がぶがぶ/12 満腹になった後は??



 吉久に見せつけなければいけない、一条寺初雪が彼のお嫁さんに唯一無二の存在であると。


(ええ、貴方に犯された日からずっと、ずっと吉久君の事だけを考えて、観察していたのです。――食の好みなんて把握していない訳がないのですよ?)


 勝てる、そして彼は言うだろう。


『美味しいよ初雪さんっ! 僕が間違ってた……どうか僕のお嫁さんになってください』


(なんて、ええ、そんな事になったらどうしましょうか。ふふッ、これは気合いを入れて食材から選ばないと……)


 上機嫌であるが視線は鋭く、獲物を狙う肉食動物のように先ずはと野菜から選び始める。

 一方で吉久といえば、厳しい顔つき。


(どうする、初雪さんの好きな食べ物なんて知らないよっ!? 何を作る、いや、何を目的として作るか、そしてそれに対抗できる料理……)


 初雪の事は何でも知っている、と断言するには最近になって急速に自信が揺らいでいるからだ。

 聖女と呼ばれるだけあって、個人情報もそれなりに知られている彼女ではあるが。


(初雪さんって好き嫌いしないし。かといって、スイーツや果物が特に好きという情報もないからなぁ……、甘党とか辛党って話も聞かないし)


 勿論、彼女にも多少の好みはある。

 だが、今まで生きていく上で食事とは栄養補給と同義だった。

 食事の大切さを知ったのは、良くも悪くも吉久と出逢ってからであり。


(発端はお金の問題だった、そして料理勝負という事は僕が初雪さんの料理を不味いと言えば少なくとも負けることは無くなる)


 しかし、それで良いのだろうか。

 どう考えても、彼女の心を傷つける行為だ。

 そして何より。


(……いや、美味しいんだよね初雪さんの料理って。そりゃあ最初はカップ麺を触るのすら初めての箱入りだったけどさぁ)


 解放する前には、毎朝のように吉久好みの朝食を用意し。

 お昼にはお弁当。

 夜もまた……な、通い妻状態。


(そうだ、僕は初雪さんを良妻賢母に育ててしまったんだっ!! 勝てるのか?)


 何を作り、何をどうすればその先にある彼女の企みを阻止出きるのだろうか。


(――――逆に考えよう、負けてしまっても良いと。そしてこうも考えよう、僕の好物を知って貰えば良いんだ、と。後の事は、その先にどんな罠が待ち受けたとしても…………その時の僕に任せた!!)


 ならば動くのみ、付け合わせの野菜から確保に動いた吉久であったが。


「あ」「えッ」


「……」「……」


 奇しくも同じタイミングで、じゃがいもを手に取る。

 買い物カゴを見てみれば、タマネギに人参、ブロッコリー。


(食材が被ったっ!? い、いやスタンダードな食材だから。うん、まだ分からない、……同じ物を作るとかね、まさかそんな筈は……)


(カレー、の可能性もあります。まだそうと決まった訳では……しかしカレーの場合、私が吉久君の好みを読み間違えた事にッ!?)


 メニューを変更するなら、まだ手遅れじゃない。

 今の内に、全く別のを考えればいい。

 だが。


(うーん、ここは初志貫徹。どうせ資金は初雪さん持ちだし僕は食べたい物を作る!!)


(――――敢えて、メニューを被らせてくる可能性はあるでしょうか……、あり得ますね吉久君は意地悪ですから、ええ、私の精神を折る事にあんなに苦心してましたものね?)


 初雪は逡巡し、メニューの変更する選択肢を捨てた。

 仮に同じだったとしても。


(理解するでしょう、このジャンルにおいて貴方は私に絶対に勝てないとッ!!)


 闘志を燃やしつつ、初雪は精肉コーナーへ。

 そしてまた吉久も、同じく精肉コーナー。


(合い挽き肉を手に取ったっ!? え、同じ? 同じなのかい初雪さん??)


(くっ、これも同じですか! まさか同じメニューで私を打倒する策があるとでも!?)


 次の場所へ向かう二人、パン粉、卵、そして初雪は調理道具が置いてある雑貨コーナーへ。

 吉久は、調味料のコーナーへ。


(最後の最後で分かれた……、まだ同じだと確定したワケじゃない)


(カレー……このスーパーの調味料の所にはカレールゥも置いていた筈、ならばやはりカレー……ッ、ま、まさか私に激辛カレーを食べさせ水を取り上げたり、腹痛を起こした私の前でトイレを封鎖する、そんな卑劣な手段を使うというのですか!!)


 やはり性根は鬼畜の屑、初雪を諦めさせる為に食事を利用し屈辱を与えるつもりか。


(ええ、覚えていますとも。初めて朝食を作ったあの日、貴方は嬉しいような悲しそうな顔で憤慨して、せっかく作った朝食に精液をぶっかけ私に食べさせて感謝のお礼まで全裸土下座で言わせましたものね、ええ――あの屈辱は忘れません、カレーはスカトロの暗示、貴方があまり望まなかったプレイですが……、今度は排泄を直接見せるプレイだけでなく、もっと過激なプレイを――――)


 過去の陵辱を思いだし、ふつふつと怒りと快楽が沸き上がってくる初雪。

 負けられない、彼の妻になろうとしている身だ。

 もう決して、決して食事は汚させないし、美味しいと言わせてみせる。


(うう……ッ、あの味を思い出したら涎が……、く、癖になってません、ええ、あのどん底に落ちた感覚が癖になってるとか、性的な事と食事の快楽が一緒になる背徳的感覚とか癖になってませんからねッ!!)


 誰に言い訳しているのか、初雪は綺麗に澄ました顔の下で悶えて。

 そしてレジに並ぶ前、他の客の邪魔にならない所で二人はカゴを確認しあう。


「これで全部かい?」


「ええ、吉久君も買い忘れはありませんね?」


「勿論さ、ところで僕はデミグラスソースのハンバーグを作るつもりだけど。……君は?」


「あら奇遇ですね、私もハンバーグです。目玉焼きを花形の型に入れて焼き、ハンバーグに乗せた花丸ハンバーグです」


 被った、これで勝負はハンバーグ対決になってしまった。


(……これで最悪のカレーの屈辱の線は消えました、けれど――まだ油断できません)


(うーん、これって勝負する意味あるのかな?)


(ならば勝負は、やはり味ッ!! 主婦を目指す身としてッ、可愛いお嫁さんにして貰う為にッ!!)


(というかさ、食材も無駄だよね。味付けは違うけど他は一緒なんだもん)


 最大限に警戒する初雪に、吉久は提案した。


「じゃあさ、一緒に作らないかい? 同じハンバーグなんだし」


「……――、意図を、教えて頂けますか?」


「え? だって同じのを作るんだったら食材は半分で良いでしょ。それにさ……僕はちょっと嬉しいんだ」


「うれ……し、い??」


 不可解すぎると首を傾げる彼女に、吉久は素直に告げた。

 確かに彼女とそういう関係になるのを、今は厭っている。

 けれど。


「君がさ、僕の好みを理解してくれていたのだ嬉しいんだ。――自惚れじゃなければ、僕の為に僕が好きな物を作ろうとしているんでしょ?」


「そ、それは、そう……ですが……」


「だからさ、今日は一緒に作ろうよ。実は僕さ、彼女が出来たら一緒に料理とか作れたらなって思ってたんだ」


「――ッ!? は、はいッ! 一緒に作りましょう吉久君っ!!」


 先程の疑いを速攻で消し去り、初雪は心の底から喜んだ。


(一緒にお料理……うふふッ、前に見た少女マンガみたいに、私と一緒に、私が、吉久君と――)


 嬉しい、こんな日が来るとは思っていなかった。

 けれど同時に思ってしまう、喜びが大きければ大きい程、膨れ上がってしまう。


(どうして)


 どうして、素直に喜べないのだろう。

 どうして、こんな関係を最初から築けなかったのか築いてくれなかったのか。


(こんなに優しくしてくれるなら、期待をさせるなら――)


 どうして、彼は関係を拒むのか。


(酷い、ヒト)


 どろりと、凶暴な何かが這い上がってきそうだ。 

 笑顔で無言になった彼女の変化を、吉久は敏感に察して。


(だからさ、僕は君と離れようとしたんだよ。僕と君は最初のボタンを掛け違った、いや……僕が放棄したんだ)


 でも。


(君が望むなら、僕は心の底から嫌とは言えないよ)


 だからきっと、この同棲生活は破滅が待っている。

 次の関係に進む前に、彼女の心が軽くなる前に、どちらかが壊れる。


(もしくは、僕ら二人とも)


 それが罪への罰というなら、今この時だけでも彼女に幸せを感じて欲しくて。

 吉久はそっと手を伸ばし、初雪の手に添えた。


「さ、食材の半分は戻してレジに行こうか! 折角だからデミグラスソースの、はなまるハンバーグってのはどうかな?」


「――ッ、え、ええ、良いアイディアです。そうしましょう!」


 暗い感情から今は目を反らして、二人は仲良く買い物を終える。

 スーパーからの帰り道、わざとらしく二人で一緒にエコバックを持って。

 帰宅後は、提案通りに一緒にハンバーグを作って。

 ――そして、夕食後。


(あー、美味しかったし楽しかったなぁ……)


 この後はどうするか、今は二人の部屋だが元は吉久だけの部屋。

 当然と言うべきか、娯楽は少なく皆無と言っていい。


(こんなコトなら、ゲーム機の一つぐらい無理して買っても……いや、今更か)


 ならば選択肢は、映画を借りて見るか勉強するか、だ。

 下手な行動は出来ない、吉久が思っていた以上に初雪の体は快楽に墜ちている。

 無論、心までは快楽に墜ちてはいない。

 だが、恋に墜ちているのなら話は別だ。


(…………セックスしたいって言うよなぁ、ストレートに断ったらどうなるコトやら)


 鼻歌交じりで食器を洗う初雪の後ろ姿を、正確には動きに合わせて揺れる腰と臀部を眺めながら。

 吉久は悩んだ、性欲と理性、罪悪感と贖罪、彼女を抱くのが本当に正解なのか。


(今だけ切り取ったら、文句なしに幸せな光景なんだけどね)


(嗚呼、なんて穏やかな時間なのでしょうか。……私は、きっと……こんな幸せな時間を望んでいたのです)


 恋人との同棲生活。

 裏にある過去を、泥沼の感情を考えなければ。

 どんなに、どんなに良かっただろうか。

 ――後悔の念は、彼の思考を鈍らせ。


「隣、良いですか?」


「好きに座ってよ、もう君の部屋でもあるんだから」


 座布団を持った初雪は、彼の右に座りもたれ掛かる。

 吉久は、本日最後の戦いが始まった事を悟った。


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