第4話 三神美海華
首都東京の中心区、新熟二丁目は今やLGBTQの聖地と化していた。
あふれる多様性に溺れそうになる街、新熟。今宵もまた自らの存在意義を音量によって主張しようと人々はこの街に集結する。
しかし今夜は一味違った。
「
女性キャラクターのマシンボイスがシュプレヒコールを奏でる。
「カノジョはカレだ! 我々は糾弾する! 騙されるな!」
野太いダミ声のコールアンドレスポンス。
「三神美海華こそフリーの象徴だ! 彼女こそフリーダム!」
「どうせなら騙し続けてくれ! 我々は夢を見ていたいんだ!
恭壱は意味不明な少数精鋭のデモ行進を目の当たりにして軽い頭痛にさいなまれた。
胸に高精度液晶モニターを嵌め込んだ機械化怪人が先頭に立って甲高い女性声のマシンボイスで三神美海華の権利を主張する。胸のモニターからは美海華が魔法少女へとコスチュームチェンジする映像が延々と流されていた。
対して、そのたった五人のデモ隊のすぐ隣で三人の中年男性が負けじと大声でがなり立てていた。缶バッジを鱗状に並べ貼り付けた鎧のような何かを装備している。
多様性の坩堝である新熟二丁目でもこの交差点は特異点と化していた。魔法少女を愛するヴィランと魔法少女を愛する正義の味方が一触即発の臨戦態勢を敷いている。
「こいつらもあれか、SNSとかでおまえが戦争を仕向けたのか?」
こめかみに指を当てて恭壱は俯いた。なんて言うか、心の奥底に眠るニンゲンとして純粋な部分に突き刺さって恥ずかしくなる。
「僕はQTCパープルレインの裏アカを暴いただけさ。あとは自然な流れだ。彼女は勝手にカミングアウトしただけだし、彼らも勝手に個人デモをしてるだけ。ここでは通常運転だ」
大然は毅然とネクタイを締め直した。何も悪いことはしていないし、かと言って善いこともしていない。ここは強い意志を示しておかないと巻き込まれかねない。
「うちの社では見ない奴らだな。支店の怪人がはるばる出張って来てるのか」
「いや、違うだろうな。五人組はおそらく無職ヴィランだ。あのモニター怪人はモブとして一応有名人だぞ。魔法少女隊の熱烈なファンで、あまりに好き過ぎてヴィラン化してしまった」
「哀れだな」
魔法少女隊キューティーチアーズに倒されるために発生した悪役存在か。ある意味養分だな。恭壱は彼らを哀れんだ。
「あっちの三人組はヴィランじゃない。QTC親衛隊だ。小規模であまりに非力過ぎて非公認だがな」
「無様だな」
魔法少女隊キューティーチアーズを土台として支えるために発生した善意みたいなものか。ある意味養分だな。恭壱は彼らを蔑んだ。
無関係としてこのまま放置か。しかしきっかけは大然のSNSコントロール能力だ。一応関わっておくべきか。恭壱と大然はしばらく言葉を交わさずに目線だけ交わし合わせた。
「三神美海華は自由だ! 誰も彼女の夢を妨害できない!」
「パープルレインは我々を騙し続けなければならない! これは彼と僕らの夢だからだ!」
主張の是非はともかく、とにかくうるさい。
液晶モニター怪人のスピーカーからの大音量と缶バッジアーマー男のハンディメガホンの割れた野太い声が溶け合わずに反発しながら夜のビル街にこだまする。恭壱は限界を感じていた。
「もういい。おまえ先に行って魔法少女と話してこいよ」
「どうするんだ?」
大然が聞き返す。魔法少女とのアポの場所は目の前の飲食ビル地下一階だ。
「うるせえから黙らせてくる」
「そうか。じゃあ頼むよ。たしかに彼との、彼女かな、話の邪魔だな」
そう言い残して大然は色鮮やかな看板が目にけたたましい飲食ビルに入っていった。そのあっさりとした背中を見送って、恭壱はシワの寄ったスーツの胸ポケットから黒縁の眼鏡を取り出した。
黒縁の眼鏡を持った手をぶらりとぶら下げて猫背で例の集団が練り歩く交差点へ歩き出す。くしゃくしゃの前髪をかきあげてモスコットの黒縁の眼鏡をかけて、ゆっくりとした歩調で騒々しい二つの集団に割って入った。
「おまえら」
突然の乱入者にシュプレヒコールとコールアンドレスポンスが止んだ。
「気持ちはわかる。実は俺もQTCのパープルレインは悪くないなって思ってた」
なんだ、こいつ。液晶モニター怪人と缶バッジアーマー男はたじろいだ。くたびれた黒スーツに寝癖頭、そして、黒縁の眼鏡の奥の威圧感。喉の根っこから鷲掴みされたような圧力を感じる。
「だがな、魔法少女の低年齢化は社会問題だ。少女の扇情的なコスチュームがかえって性犯罪を助長しているとさえ言われている」
液晶モニター怪人は思わず胸を押さえた。胸のモニターの中ではコスチュームチェンジ中のパープルレインのシルエットが艶かしい曲線を描いていた。
「その点、パープルレインは31歳男性の魔法少女だと実年齢と身体的性別を公表した。勇気ある告白じゃねえか。社会問題をクリアだ」
液晶モニター怪人は恭壱の眼力を前に頷くしかなかった。
「十八歳以下の時間外ヒロイン活動も労働基準法違反の疑いがある。問題の根底は魔法少女たちにはない。彼女らを雇用している奴らだ」
缶バッジアーマー男は胸に輝くのレア物缶バッジを手のひらで押さえた。これを引き当てるために幾度とガチャマシンを回したものか。
「パープルレインは年齢と性別を理由に魔法少女隊を解雇された。これは雇用機会均等法に違反している。悪いのは誰か、はっきりしてるじゃねえか」
その通りだ。パープルレインの眩しい笑顔の缶バッジに罪はない。缶バッジアーマー男は恭壱の圧力に気圧されて深く頷いた。
「だからこそ言う。おまえらのデモ行為はパープルレインを貶めている」
恭壱の右手が液晶モニター怪人の四角い頭部を、左手が缶バッジアーマー男の毛髪がまばらに薄まった頭を、がしりと掴んだ。
「ほっといてやれ」
黒縁の眼鏡に夜の街のネオンサインを反射させ、液晶モニター怪人の頭部と缶バッジアーマー男の頭とを激しくかち合わせてやった。
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