さかしま

五速 梁

第1話 発火


 まさかこんな所に『理想の人』がいるとは思わなかった。

 わたしの血管は激しく脈打ち、口をちゃんと閉じていないと鼓動の音が漏れてしまいそうだった。

 

 ――急いで彼の近くに行かないと、わたしの存在がどんどん薄れて行く気がする。


 わたしは意を決すると、彼の目をこちらに向けさせるべく全てを変える準備を始めた。


                 ※


 わたしの名前は九重円花ここのえまどか。高校一年生だ。


 成績は中の上、趣味は料理と音楽。特定のボーイフレンドはいない。


 部活動もアルバイトもしていないわたしは、授業が終わると母がやっているお店の仕込みを手伝ったり、買い物をしたりと青春らしい彩りに欠ける日々を送っていた。


 そんなわたしがひとめ惚れに近い状態に陥ったのは、ディベートのための席替えでたまたま、ある同級生の近くに座った時だった。


 ――こんな顔、してたんだ。


 それまで一緒に授業を受けていたにもかかわらず、まったく意識の端にも上らなかったその男子は、頬杖をついた横顔ひとつでたちまちわたしを虜にしてしまったのだった。


 彼の名前は、塚本響也つかもときょうや


 クラスで恐らくもっとも目立たない子の一人だろう。成績はわたしと同じ中の上で、休み時間はにぎやかなグループの話を近くで聞いているだけ、という自己主張のない男子だ。


 彼の事が気になり始めた途端、わたしは恋の魔法に取り憑かれたように彼の身辺を探り始めた。趣味は何なのか、将来の夢は何なのか、そして――


 どんな女の子が好きなのか、クラスに好きな子はいるのか。


 あれこれ想像を巡らせるようになってから、わたしにとって退屈だった教室での時間がワクワクとスリルに満ちた物に変わっていった。


 なんとかして接点を見つけられないだろうか。わたしにとって幸いだったのは、彼が人気者ではなく、女子同士の会話にも一切、名前が上がらないという点だった。


 ――今はまだ誰も彼の魅力に気がついてない。早く距離を縮めてしまわないと。


 とりあえず話しかけないことには何も始まらないのだが、個人情報が手に入らない以上、いきなり声をかけても警戒されるのがおちだ。何が好きかだけでもわかればとっかかりができるし、それなりに『予習』しておくこともできる。


 ――スポーツもしてなさそうだし、アイドルの話にも加わらない。いったい、何が好きなんだろう?

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