幕間 寒空と舞台とタイマンと

「では、十五分ほど休憩を挟みます」

 司会の声にちらりと書道部が書いた今日の進行表を見る。丁度休憩の後に演劇部の項目が入っているのを確認してから席を立つ。間違っても途中でトイレに行きたくなった、なんてことにならないようにだ。


「あ、次演劇部だって」

「マジ? ごめんアタシ寝るかも」

「もったいないよ見ないの。うちのすごいレベル上がったんだって」

「え、本当?」

「マジマジ。文化祭もすごかったんだって! 去年の送別会も」

「うわ、そんならバックレないで見ときゃ良かった」

 そうだぞ、うちの演劇部はすごいんだぞ。もっと褒めろ褒めろ。

 何故か周囲から聞こえてくる評価にどこか得意げになりながら体育館を出る。去年ほどではないが、頬を撫でる冷たい風にほっと息をつく。さあ始まる前に早く席に戻ろう。そう思いさっさとトイレを済ませ、体育館内に戻ろうとした時だった。


「……おい」

「え? ……え⁈」

 なんかいる。いや、よくよく見ればそれは確かに見覚えのある顔だった。

 皆から見えないように外の隙間からこちらを覗き込むそいつは、どうしてかこちらを指さすと手招きする。

 なんなんだ今になって。 

 そう心の中でぼやきながらもおそるおそる近づけば、それはものすごい形相でこう言った。


「裏にツラ貸せや」


 体育館裏への呼び出しとか中学以来だな。

 リョウタは頭のどこかで見当違いなことをぼんやりと考えながら目の前の顔を見る。赤茶の大男でクソ生意気な彼の後輩はこちらを見てフン、とそっぽを向いた。



※※※



「なんだよ話って」

 まだ寒い風に体を震わせながら言う。しかし彼の目の前の男はぎろりと睨みつけてくるばかりで一言も話そうとしなかった。

 正直早くしてほしい。外が寒いのもあるが、ひょっとしたら劇の最初に間に合わなくなるかもしれない。高校最後に見るのミツキの舞台なのだ。冒頭の見逃し、なんてことにはなりたくなかった。


「……何もないなら早く戻りたいんだけど。見逃したくない」

「安心せぇ。僕やっていち早くお前何ぞ視界から外したいわ」

 そう言ってキョウヘイは顔を顰める。呼び出しておいてなんて態度だこいつ。

 相変わらずこちらを先輩とも思っていない態度は腹が立つ。いや、妙に下手にでられても怖いだけかもしれないが。

 不遜な態度の後輩は一応出番を控えているのか、茶色いマントのようなものを肩から掛けていた。北風に吹かれて長い裾がばさばさと舞う。

 

「今やないと話せんことやからな」 

「………お前だって演劇部だろ。準備とかしなくていいのかよ」

「心配せんでも終わればすぐ戻るわ」

 本当に何がしたいんだこいつは。初めこそ何か真剣な話ではないかと思って身構えたが、ここまで蔑ろにされると流石に苛立ちの方が勝ってくる。

「――――なんかあるならさっさと言えよ。回りくどい」

 棘のある声でそう返せば、まったくもって可愛くない後輩は言った。


「僕はお前を認めん」

「は? 急に何言ってんのお前」

「あんたはミツキ先輩が好きなんやろ」

 どストレートにぶつけられた言葉に面食らう。と同時に、目の前の男が「ミツキ」といつの間にか名前で呼んでいることに酷く苛立った。

 敵意を隠さずに向けられながら、リョウタは薄く笑って返す。


「だからなんだよ。認めないって喧嘩でもしようってのか?」

「……せえへんわ阿保らしい。僕やってそない鈍感やない」

 お前と違ってな、と言うキョウヘイにリョウタの額に青筋が浮かびかける。だが彼は急に声のトーンを落として続けた。

「分かっとるわ。先輩がお前を好きっちゅうくらい」

「じゃあなんだ。力づくで奪おうって魂胆か?」

「するかいなこの乱暴者。……他でもない先輩が決めたことに口挟む気はあらへん」

 だがしおらしくそう言ったのもほんの一瞬。次の瞬間にはキョウヘイはびしりと指先をリョウタの鼻先へと突き付けて言った。


「せやけど。先輩がいくら好きや言うてもあんたが先輩を傷つけたんは変わらん」

「……結局何が言いたいんだよお前」

「あんたはどうあれここを出ていく。僕の方が先輩とは長う一緒におれる。僕はまだ先輩が好きや。……ならどうなるかくらい分かるやろ」

 次に早く動いたのはリョウタの方だった。言葉を聞き終わらないうちに目の前の襟を乱暴にきつく掴む。キョウヘイの首はされるがままに大きく揺れた。


「――――もういっぺん言ってみろよ。誰に手ぇ出すって?」


 ぎらりと睨む瞳は酷く鋭利に目の前を見つめる。中学の頃の血が顔を覗かせ、猛獣のようにリョウタの頭をざわつかせる。しかしそれに対しキョウヘイは動じるどころか呆れかえった顔を見せると、掴む手を振り払った。

「せやからそない乱暴せん言うてるやろ。頭スカスカか?」

「だったらどういうつもりで――――!」

 キョウヘイはその言葉に静かに言った。


「癪やけど先輩が選んだのはお前や。だけどな、ちいっとでもお前のことでミツキ先輩が悲しんでたり苦しんどったら、いつでも僕がかっさらったる」

 その目はまっすぐに、リョウタの目を覗き込むように据えられていた。

「忘れんなや。僕は先輩が好きや。だから先輩の幸せがいっちゃん大事や。なあ」

「…………お前」

「―――っ、だから、だからぁ! 幸せにせえへんと許さへん。先輩が、無理して笑わなくていい場所にしないと許さへん!」

 分かったか! と言うキョウヘイの顔は酷く泣きそうに歪んでいて、リョウタは一瞬言葉を失った。キョウヘイはぐっと歯を食いしばるとリョウタに背を向ける。


「っ話はこれで終わりや。精々奪われんよう頑張るんやな」

「……お前って結構いいやつだよな」

「うっさいわ! 誰がいい人止まりや!」

「いやそこまでは言ってないけど。……でもお前がさ、心配してるようになことにはならねえよ。きっと」

 そう言ってリョウタはきゅっと手を握る。小さな手の感触。きっとこれから先も傷は幾度もリョウタの前に立ちふさがるだろう。けれど、ミツキとなら大丈夫。そんな気がしたのだ。


「だって、俺はもっとミツキに触れたい。その気持ちはずっと変わらねえよ」


 キョウヘイはその言葉を黙って聞き、しばらく間を置いて

「何ド助平なこと言ってんねんこんのドアホ!」

 と、顔を真っ赤にして言ったのはそれからほんの数秒後の出来事。間もなく休憩時間が終了すると司会者が知らせ、二人が慌てて体育館に戻るまでのほんのわずかな間のことだった。



※※※



 こうやって見ると、星みたいだ。

 そんなほんの少しばかり恥ずかしい言葉がリョウタの頭の中に思い浮かぶ。けれど真っ暗な客席から見上げる舞台の上の彼は本当に輝ける星のようで。

 隣も、そのまた隣も。全員が彼に視線を奪われる。まばゆく輝くそれを誰もが目で追わずにはいられない。


「違ってて何が悪いんだ!」


 その叫びが、他の誰でもないミツキ自身の言葉が鼓膜を揺らしリョウタの頭に染み込んでいく。皆に、彼に、そして自分に向けられた言葉。


 何事にも一生懸命なところが好きだ。面倒そうに見えるけど本当は世話焼きなところが好きだ。誰かの気持ちを考えられる優しさが好きだ。傷ついても真正面から受け止めようとする不器用さが好きだ。笑うのがちょっと下手なのが好きだ。


 ミツキを見るたびに知らなかった自分が顔を出す。溺れるように、一歩また一歩と感情がリョウタを飲み込んでいく。

 今まで閉じ込めていたものを開けば、それはむせ返るほどに濃く甘い。


 ――――ああ、だめだ。おれ。


 ありがとうございました、と頭を下げるミツキの目がこちらをまっすぐ見ているのを見て、そしてその瞬間泣きそうに笑うのを見て。またリョウタの胸が小さく鳴く。リョウタは顔を覆いながら、熱を逃がすように息を吐いた。


 心からまた一つ、愛しさが溢れてこぼれる。身の内を苛む熱さを感じながら、リョウタはじっとミツキの立つ舞台を見つめていた。

 

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