら、彼は駿に近づいた。うずくまる駿を見て、眉をひそめる。
「何その寝方。あっちだとおデコ抑えながら寝るのが作法とか?」
「ちっ……がぁう……」
呻きながら、駿は憎々しげな目で彼を見上げる。そして、その姿に目を奪われ、一瞬痛みを忘れた。
否が応でも目に入る、首のあたりでまとめられた腰まで伸びる銀髪は、月光を受けて煌めき、赤い目とまだ幼さを残しながらも精悍な顔立ちも相まって、駿はかつて王国の城で見た、一流のアトリエで十年かけて描かれた絵画とも劣らない印象を受けた。
(もしかして、こっちにもエルフがいるのか?)
思わずそう考えるほどの、ともすれば美女とも見間違うほどの顔立ちの良さだったが、身に纏った学生服、その下の細身ながらがっちりとした体つきは男性である事を示していた。
「おっさん、カップ麺、俺しょうゆ味食うから」
「おっさんとか言うな。僕はまだ……ええと……」
「二十六でしょ、確か。おっさんじゃん」
「はぁ!? いやいや、二十四か二十五……」
「あんたが失踪したのが今からちょうど十年前。ちゃんと記事にも残ってる。消えたのが高校一年の時でしょ? じゃあ、二十六。おっさん」
バッサリと言い切る少年に、駿は「うぐっ」と呻いたが、すかさず反論する。
「あっちとこっちじゃ暦が違うんだ。その計算からすれば……」
「そんなの知らないくだらない大した話じゃない情けない」
「十ぐらいしか違わない奴におっさん呼ばわりとか傷つくんだぞ! お前、もし幼稚園児におっさんて言われたらどう思う!?」
「それは問題がズレてない?」
スマホがアラーム音を鳴らした。カップ麺が出来上がった合図だ。
「できたっ」
少年はすかさずしょうゆ味とカレー味から目当てのものを取り、机の脇に置かれたコンビニ袋から割り箸を取り出した。
少年は机に座って足を組み、いそいそと食事の準備をする。
カップ麺の蓋を開けると、空腹を刺激する濃厚な匂いが立ち上ってきた。割り箸で湯気立つ麺を持ち上げ、ふーふーと息を吹き掛け、熱を冷まし、そして一気にすする。
たかがジャンクフードでも、このぐらいの歳の子にとっては立派なご馳走の一つだろう。目を細めて美味しそうに味わう様は微笑ましいが、駿にとってはそれが逆に心配を増幅させていた。
「お前……緊張感ってもんがないのか?」
「お前お前言うのやめて。言ったでしょ、名前。
少年――
「じゃあお前もおっさん言うのやめろ。九嶽さんと呼べ」
「駿」
「名字……! さん付け……!!」
「おっさんさん」
「ああああああああ」
もはや制御不能の銀一郎の態度に駿は頭を抱えて絶叫するしかなかった。
(畜生! やっぱこっちはクソな事ばっかりだ! 早く、またあっちに行く手段を――)
駿は教室の窓から夜空を見上げた。輝く星々の数は、かつて駿が青春を過ごした異世界で見たものより随分と少ない。あっちでは夜の移動で方角を確かめる為に星の位置はよく頼りにしていたものだった。
この地球……日本において、公的には十年前に突如として失踪した少年。
彼はその間の年月を異世界で過ごした。
夢も希望も色あせていた駿の日本での生活は、突如として、まるで漫画やアニメの如きファンタジーの世界に訪れた事により塗り替えられた。
異世界での暮らしは決して楽な事ばかりだったわけじゃない。
ともすれば、その環境や人間関係は地球にいた頃よりも厳しかったかもしれない。
しかし、駿には授かった力があった。
たった一人でも生き抜き、そして勇者と呼ばれるような存在にすらなった。
「ここでなら、強く生きていける」
そう、本気で思えた。それが自らのストーリーなのだと。
しかし――。
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