お嬢様と従者ニコラスの不思議な箱で目指せ異世界!
桜江
ニコラスとお嬢様のご都合主義物語
日本での過去に類を見ない異世界転生転移ブームは恐ろしく息が長い。
王子王女や悪役令嬢、貴族に魔法に錬金にスローライフ。
猫も杓子も婚約破棄、ハーレム逆ハー、ざまぁにざまぁ返し。
――それは今や日本だけのものではない。
* * * * *
いわゆるロココ調。いわゆる姫系。
レースとアンティークなS字脚の家具に囲まれ、柔らかで落ち着いた色彩に溢れた豪奢な室内。
てろんとしたシルク素材にレースがこれでもかとあしらわれている部屋着を着て、天蓋付の寝台にごろ~んとリラックスしている娘がいる。
年の頃は10代前半辺りだろうか、んふふふという含み笑いがフランス人形のようなふっくらした唇からこぼれ、頬を薔薇色に染めている。いるのだが、その可愛らしい口から――
「っしゃ!新刊ゲットだぜ!」
――ゲットって。新手の可愛い子ぶったモンスターでも捕まえましたか?
部屋の入口に控えている――フリフリの袖が上着の袖口から覗くことに不満だらけな――侍従のニコラスは内心でツッコミを入れまくっているが表情には出さない。
真顔でかなり冷めきった目を主人である敬愛すべきお嬢様に向けていた。
そのお嬢様は淑女にあるまじき笑いを止めることはない。むしろ、ぐふふふ……という全く宜しくない音にレベルアップしていた。
彼女はがばっと勢い良く起き上がると、ニコラスに向かって高らかに宣言した。
「ニコラス、私、そろそろ日本に住める気がす」
「無理です」
ニコラスは食い気味に宣言を一刀両断した。
* * * * *
日本というここより高度な文明がある国と繋がったのはいつだったろうか。
悪役令嬢だ、貴族のスローライフだ、聖女だ、転生だ、そういうものがあちらで流行りだした頃だったか。
ニコラスはお嬢様がビーのエル的な作品を片っ端から光る薄い箱で検索しているのを見つめて考えていた。
――この、ろくでもない箱。
ニコラスにとって、ろくでもない箱としか形容できないものがお嬢様のもとに現れてから、彼の色んな……少年らしい憧れであるとか、初恋の切なさであるとか、結ばれないことを諦観しつつ、そんな自分可哀想だよなという自己憐憫であるとか。
そう言った純粋な恋心と――いつか絶対夜中に思い出して奇声を上げ、寝台の上をのたうちまわりながら酷く過去を後悔しそうな――ポエミーな気持ちは打ち砕かれたのだった。
淑女らしさを学び始めていたはずのお嬢様は、人が変わったようになってしまいニコラスは非常に悲しかった。切なかった。
ここに波が荒く打ち付ける崖があれば、彼は叫んでいただろう――俺のお嬢様を返せ!と。
薄い箱が来る前は、恋愛小説にすら頬を染め私にはまだ早いわ……などと言っていた純粋娘が、勝手に高みへのぼり、今や押しも押されもせぬビーのエル界の住人である。
「18禁はね、まだ私成人してないから弾かれちゃって……」とはお嬢様のお言葉だ。
ビーのエルについて、ニコラスは同性愛者ではないので理解はしがたく、一緒に楽しめる内容でもない。穢れのない天使が羽根を捥がれて闇に堕ちた姿を見るってこういうことかも、と一人ポエミー精神を爆発させていた。
そんなニコラスにも箱があれば、今頃いかがわしさのほうを大爆発させていたに違いないのだけれど。
薄い箱はネットとワイのファイとか、青い歯などというもので出来ているらしい。らしいと言うのはお嬢様が検索した結果で、彼女は興味が持てないことに対しては全力で適当だと理解しているニコラスは、絶対何か間違っていると思っている。
箱の中に欲しいものがあればその絵を押すだけで数日後にお嬢様の部屋の窓の下に届く。ニコラスはたまに、ほんとたまにお嬢様に可愛くごろにゃんとおねだりしてみるのだが、彼の希望商品がいっかな届くことはない。
そして荷物が届くのは天気の悪い日もあるので、念のために木箱を設置するとその日以降その中に届くようになった。
お嬢様いわく、ご都合主義の謎システム、更に24時間不眠不休、年間無休。配達員のプロ根性ってすごいわよねとのことだった。
それはなんて恐ろしいのだ、『休みたい』とギャン泣きしながら薄い箱をフラフラ飛び出していく小さな妖精たちを想像し、ニコラスは彼らにひどく同情した。
品物の料金も、お嬢様の寝台のサイドテーブルにお小遣い――と呼ぶには可愛くない一財産はある額――の入った巾着袋があって、注文して荷物が届いた後に、なぜか袋が軽くなるという繰り返し。まるで妖精の仕業かのように謎だった。
しかしキラキラの羽つき妖精はいる!と小さい頃から信じきっているニコラスからすればそれは当然の帰結である。ようせいさんはいる!ふみんふきゅうでもたいかはしはらわれているのだ!急に精神幼児になった彼は勝利のガッツポーズを取る、但し心のなかで。
それにしてもお嬢様は
とにかくお嬢様は今日、ファンである作家の数量限定新作ビーのエル本を無事購入できたようだ。ニコラスはお嬢様は今日一日元気確定で良かったと安堵した。前回彼女が気付いたときには既に売り切れていて、彼女の機嫌が最高に最低、ジメジメジメジメしていてうんざりしたのだ。
もちろんお嬢様の落ち込む様子にうんざりした姿をニコラスは絶対彼女に見せたりしない。
このご都合主義が具現化した箱を当たり前に扱うようになったお嬢様は、まず何をどうしたのか文化的な小説の転生転移もの、貴族ものなどを寝る間も惜しんで貪るように読破していき、わからないことは検索していく。
そのうち中世欧州風だのロココ調だの、フランス革命からのベルサイユで有名な薔薇や姫系と、彼女はどんどんハマっていった。
不思議なことに、日本語はこの国の言語と同じで言葉に困ることはない。
そんなお嬢様のこだわりっぷりは部屋を見ればよくわかる。
そもそもこの部屋はこんなに豪奢で雅やかな雰囲気ではなかったのだ。レースやフリルやてろんとしたシルクもなかった。
なぜなら自分たちの住む国の貴族の好み基準がお嬢様が憧れるそれと全く違う。似通っている部分はあるけれど、こんなに繊細な家具は好まれない。すぐ壊しそうで。
そんな家具も衣装も全て配達員の謎システムで届けられた品物だ。ニコラスのステキ侍従ウェアもそう。おねだりしたものは届けられないのに、こういったお嬢様の趣味のものは即与えられる。不満は顔に出さない、ニコラス、プロ、偉い。
自由に生きているこのお嬢様でもお家はなんと悪役令嬢でお馴染みの公爵家であり、国にとって重要な位置付けであり、王家の血も先祖にちょいちょい入っていたりする。お金もある。
そんなお嬢様は箱が現れるまで裾がふんわりしたドレスなんて一切着たことがなかった、むしろパンツ、常にパンツ――箱の文化に少しは触れているニコラスならば下着、しかも女性用の紐があったり透けているものを迷わず思い浮かべるだろう――乗馬ズボンとか作業着と言われているようなものだ。上は簡素で丈夫な革鎧を着用するのがこの国の貴族であれば男女ともに普通なのだ。貴族は民を守るため、常に様々な侵略敵だの獰猛な生物だの夫婦喧嘩の仲裁だので戦うからである。
そのため、彼女の親は彼女の部屋の変貌にさぞや驚き、箱を取り上げ……たりはしなかった。
なんと家具や服装はお嬢様とニコラスの二人以外にはこの国の元々あったものにしか見えなかったのだ。
『ご都合主義ここに極まれり箱』を捧げ持ち、お嬢様はキューティクル輝く甘茶色の髪をなびかせくるくる回った。
「これはひみつ道具なのよ、ニコラス」
「それは言い得て妙ですね、ネーミングセンス抜群ですお嬢様」
「この箱はきっと宇宙的なポケットなのです」
「宇宙が何かは知りませんが、それは全くの見当違いだと思います」
ニコラスは間髪いれずにぴしゃりと言い放った。
* * * * *
「私は公爵家の令嬢だわ」
「自覚、あったんですね……」
「私の受けた淑女教育って、小説サイトで読み漁った物語とだいぶ違う気がするのよ」
ニコラスが、ん?と首を傾げると、お嬢様はフランス人形のようなパッチリとした長い睫毛をふるふるしぱしぱ震わせ、青い瞳を潤ませて言った。
「物語の淑女は牛や豚を捌いたり、ロープの結び方を覚えたり、生き残るためのサバイバル術を実践したりはしないと思うの」
ニコラスは首を傾げたまま、ふむ確かに、と呟いた。
「そう仰られて初めて、この国の女性も戦いが仕事の内なので
ますが、密林で獣を追いかけ回したり、身長より大きな魚を担いで、オッス、ニコラス!オラ
「そうね、確かに必要かもね」
「――と言いますと?」
嫌な予感がするニコラスである。
「日本に行くためにはきっとたくさんの森を越えるでしょ?海を渡るかもしれない。無人島でやっていかなくちゃいけないかも」
「そんなことで行けますかね日本に。私はどうもこの世界のどこにも日本という国はないような気がします。ここまで便利な物がある国ならうちの国なんて指1本ですよ。デコピンで吹き飛びます」
ニコラスが真顔で言う。
「デコピンなら2本ね、指」
「意外と冷静に突っ込んできましたね、お嬢様」
彼女は腕組みをして目を閉じ、うんうん唸りながら何事か考えている。ニコラスは今ほっぺにちゅってするくらいならバレないのではないかと考えていた、やはり真顔で。
「だとすると、日本が私たちにとって異世界なのよね。うちの国には車やトラックなんてないし、配達頼んでも運転大変そう、馬ならワンチャン……うーん。病気もしなさそうだし、不幸な目にあって死ぬこともなさそうよね私たち」
それを聞いてニコラスは珍しく動揺し、お嬢様を見つめたまま言葉を失った。
「うーん。じゃあどうやって日本に行きましょう?ニコラス、私ねあなたと一緒に日本に住みたいのだけど。検索してみようかな」
信じられないと、口に手を当て真っ赤になって固まってしまったニコラスをよそにお嬢様は箱を触って検索し始めた。
「日本に行ったら夫婦で串焼き屋さんでもする?異世界と言えば肉串よねえ!できれば私に婚約者なんて面倒なものができる前には準備完了して出国しちゃいたいのよね」
お嬢様は箱から顔を上げると、微笑んだ。
「日本の限界集落でスローライフなんてどう?」
「……本当、お嬢様あなたって人は」
ニコラスは、狼狽えつつ口を開いた。まだ紅に染まる目元を緩ませ、お嬢様に手を差し出す。
「では異世界を探しに行きましょうか、それまでビーのエルは我慢ですね」
「まずは注文したものが届いたのを堪能してからよ、それを許してくれたら次はノーマルな従者との恋愛小説を一生実践するわ」
「畏まりました、ぜひ宜しくお願い致します」
* * * * *
「ねえねえ、鞄からスマホ取って」
「自分で取りましょう」
「英語はさっぱりだから音声認識で翻訳しようかなって」
「あなた使いこなしてますよね、前のより完璧に正しい使用方法な気が……」
「前の、あれは本当にひみつ道具だったわよね。このスマホ以降いつでもどこでも配達はしてくれなくなっちゃったもん」
「……(妖精もお疲れなのでは)」
「しかもたどり着いたと思ったら日本じゃないし」
「宿屋のクローゼットがこちらへ来るトンネルだとは驚きですよ。意外と身近で簡単でしたね」
「そうね、出た瞬間ライオンとかいなくて良かったわ。ただここから日本に行くのはパスポートを使わないと。手持ちのお金もあちこち観光したせいでもうほとんどないし」
「前のでうまくパスポートも都合してもらえたら良かったんですけどね」
「本物のパスポートは通販サイトになかったんだもの、仕方ないわよ。仕方ないついで、残ったお金で肉串屋さんこの国でやっちゃう?お金貯めていずれ日本に移住よ」
「そんな簡単にはいかないと思いますが、あなたとだから大丈夫って思ってしまいますね」
「そうだ!私たちの国を元に小説書いて一発狙うのも有りかもね」
んふふふっ、と含み笑いをする彼女を見ながら、これからの苦難も幸福かと微笑みつつ彼はふと思った。
――もしかして、異世界ブームは俺たちみたいにここにたどり着いた奴が少なからずいた……?
彼は案外そういうものかもしれない、と納得した。そして一生夢でしか触れられないと諦めきっていたものが手に入ったんだから本当のことなんかどうでもいいか――とスマホで屋台の経営を真剣に検索中の彼女の肩に優しく手を回した。
――そんな二人の周りに光ったものがいくつかふわふわとしばらく彼らの頭上を飛び回った後、うっすらキラキラを残して消えた。
お嬢様と従者ニコラスの不思議な箱で目指せ異世界! 桜江 @oumi-nino
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