第2話 決意

 拝啓、お父様お母様、そして愛しい弟。

 どうか運命に負けないで幸せになりなさいと言ってくれたあなた方を想います。

 けれど少しばかり、難しいかもしれません。



-・*・-



 ひそひそ声が聞こえる。言うなら直接言えば良いのに、とは、私も直接言ってあげはしないけれど。

 それにしても溜息が出る。もともと私は、こういう生い立ちのせいで何かと陰口を言われるのには慣れている。でも、今日聞こえてくる言葉は、いつもとは違う。

 いつもなら、「あれが神の堕とし子」「前世でどんな罪を犯したのかしら」「命を操るだなんて恐ろしい」といった感じだ。子どもの頃はそれこそ傷ついたときもあったけれど、もうこの年齢にもなれば「前世なんか知るか!」の一言に尽きる。大体、覚えてないものを理由に罰を科すなんてそれこそナンセンスだわ。

 それに、確かに魔法は使えないけれど、妖精たちと語り合って命を身近に感じられるこの体質は、あまり悪くないと思っているのだ。とはいえ、正直幸せな結婚は諦めていた。女神様を信仰するこの世界で、女神を裏切った私と好き好んで夫婦になる人なんていないということは分かっていたから。


 ああ、それなのに、どうして。


 よりにもよって、対極にいる人と結婚することになるとは考えなかったわ。女神に愛され、魔法力も美貌も地位も生まれ持った人。あまりに人間離れしているせいか、こぞって女性達に囲まれるというよりは、遠巻きに見物されているような人ではあるけれど。

 だから、他に有力なお相手がいるとかそういうのではない。でも、私たちを見る女性は思っているはずだ。あの女よりは私の方がマシでしょうに、と。並んで廊下を歩きながら、ひそひそと聞こえてくる女官たちの会話からも分かる。いや、まだ私たち二人が婚約関係にあることは知らないだろうけれど、むしろその事実がまだ広まっていないにも関わらず、隣に歩いているだけでこの様。

 とても、結婚して二人が幸せになるだなんて思えないわ......。


「神の愛し子と神の堕とし子が隣に並んで歩いているなんて、恥ずかしくないのかしら?」


 という言葉に関しては、陰口の方がよほど恥ずかしいわと言わせてもらいたいけれど。

 そうして悶々と歩いていると、ふと隣から視線を感じた。


「......何か御用でしょうか。公爵閣下」

「君の部屋はそこではなかったのか?」

「はい?」


 指差された先を見る。紛れもなく私の部屋。宮中に用意された王子付き侍女の部屋だ。

 どうやら、色々と考え事をしている間に通り過ぎていたらしい。恥ずかしいにも程がある。何をやってるの、リーシィ!


「......いえ、私の部屋ですね。閣下、送ってくださりありがとうございました」


 コホンと咳払いしてそう言った。我ながら、令嬢時代と侍女生活を経て獲得した微笑みは完璧だと自負している。


「殿下の命だ。気にするな」


 今、少しだけ頬が引き攣ったのも、きっとバレていないはずだ。

 ——でも、そうね。殿下の命令でさえ無ければ、貴方は私なんかを気にかける必要はないのに......殿下の奔放さの犠牲者同士、少しだけ同情する。


「......それでも、私の歩きが遅いことに気を遣ってくださったでしょう。お忙しいでしょうに、感謝いたしますわ。殿下が仰っていた件も、どうかお気になさらず。あのお方は、私が幼馴染であるがゆえ気を遣ってくださるのですが......閣下まで巻き込むつもりはございません」


 公爵閣下は、少し驚いたように目を見開いた。こんな顔をすることもあるのね。道理で女の子たちが騒ぐわけだわ。


「君は、」

「はい」


 公爵閣下の目が少し揺れる。驚きと、迷い、戸惑い。それもそうか、と今更私は思い至った。

 この婚約も、殿下の命令だ。無視するという選択肢は彼にはないのかもしれない。


「......殿下の仰ったことはもっともだ。少なくとも、今は従うことにする。当然、君にもそうしてもらう」

「それは」

「二度は言わない。命令に従う」

「......承知いたしました」


 カーテシーをとると、閣下はくるりと身を翻して歩き去った。後ろ姿さえも美麗なのね、なんて感想が浮かぶ。


 ああ、それにしても。


「まさか、婚約させられるなんて! しかもお相手が公爵閣下ですって!? やってられないわ......閣下もお嫌なら早く断ってくださればいいのに」


 ——そうすれば、傷つかなくて済むのに。


 ベッドに飛び込み、バタバタとはしたなく動かしていた足を止める。ふと閣下の顔を思い出して、私はあることに気がついた。


「......閣下は、私が神の堕とし子だと馬鹿にはなさらなかったわ......なぜかしら」


 女神への反逆者。前世の大罪人。そんな私を見る目は、いつだって冷たいものだった。けれど閣下は、殿下を見る目も私を見る目も、そして噂話をする女官たちを見る目も......まるで変わらない、無表情のまま。氷の人形とは、誰が言っていたものか。


 女神に愛され、国民に愛され、王族に重宝されて、なぜお幸せそうではないのかしら。


「......まぁ、期待されすぎるというのも辛いものなのかもしれないわ。私には一生わからないことだけど!」


 でも、それならなおさら、私といることで幸せは遠ざかるのは確実なのだから、早く解放して差し上げなくては。


「仕方ないわ。私が人肌脱いで差し上げましょう。殿下のことで同情してしまったのも何かの縁ですもの」


 だって、そう考えた方が楽しい。どうせ地獄なら、楽しい方がいいに決まってるわ。


 私はその日、そんな決意を固めた。

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神の堕とし子と魔法使い @ririri337

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