9_お姉さんの初めての男

居酒屋を出た後は変な感じだった。

飯を食べて、帰るだけだったのだが、俺の盛大な告白(?)のあと、お姉さんのリアクションがとても変な感じだったのだ。


店から出た後、タクシーで帰ったのだが、座っている俺の横でずっともじもじしていた。

最初はトイレに行きそびれたのかな、と思ったけれど、どうもそういう訳ではなかったらしい。「トイレですか?」とストレートに聞いたら怒られてしまった。


そのあと、俺の手をまじまじと見ていた。



業を煮やしたように「あっくん、手を握っていいですか?」と聞かれた。

何故敬語!?

お姉さんの意図が読み取れない俺は、「俺でよければ」と言って手を差し出した。

そっと俺の手に自分の手を添えて、恋人つなぎをされてしまった。

その時の感触と言ったら……


手をつなぐってエロいな。いや、エロくないけれども、なんかエロい。

お姉さんの顔は先程とは打って変わってニコニコだし、俺も悪い気はしないけど、すごく恥ずかしかった。



「お姉さん、なんで敬語?」


「だって……私の人生初めてのカレシ様だから……」



お姉さんは恥ずかしそうに答えてくれた。

初めてなの!?めちゃくちゃ美人でモテそうなのに!?


先日の再会の時には既に距離感が近かったし、今とどれほど違うのか俺には分からないけれど、お姉さん的には違うのだろう。

まだまだ謎が多いお姉さんだけど、見ていてこのウキウキぶりは嘘じゃないと感じた。そして、それは俺もなんだか誇らしくて、嬉しかった。


家に帰って、それぞれ風呂に入ったのだけど、昨日と違って風呂上がりの姿をお姉さんがやたら自分のパジャマ姿を気にしていた。

さらには、既に同じベッドで一晩過ごしているのだけれど、今日になって同じベッドで寝ようとしたら真っ赤になっていた。


多分だけど、昨日までは俺は「昔のあっくん」と認識されていたのではないだろうか。

だから、昨日ベッドで一緒に寝ていたのは、子供を相手にしているようなものだったということか?そう考えれば、俺のすぐ横ですーすー寝ていたことも理解ができる。


それに対して、今日は俺を「カレシ」として認識している。

だから全く同じことをしようとしているだけなのに、ベッドで一緒に寝るのが恥ずかしかったと仮定すれば理解できる。


そもそも俺とお姉さんの関係はおかしいことばかりだった。

10年ぶりに再会したのはいいとして、その日のうちにお姉さんの家に行って、何故か同棲(同居?)することになってしまった。


ベッドで抱き着いてくるのに、キスはおろか、手をつないだこともなかったのだから。

今日はお姉さんの反応が初々しすぎて、中々手を出せないでいた。



§§§



翌朝のお姉さんは一段と変だった。

昨日の朝はいかにも朝に弱そうだったのに、今朝は俺が目を覚ました時にはすでにキッチンで朝食の準備を始めていた。



「あっくん、おはようございまーす♪」


「おはよう…ございます」



朝から満面の笑顔だった。

キッチンの窓から差し込むわずかな朝の光でお姉さんは一層輝いて見えるし。

さわやか。ザ・さわやか。クイーン・オブ・さわやか。

俺の頭はまだ寝ているようだ。



「もうパンが焼けるから、顔洗ってきたら?」


「あ、うん」



なんとなく違和感を感じながら、俺は顔を洗った。

洗った頃に、お姉さんが新しいタオルを持ってきてくれた。


タオルを置き忘れたのかと思ったけれど、タオルはタオル掛けにあった。

新しいものを持ってきた理由は思いつかなかったけれど、出されたのでそのまま使った。顔を拭き終わるとリビングに戻りテーブルについた。



「はい、今朝はイングリッシュマフィンとスクランブルエッグとベーコンです」



「イングリッシュマフィン」は知らなかったけれど、朝マックみたいなご飯が準備された。家で朝マックが食べられるなんて。なんだか一人テンションが上がっていた。


昨日の朝と違うのは、お姉さんは向ではなく横の席に座った。

テーブルは広く席も2席2席の合計4席あるのでどこに座ってもいいのだけど、お姉さんは俺の横にぴったりくっついて座ったのだ。


「はい、コーヒーどうぞ」

「ありがとう」


「あ、あっくんはカフェオレだよね。牛乳持ってくるね」

「あ、ども」


「ナイフとフォーク使う?」

「あ、手で持って食べるからいいよ」


「ケチャップどうぞ。マスタードはいる?」

「ありがとう」


「あは、あっくん、口元にケチャップついてるよ?拭いてあげるね」

「え?ほんと?ありがと」



なんか、至れり尽くせりだ。めちゃくちゃ甘やかされてる。ダダ甘ってやつだった。



「あっくん、今日の予定は?何かある?」



食事の最中にお姉さんに尋ねられた。

俺は普通に食事をしているのだけど、お姉さんは身体ごとこちらを向いているし、ちょくちょく目が合うし、ずっとこっちを見てくれているのだろう。

なんか物理的距離と心の距離両方が近くてドギマギする。



「ちょっと買い物に出ようと思ってる。服とかパンツとか買い足そうと思って」



昨日バイトに行く前に自宅に戻ったので、いくらか服と下着は持ってきたけれど、古くなっていたものもあったので、処分することにしたのだ。


一人ならばそのまま使い続けたと思うけれど、生地が毛羽立ってきているパンツを履いていて、なにかのタイミングでお姉さんに見られてしまったら二重、三重に恥ずかしい思いをする。



「あ、私も出る用事があったから、一緒に行ってもいいかな?」


「ショッピングモールだけど大丈夫?」


「うん、ちょうどモールに行く用事だったの」


「じゃあ」



下着を買いに行くのに一緒に行くのはなんか変な感じだったけど、俺の買い物なんて5分で終わる。

お姉さんの買い物に荷物持ちが必要だったら、ちょうどいいし、お世話になるのだから少しでも役に立ちたいと思った。

ただ、この考えが根本から間違っていることに気付くことになる。



「あっくん、着替えある?」


「あ、うん。昨日家から持ってきたのがある」


「着替え手伝おうか?」



着替えの手伝いとはなんだ!?



「だ、大丈夫だよ。子どもじゃないし。」


「でも、ほら。ボタンとか止まらないかもしれないし?」



そんなことってある!?お姉さんが俺に構いまくってないかな?


他にも、玄関には靴をそろえておいてくれていたし、ハンカチなども準備してくれた。普段ハンカチなんて持ち歩かないんだけど。



「髪のセットは大丈夫?私やろうか?」


「お姉さん、セットくらい自分でやるよ」


「そう?残念……」



なんだか本当に残念そう。何が彼女をそうさせるのか。

外に出てからもお姉さんは変だった。



「あっくん、手を繋いでいい?」


「もちろん」



お姉さんはするりと手を滑らせて、恋人繫ぎの上もう片方の手は俺の二の腕の辺りに手を回してくるので、ばっちり密着していたし、腕を通して柔らかさが伝わってきたし、お姉さんのいい匂いが感じられた。

19歳童貞にそんなの耐えられるわけがなく、俺は心の中で叫びまくっていた。



「にゃは。お出かけ楽しいね」



まだマンションのエントランスを出たばかりなんだけど……この調子で1日過ごすの?今にも走り出したい衝動を抑えできるだけ冷静を装って歩いた。


ショッピングモールまではそんなに遠くないので、天気もいいし散歩がてら歩いて行こうと話したのだけど、お姉さんは俺の腕に頬ずりする勢いだったから、いよいよ歩きにくい。


途中の公園で猫を見つけたので、一旦離れてくれたけど、お姉さんが異常にべたべたしてくる。嬉しいけれど、恥ずかしい上にすれ違う人にすごく見られる。


普通にべたべたしているだけで注目を集めどうだけど、隣にいるのがお姉さんだ。

亜麻色ふわふわの髪が印象的で、綺麗と可愛いを併せ持つ整った顔立ち。

少したれ目が愛らしくて、控えめに言っても美人、ちょっと気を許したら女神だと思えるほどのカノジョが普通の男の腕にべたべたでくっついているのだ。


それに、この嬉しそうな顔……この男にどんな魅力があるのだろうかと周囲としては気になるかもしれない。



「みてみて!あっくん!猫ちゃんが寄ってきた!」



しゃがむとで5匹くらいの猫に囲まれるお姉さん。

猫も優しくしてくれる人を本能でかぎ分ける能力があるのかもしれない。

美女と猫、とても絵になる。


ただ、お姉さんに抱き上げられる猫に少し面白くない思いをしているのも事実。

猫にまでやきもちを妬いている自分がいて、心が狭過ぎて軽く自己嫌悪になる。


べったり付かれても、離れられても満足できない俺は相当我儘なのだろう。



「お姉さん今日は、俺の面倒すごく見てくれてない?」


「え?そうかなぁ?やっぱり、初めてのカレシ様ってのが嬉しいからかな?」



お姉さんは照れながらそんなことを言った。

そんな風に言われて嬉しくない訳がない。


ただ、お姉さんの年齢を考えると初めてのカレシってのが信じられない。

その点に関しては、昨日居酒屋で働きづくめだったことを聞いたので、とりあえず納得した。



「私ね、カレシとか全然できなかったから、このまま死ぬんだと思ってたの」



極端!せっかくお金が手に入ったのだから、少しゆっくり過ごせば日常の中で出会いくらいあったのかもしれない。

俺としては、俺に会いに来てくれてよかったと思っているけど。



「ラストチャンスと思ってあっくんに会いに行ったけど、まさか付き合ってもらえるとまでは思ってなかったから」



確かお姉さんは27歳だったかな。30歳の大台に乗る前にカレシが欲しかったのかもしれない。

男にとっては30歳でも40歳でも関係ないのだけれど、女性にとって30歳は一つの節目になると聞いたことがある。


お姉さんは少し思い込みが激しいところがあるみたいだから、30歳までにカレシができないときは、一生できないくらいのことを考えていたのかもしれない。


これまで大変な仕事をしてきたお姉さんだ。

これからは、俺が楽しませていくことにしようと心の中で決意した。



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