第103話 大銀杏

油断を振り払ったケントはまず、ケボーノから距離を取った。



予選と違い、一回戦以降の試合にリングアウトは無い。



フィールドを広く使えるのは大きな変更点だ。



この試合、本来は開始からそうすべきであった。



そうしなかったのはケントの油断であり、怠慢である。



そしてそれを一番理解しているのは、ケント本人であった。



(相手の長所を消し、自分の長所を生かす。そんな基本も守られていないとは…自分の事ながら呆れますね。さて…)



ケントは油断なくケボーノを見ながら、静かに宙に浮いた。



ケボーノがただの力士であれば、手が届かなくなったこの段階で敗北は必至である。



しかしケボーノは口端を持ち上げ、笑みを見せた。



「どすこーい!!」



ドゴオオッ!!!!



ケントが危険を予測して張っていた障壁に、大きな衝撃が加えられた。



どうやらケボーノの張り手は衝撃波のように飛び道具の役割も持つらしい。



(失礼ですが、これまでの2人とは違いますね。この相手に油断など、出来るはずがない。動きをどうにかして止めなくては。)



「どす!どす!どす!どす!どすこーい!!!!」



ケントがケボーノの評価を上方修正している間にも、ケボーノの張り手が連続して飛来する。



ケントはそれを空中で左右に躱しながら、短い詠唱を試みた。



「ふっ、ハッ!Freeze!!」



ケントの詠唱に、周囲の大気が応える。



一瞬の間に、ケボーノはまわし一丁で極寒の地に立たされていた。



「ぶぅぅ…し、心頭めっきゃくすれば…」



「火もまた涼し、ですか。正しい使い方ですが、この状況では皮肉ですね。」



ケントはケボーノの動きが鈍ったのを見て、声が届く程度には近くまで寄ってきていた。



「Wind!!」



ケントの魔法により既に極寒の地と化していた会場に、冷たい風が吹き荒ぶ。



これには流石のケボーノも、身体を縮めて凍えるしか無かった。



「うぅ…さ、さむい…ケントくん、もうワシは…」



「とどめはこれです。Squall!!」



「ま、まって…ケントく…ううわあああ!!!!」



降参しようとしたケボーノに、大量の水が降りかかる。



ケボーノの不運は、2つ。



一つはケントを本気にさせてしまった事、もう一つはケントの魔法発動の順番。



声とはつまるところ、喉が発した音の波。



それが対象まで届くには、その為の環境が整っていなければならない。



この瞬間においては、直前に風魔法が使用されていたことにより、ケントの耳にはケボーノの懇願が届かなかった。



結果、ケボーノは極寒の中、冷風、冷水をぶつけられ、どうする事もできずただ打ち震える事になる。



こうなっては、流石のケボーノでもどうしようもない。



ケントの目論見通り、完全に動きを封じられてしまった。



「し、勝負有り!ケントの勝利!!」



教師が試合の終了を宣言しながら、慌てて駆けてくる。


その手にはどこから用意したのか、大きめのタオルを大量に持っていた。


(ケボーノさん、ありがとうございます。あなたのお陰で私は…おっと。)


パチン!


ケントが指を鳴らすと、ケボーノの背後に炎の塊が出現した。


「ああ…あったまる…」


ケボーノは先程までの絶望的な寒さから逃れ、炎の近くで暖をとる。



ケントは微笑を浮かべ、場を離れようとしたがその時。



「うわあちゃちゃ!!!!」



ケボーノの絶叫が聞こえた。



慌てて振り返ると、ケボーノの大銀杏が文字通り燃え上がっていた。


恐らく炎に近づきすぎたのだろう。


(………)


ケントは無言で消火にあたった。


「はあ、はあ、はあ…」


(これも油断…とは違いますかね。はあ…)


こうしてケントにとっては教訓に、ケボーノにとってはトラウマになる三回戦は幕を閉じたのであった。

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