その36.「戸籍の性別変更要件」に思うこと

最近、このニュースを見聞きする。

決まって、当事者以外がわぁわぁ言ってるんだけど、私はそういうのはシャットアウトしてる。SNSのタイムラインで流れてきたりすると、本当に文字通り「流れ弾」であるため、被弾するとものすごくダメージを受けてしまうからだ。


当事者にとっては、とてもとても重い決断である、性別変更のための、性別適合手術。


私はそこまで強い違和感を今現在は持っていないのだけれど、手術によって、性別違和感が「緩和する」(おそらく、まったくなくなる、というわけでは残念ながらないと思う)というのは理解も共感もできる。あこがれもある。


当事者はさ、苦しいんだよ。

ただ生きているだけでも、自分と反対の性別の人たちを見ながら、身を切られるほどの憧れと嫉妬と、その肉体ではない自分への嫌悪感と、必死に戦っているんだ。

きっと、これは消えることはない。

消えない苦しみなんだ。


忘れることができる瞬間はあっても、それは永続的ではない。決して。


絶えず、自分と、反対の性別の人たちとを比較して、自分の肉体に対して絶望感を抱くんだ。どうしてこっちだったんだ、って。どうしてあっちに生まれなかったんだって。


その絶望の末に、性別適合手術の恐怖(死ぬ可能性もある)に打ち勝って、なおかつ、MtFが造膣する場合には、長く果てしない「ダイレーション」が待っている。


私はMtFというよりはMtXだし、中性であり、ノンバイナリーだと自認している。


男でも女でもないという感覚は、当たり前だけど理解されづらい。


でも、同じように、逆の性別への帰属感と今の身体への忌避感がものすごく強いという、そんな苦しみも、理解されづらいんだって、こういうニュースがあるとすごく思う。


手術しない人が風呂やトイレを使うと怖いだなんだって、いろいろ言ってる。

それはもちろん理解できることだけど、別の問題。


手術を望む人も、手術なしで性別を変更したいという当事者も、そう思い、願うだけの背景がそこにはあるんだって、そのことを思ってほしい。

どれほどの気持ちの蓄積があるのかを、知ろうとしてほしい。


それがない限り、きっとこういうのって、いい方向に行かない気がする。


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