第3話 ドライビングヒーロー マスクドドライブ
落ちぶれたヒーローにかける言葉が見つからず、両手をポケットにしまい込んで軽く肩をすくめて返す恭壱。
「マスクドドライヴさん。SNSの裏アカで高速道路を時速300キロ超えで暴走する動画を公開し、そのせいで身バレまでして、現在は免許停止でヒーロー活動自粛中でしたよね」
大然がベンチに腰掛けるよう促した。面目ない。そう言って自称街のヒーローはベンチの端っこに座った。
三人がけのベンチの真ん中に大然、もう片方の端に恭壱が陣取る。スーツ姿とヒーロー姿の大人三人が横並びになって麗かな午後の公園で面談を始めた。
「事実です。自分の中に、もっと人に褒めてもらいたいって思う自分がいたんですよ。裏アカならバレやしないだろうって」
「何らかのSNSをやってる人間は少なからず自己顕示欲が湧いてくるものですよ」
「自己顕示欲、ですかね。それがこんな大事になってしまうなんて」
「良し悪しは別にして、今以上に名前は売れたじゃないですか」
大然は自分のスマホを取り出して言った。SNSアプリを立ち上げてマスクドドライヴの裏アカウントを呼び出し、ダイレクトメールを送る。
「それに暴走行為をアップしたことなんてきっかけにしか過ぎないんです。自分の立ち位置を再確認できたことの方が大事です」
ピロリン、とマスクドドライヴのポケットから軽い音が鳴る。
大然の目線がマスクドドライヴの革パンツのポケットを指して、確認しろと促す。少し躊躇してからスマホを取り出すマスクドドライヴ。
『 あなたの 裏アカ を暴き、流出拡散させたのは 僕 です』
フルフェイスのアイマスクがギラリと青く光る。それに連動するように肩と肘のプロテクターパーツが鋭く変形し、青いラインが輝きだす。マスクドドライヴはドライブフォームからバトルフォームへと変身した。
「あなたが?」
「はい。ヒーロー活動の主なスポンサーであるあなたの奥様の父親が経営する喫茶店のアカウントまで調べました。地元商店街に根差した雰囲気のいいお店ですね」
ベンチを蹴るようにして立ち上がるマスクドドライヴ。それに応えて、俺の出番か、と恭壱も音を立てず黒縁の眼鏡を装着する。
「ヒーロー活動だってお金がかかる。マスクドドライヴさんの場合はガソリン代、高速代、車のメンテナンス費用。駐車場代もかな。すべてスポンサー任せです」
恭壱がどっこらせと立ち上がる。強く握り拳を作り、肩プロテクターをカタカタと震わせるヒーローへ眼鏡を向ける。
「出資者であるあなたの奥様があなたの身代わりに出頭したのも解ります。免許がなければあなたはヒーロー活動ができない。旦那思いの献身的行動でしたが、まるであなたがそれを強要したかのように拡散してしまったのは僕の誤算でした。申し訳ありません」
ベンチに腰掛けたままマスクドドライヴに頭を下げる大然。その後頭部を見下ろし、震える拳を抑えてマスクドドライヴは訊ねる。
「何が目的でそんなことを……!」
「ヘッドハンティングです」
そう言い放って大然はベンチの背もたれに身体を預けた。
「正義の味方がフリーランスとしてヒーロー活動を続けるには、この社会はあまりに不遇だと思いませんか?」
マスクドドライヴは返す言葉を探したが、ヒーローとしての信用も社会的地位も失った現状でそれは見つからなかった。
「ヒーローには制約が多過ぎる。ヴィランでもその能力を活かして社会奉仕活動ができますよ」
ただ押し黙って大然の次の言葉を待つしかなかった。
「僕の異能力はSNSの流れを操作できることです。僕は制限速度オーバーという犯罪を暴露しただけ。小さいことだけれど、誰かの燻る正義感を揺さぶることくらいはできます」
燻る正義感。SNSで堕ちたヒーローを批判した匿名の誰か。そしてマスクドドライヴ自身の奥底に眠る火種。
「首藤、ヴィランとしての君の異能力も見せてやってくれ」
黒縁の眼鏡できらりと陽の光反射させて恭壱が一歩踏み出した。
プロテクターが展開したバトルモードのマスクドドライヴが緊張を一気にざわつかせる。硬く握った拳を恭壱に向けて、しかし恭壱の黒縁の眼鏡が放つ威圧感に気圧されて思わず後ずさってしまう。
「見てな」
恭壱は一言だけささやくようにして、くるり、ヒーローに無防備な背中を向けた。そのままマスクドドライヴを無視して、公園前バス停留所付近に違法駐車する車へと歩き出した。
「あいつ、何をするつもりだ?」
「あー、さあ? 彼は予測不能な行動をするんで。まあ、確実にあなたの正義感と価値観をぶっ壊すでしょうが」
黒縁の眼鏡をかけた恭壱を止められる者はいない。
エンジンをかけっぱなしで駐停車禁止場所に停車し続ける高級車のすぐ側に立つ。歩道から車内を覗き込めば、左ハンドルの運転席にふんぞり返ってタバコを吹かす運転手と目が合った。
左腕一閃。ドアを殴り、手のひらをめり込ませる。溶けた飴細工を歪ませるようにドアを引きちぎり、驚く隙も与えずに強引に運転手を引き摺り出した。
それだけで恭壱は止まらない。突然のことで呆然自失する運転手を横目に見ながら自動車を蹴り上げた。
激しい金属音を打ち鳴らしてひっくり返る高級車。亀が裏返しになったように無様に揺れて腹を見せる。恭壱は軽くステップを踏んで振りかぶり、裏返しになった自動車のボディに右のストレートを打ち込んだ。
爆発的にボディが破片を撒き散らす。飛び散る火花。衝撃波が鋭い破裂音とともに火花をかき消す。自動車が横にくの字に折れ曲がる。アスファルトを削りながら吹き飛ぶ。そしてようやく、かつて高級車だった鉄屑はバス停留所からかなり離れた位置に転がった。
「バス停に車停めんなよ。免許持ってんのか?」
ポケットに手を突っ込んで猫背の背中を見せて歩み去る恭壱。
そんな寄れたネクタイの黒スーツ姿を指差して、フルフェイスマスクの中であんぐりと口を開けて喋れなくなったマスクドドライヴ。ぷるぷると震える指先を大然に向ける。
「彼なりのやり方で、ヒーローのあなたに出来なかった正義を執行しましたね」
帰ってきた恭壱がポケットに手を突っ込んだまま肩をすくめて見せる。
「過程はどうあれ、結果は同じ。違法駐車をどかした。立派なヒーロー活動です」
大然はマスクドドライヴの宙に浮いたままの手を取り、名刺をしまったプロテクタージャケットの胸ポケットに誘導してやった。
「正義の味方ならそうもいかないが、ヴィランだったら目的のために手段を選ばずヒーロー活動できますよ。もちろん、SNSの炎上とか、車の免許の有無なんて誰も気にしません。何せ悪役ですからね」
大然のとどめの一言。
「まだ正義の心が燻ってるなら、是非力を貸してください。総務部人事第二課、葉山までご連絡お待ちしております」
大然が話終わるのを待って、恭壱はもったいぶって黒縁の眼鏡を外した。
すると、バス停の高級車が音を立てて逆再生を始めた。
鉄屑はえぐれたアスファルトを修復しながら逆さまに転がり、折れ曲がったボディが火花を吸収して真っ直ぐに戻り、ぐるりと大きく跳ね上がってからきちんと元の停車位置に収まった。光沢のある白いボディが陽の光を眩しく反射させる。
「では、本日はお忙しいところお越しいただいてありがとうございました」
背筋を伸ばして丁寧に頭を下げる大然と、ポケットに手を突っ込んだまま軽く首を下げるだけの恭壱。
そして恭壱の一撃により人間としての正義感、ヒーローとしての価値観がぶち壊されたマスクドドライヴ。
そんな砕けた正義感と崩れた価値観も元通りに修復された。やっと我に返ったヒーローが振り返った時、すでに大然と恭壱の姿はなかった。
麗かな午後の公園にヒーローが一人だけ取り残されていた。
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