がぶがぶ/15 ブラッド・プレイ



 楽しい時間は瞬く間に過ぎ去った、マックにて吉久と兼嗣、そして初雪と紗楽は遭遇して相席。

 箱入りのお嬢様の初雪が、ファーストフードを食べる姿は中々に味があって。

 興が乗った四人はそのままゲーセンで遊び、夕食は初雪の強い希望により牛角へ。

 ――流石に、その後は解散となったが。


「今日は楽しかったねぇ、久々に心から楽しんだ気がするよ」


「ふふッ、お友達と遊ぶのはこんなに楽しい事だったんですね」


「これからもさ、こうして遊ぼうよ」


「そしてこうやって、二人で同じ部屋に帰る……こんな風な体験が出来るなんて、思いもしていませんでした」


 夜道を歩く二人、家へ近づく程に人通りは少なくなっていく。

 初雪は嬉しそうに吉久の左腕をぎゅっと強く抱きしめて、彼としては少し歩きづらかったが。


(これはこれでさ、良い雰囲気だよね)


 こうやって平和に過ごせれば、なんと幸せな事か。

 はしゃぐ彼女も、ありふれた笑顔を浮かべ楽しんでいた。

 その価値を、吉久は知っている。


(――僕はさ、初雪さんとこうなりたかったんだ)


 だからこそ、それを汚し壊してしまった事を後悔している。

 もし過去に戻れるのなら、もし最初からやり直せるなら。


(………………救いようがないな、僕ってヤツはさ)


 ああ、と吉久は小さく溜息を出した。

 己はきっと、何度繰り返しても同じ事をするだろう。

 同じ罪を犯し、同じ後悔をする。


(恵まれているんだ、今だって)


 隣で初雪が笑っている、それだけで満たされているのだから。


(だから、……これ以上は罰があたる)


 望んではいけない、己からは絶対に、どうして罪にまみれた体で尊い彼女に触れられようか。

 どうして自分から、キスをして愛を囁く事ができるのだろうか。

 その権利を、全て手放してしまったというのに。


(――――楽しかったです、ええ、本当に。だから……吉久君も、もっと求めてくださっても)


 熱情を吐息に含ませながら、全神経を彼に集中させている初雪は。

 その心情の変化を敏感に捉えていた、全てが理解できている訳ではない。

 だが、彼が欲望に抗おうとしている事は分かる。

 だから。


(このまま、そう、このまま私は、吉久君が望むように普通の女の子みたいにすれば――)


 そうしたら、彼は素直に愛してくれるだろうか。

 あの時の様にとはならなくとも、普通の男の子の様に。

 初雪を愛して、求めてくれるだろうか。

 でも、それは。


(あり得ないのですよ吉久君……)


 過去の自分は彼に壊されてしまった、確かにそれもある。

 愛を知らずに育ったから、暖かい愛ある家庭を、普通の家庭を望んでいるのも確かだ。

 けれど、それ以上に。


(たった一人、貴方が隣で手を握ってくれているだけで私は幸せなんです)


 どんなに歪んでいて、独りよがりでも吉久の愛は正しく愛だった。

 温もりをくれた、側にいてくれた、初雪だけを見てくれていた。

 強引にでも手を伸ばし、手を掴んでくれた。


(だから、違うんです。私は貴方の押しつける“理想”の普通の生活を、女の子を望んでいる訳じゃないんですよ)


 なんて愚かなヒト、と口元がうっすらと歪んだ。

 己を汚さない、自分から愛を押しつけない、彼はそんな覚悟を決めているようだが。


(ふふッ、どんなに罪悪感を得ても性根は変わりませんね吉久君、私はそんな貴方が大好きなんです。大好きで大好きで、愛してる)


 それと同じくらい憎たらしい、涙を流し足に縋りつかせながら懇願させたい、もっと惨めな姿を見たい。

 だってそうだろう、吉久は今。


(気づいていますか? 貴方は歪んだ愛を押しつけた時と同じように……私に“普通”を押しつけているのを)


 嬉しいのに、腹立たしい。愛してるのに、憎たらしい。

 愛想を尽かせてしまえば楽になるだろう、だが、彼にどんな酷いことをされても。

 そんな気持ちなど、露ほどにも沸いてこないのだ。


(だから、――あはッ、今晩は覚悟してくださいね吉久君)


 歩く、歩く、歩く、二人の部屋はもう少し。

 初雪の胸は高まる、吉久は苦悩している。


(ふふッ、不器用ですね私達……どんなに普通の幸せを望んでいても、受け入れられない)


 きっと最初からこうなる運命だったのだ、もし同じ学園に通っていなくても。

 何処かで絶対に出逢って、初雪は吉久に陵辱される。


(私と貴方は比翼連理、――だから、貴方だけ押しつけるのではなくて。私の愛も、苦しみも、痛みも、悲しみも…………全部、全部――――)


 マンションの玄関をくぐる、エレベーターに乗る、部屋の前にたどり着き鍵を取り出す、中に入る寸前で初雪は吉久の腕を離して。

 戦前の大和撫子のように、三歩後ろの距離を保った。


「はー、楽しかったけど疲れたね。……ただいま&おかえり初雪さん」


「うふふッ、ただいまです吉久君。でも次は私が先に入ってただいまって言わせてください」


「お、良いねそれ。帰ったら君が居る……なんて素敵な日常なんだっ!! ――――ところで聞いて良い?」


「貴方に閉ざす口は持ち合わせていません、何でも聞いてください」


 平然とした顔を崩さない初雪に、その行為に。

 吉久は部屋に入る前まで良い雰囲気だったじゃないかと、激しい疑問を浮かべながら。


「後ろ手で鍵を閉めたのは良いとしてさ、いや、すっごい不自然だけども戸締まりは重要だし」


「私達の愛の巣に、万が一でも余人を入れたくありませんから」


「じゃあさ、――なんで玄関で制服脱いでるワケ??」


「…………?? ああ、申し訳ありません。手洗いうがいが先でしたね」


「それもそうだけどっ!! 確かにそうなんだけどっ!!」


 絶対にワザとやってるだろっ!! と吉久は盛大に頭を抱えた。

 初雪は別に家では全裸で過ごすという趣味や主義はない、そして吉久とてそこまで彼女を性奴隷として扱っていない。


(――――いや待て、んん? 待って、本当に待って、そういえば心当たりがあるような……)


「では、お先に洗面所を使わせて頂きますね」


(いや、自分すら騙せないあやふやな言い方はダメだ。あった、あったよねぇ……玄関で服を脱いでとか、そういう躾した事がさぁ…………)


 初雪が手洗いうがいをする為に、通り越していった事すら気づかず。

 吉久は天を仰ぎながら、両手で顔を覆う。

 した、してしまった、見て見ぬフリをしてしまったが。


(可愛がって欲しければ、玄関で全裸になって四つん這いになって犬の真似しながら僕の足を舐めて媚びろって命令したというか、脅したというか、拒否したら絶頂寸止め調教したって言うか)


 何という事だろうか、聖女とも呼ばれる箱入りお嬢様は。

 恥じらいという言葉を、何処かに置き忘れてしまったのではないか。

 拾わなければ、吉久が捨てさせてしまった恥じらいを探さなければ。


「――――今後はそれも課題にしよう」


「吉久君? 洗面所が空きましたよ」


「あっ、はい、んじゃあ僕も……ってそうじゃないよ初雪さん!!」


「ああ、もしかしてうがいの為の水を口移しで、手を胸の谷間に挟んで洗えと、そう言いたいのですね?」


「違うっ!! どうしてそうなるんだよっ!? 恥じらいって言葉を忘れたのかい!? というかさぁ! 手に持ってるカッターナイフで何を…………んんっ?? 何でカッター持ってるの??」


 今の初雪の格好は、レースで透けている深紅のアダルトな下着。

 それと学園指定の靴下、右手には刃を出したカッターナイフ。

 嫌な予感しかしない、とんでもない言葉が飛び出てくる気がする。


「…………ちょっと待ってて今すぐ手洗いうがいしてくるから」


「ええ、ご存分に」


 そして、玄関に続く廊下へ戻ってくると。


「何で包帯とか傷薬とか用意してるワケ?? 本当に何をするつもり??」


「うふふッ、あはッ、――ハァ、ねぇ吉久君……私、考えたのです」


「…………聞きたくないけど、続きをどうぞ」


「貴方は私が傷つくのが嫌だと言うけれど、ええ、でも不公平でしょう? 私の心が傷ついたのなら、貴方の心も傷つかないと」


「それで、初雪さんは僕に君を傷つけさせる。或いは自分自身で傷つける……そんな所かい?」


「ええ、話が早くて助かります。――覚悟してくださいまし吉久君…………」


 妖しげに笑いながら近づく初雪、白い肌に映える赤い下着は彼女の魅力を際だたせて。

 エロスの権化とでも言うべきか、気を抜くとくらくらと目眩がしそうだ。

 今すぐブラを力任せに剥ぎ取り、乳首を噛みながら揉みしだきたい。

 ――だがその前に、言わなければいけない事がある。


「残念だよ初雪さん……実に残念だ、――僕がそんなに甘く見られてるなんてね」


「と言いますと? スラックスの上から見て分かるぐらい勃起していますのに」


「はいそこ頬擦りしないように、臭いも嗅がない」


「私の事は気にしないで本題に入ってください、どうせ今宵は血に染まるんです、ああ、万が一の時が不安ですか? 大丈夫です医師を一人、隣の隣に住まわせているので」


「聞いてないことまで話さないでくれるっ!? 情報量でぶん殴るのっていけないと思うんだよ僕はっ!! 誘惑するか脅すか金持ちアピールするか一つに絞ってマジでっ!?」


 全力で吉久の精神を削りにきている、その事実に叫びたいぐらいの恐怖を覚えた。


(ど、どうすれば良いってんだよぉ!!)


 今ここで引いてしまったら、それこそ初雪の思う壺だ。

 ここは断固として、拒否せねばならない。

 だが、――本当にそれが出来るのか。

 どんな理由で、どんな言葉で、どんな権利で、彼女を止められるのか。


「さぁ、楽になってください……私の体、好きなのでしょう? 存分に溺れてください、溺れて、溺れて、呼吸が出来なくなるまで沈んで。――その沈んだ分だけ吉久君は私の血を見る事になるんです、痛みを知るんです、憎しみを感じるんです」


「っ、ぁ――な、なんでそんな……」


 初雪は手際よくベルトを外し、口でジッパーを下ろし吉久のパンツを露出させた。

 とても堅くなっているソレを愛おしそうに撫でながら、蠱惑的な笑みで息を吹きかけ。


「――――――だって、私が傷つけば傷つく程、貴方は悲しむ。それは私にとっても辛い事で、……でも、貴方の心がまた一つ手に入るという事でしょう?」


「それ、は……っ」


 吉久は言い返せなかった、覚えがある。

 それはあの頃の彼が、初雪に向けて懇願するように何度も囁いた言葉だ。

 だから、やってしまったのなら、やり返されて当然の報いであり。


「~~~~っ、でも、でもっ!! それでも僕はっ!!」


「私に“普通”の女の子であって欲しいと? うふふッ、本当に可愛らしいヒトですね。気づいていますか? 貴方は今、あの頃の貴方と何も変わっていないと言う事を」


「違うっ、僕は君のっ、君をっ!!」


「半年前は“愛”を押しつけて、今は“普通”を押しつける、――そんな事で、どうして私の心が軽くなるのでしょう」


「~~~~~~っ、ぁ――――――!!」


 ガツンと頭をハンマーで殴られたような衝撃が佳久を襲った、己はなんて勘違いをしていたのだろうか。

 またも自分の理想を押しつけて、彼女の願いを聞こうとせずに。


(僕に初雪さんを救う資格なんて、罪を償う資格すらさ、最初から存在しなかったんだ)


 あまりの情けなさに涙が出てくる、無く権利だってないのに。

 力が入らない、崩れ落ちる体は彼女の腕の中に収まって。

 その柔らかな感触が、優しい体温が、吉久の心をガリガリと削っていく。


「嗚呼、――甘くて美味しいです貴方の涙、もっと、もっと味あわせてくださいまし…………」


 ちゅ、ちゅ、と啄むように涙が吸われていく。

 吉久は歯を食いしばって体に力を込めても、その動きは酷く緩慢で。

 初雪の体を押し返す事すら出来ない、逆に手首を掴まれ甘噛みされる始末だ。


「――――はァ、嗚呼、嬉しい、嬉しいです吉久君……伝わってきます貴方の悲しみが、絶望が、無力感が、なんて愛おしいんでしょう――、私はきっと、ずっとずっとその顔が見たかったんです」


「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん――――」


 譫言のように謝罪を繰り返す彼を、初雪は押し倒して。

 二人を隔てる邪魔な布はもう必要ない、カッターナイフで高笑いしながら切り裂く。

 そのまま騎乗位で挿入すると、本能の赴くまま腰を振り。


(――――狡い、狡いです吉久君……、気持ちいいのに、こんなにも気持ちいいのに)


 どうして、こんなに満足できないのだろうか。

 愛おしくて憎たらしい、答えなど分かり切っている。

 初雪という女はもう、吉久の愛という名の蹂躙を受けないと満足できない体になっているのだ。

 ……そして、それ以上に。


(悲しい……悲しいんです、胸が張り裂けそうなんです)


 吉久を傷つけている自分が嫌いだ、愛しているのに、無理強いする事しか愛する方法を知らない自分が嫌いだ。

 彼は今、こんなにも悲しんでいるのに、辛い思いをしているのに。


(嗚呼、――今すぐ貴方を抱きしめられたらいいのに)


 出来ない、伸ばした手は憎しみが彼の喉へ誘導する。

 出来ない、彼の絶望の表情をもっと見たい。

 出来ない、快楽に溺れきれなかった自分が、あの時、最後まで彼の所有物に堕ちきれなかった自分が。


(どうして、抱きしめられるのですか? 貴方を愛する私が嫌いな私が、どうして貴方を愛で包み込む事が出来るのです…………)


 嗚呼、だからこそ自分たちはお似合いなのだと、初雪は嬌声をあげながら嗤った。

 彼が今、己自身に絶望しているなら。

 彼女もまた、己自身に絶望しているのだから。


「だから、――もっと壊れましょう、破滅するまで、一緒に堕ちましょう吉久君……!!」


 ケタケタと笑いながら、初雪は己の掌を薄く切る。

 流れ出した血で、吉久の胸板に自分の名前を書いた。

 その隣に自分の名前を書き、相合い傘を作ってみる。

 ――まだ、血は流れていて。


「舐めてください、血が止まるまでずっと、でないと……今度は反対側を切りましょう、その次は胸、お腹、ふふッ、どうしますか?」


「…………」


 壊れた様に涙を流す吉久は、ノロノロとした動きで初雪の掌を、その傷を、その血を、まるで子猫のように舐める。

 がぶがぶ、がぶがぶ、初雪が衝動的に彼の肩を噛むと、彼はまるで幼子の様にイヤイヤと首を振って震え。

 愛する者の嗜虐心を唆る姿に背筋を激しく震わせた彼女は、一際甲高い声を出し絶頂して果てた。

 ――気が付くと、吉久は全裸で目を覚まして。


「ぁ――――ぁぁ、っ、は、ぁ、ァ~~~~~~ッ!!」


 否、ずっと起きていたのだ。

 感情に頭が追いつかなかっただけで、初雪が泣きながら絶頂した時も、自傷を始めた時も、その傷を舐め取っているいる時も、吉久は起きていたのだ。


(僕は……僕は初雪さんに何が出来る? このまま一緒に堕ちていくコトしか出来ないのか?)


 唇を噛みしめる事で必死になって正気を保つ、気が狂ってしまいそうだ。

 何かを考え続けていないと、行動していないと、絶望と無力感に苛まれ動けなくなり。

 その先に待っているのは破滅だ、吉久だけではない、初雪と共に破滅してしまうのだ。


「――――せめて、初雪さんだけでも」


 この気持ちは彼女の言うとおり、あの時と同じく押しつけ以外の何物でもないだろう。

 だが、例え彼女に言われても吉久は諦める事が出来ない。


「まだ、まだ道はある筈なんだ、初雪さんだって分かってる、愛、愛だ、少しでも僕の愛が、今の僕の愛が伝われば…………」


 熱に浮かされた病人の様に弱々しく呟きながら、吉久は彼女の左手の傷を治療する。

 その時であった。


「――――ゆび、わ」


 今日、己は何を決意したか。

 彼女の為に、何を用意しようとしていたか。

 それを思い出した吉久は、流れ続けていた己の涙を乱暴に手でこすって拭うと。


「………………今はゆっくりお休み、初雪さん」


 起こさないように初雪をベッドへ運び、その足で全裸のまま巻き尺を探し始めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る