39▷三十二歳 繊月二十日 - 昼3

 タクトさんが声をかけた途端に、レトリノが謝罪を述べる。

「申し訳ございません、タクト様っ! 妹がこのようにご不快な格好で……」


 ……不快だと、思っているのかレトリノは。

 それはコレイルの価値観なのか、元従者家門の慣習なのかは解らないけど。

 私はそのどちらもよく解らないが、捨てられない価値観……というものは、なんとなく理解できる。

 今までの全ては自分を作っている一部になっているのだから、それを自身で否定するのはとても勇気が要ることだ。


「いいえ、別にカーラさんの装いは失礼なんかじゃありませんよ。素敵だし、似合っていらっしゃるじゃないですか。ね、アトネストさん」


 突然、私の名前が聞こえたことに吃驚して、ただ頷くしかできなかった。

 タクトさんは、私の彼女への失礼な言葉をご自分でも使うことで庇ってくださっているのだ。


「俺は冒険者の女性ってもっと露出が多い変な格好しか知らなかったんですけど、こんな素敵な装いだったらよかったのにと思いますよ?」

「タクト様……冒険者の女性、ご存知なのですか?」


 ミオトレールス神官の疑問には、何人かが食堂に来たりとんでもないことをしでかした人を見たことがある……と仰有った。

「うちに来たのは、ほぼ全員が犯罪者だったから冒険者と言っちゃいけないと思うんですけどね。皇国に来る冒険者は少ないですから、変な人が目立ってしまうと全員がそうだと思っちゃいがちですけど。冒険者でも信用できる人や、いい人もいますよ」


 カーラさんもきっと、そういう酷い冒険者にしか会ったことがなかったのかもしれないと思われたのだな。

 確かに……人を平気で騙して金を巻き上げる冒険者もいたし、魔獣退治にとんでもない金額を要求する奴もいた。

 いい冒険者も勿論いたのだが、アーメルサスでも『下』に見られていたせいで腐ってしまった者達も少なくなかったと思う。

 だが、カーラさんは思っても見なかったことを口にした。


「いえ、その、冒険者……というと、ガタイが大きかったり、女性でも筋骨隆々……な感じじゃないですか? あれが……ちょっと、苦手なのです」


 え。

 それって、見た目だけの問題……?

 タクト様も予想外だったのだろう、すっかり無表情になってしまった。

 勿論……レトリノも呆れ顔だ。

 そしてカーラさんの周りの雰囲気を全く感じていないかのような、無邪気な言葉が飛び出す。


「タクト様には、もっと華やかなお衣装が似合いそうだと思うのですが……お嫌いですか?」

「すみません、仕事がしづらそうで無理です」


 凄い、全然忖度しない即答だ。

 カーラさんはきょとんとしているが、首を傾げてタクトさんに尋ねる。


「お仕事は、魔法師様……なのでは?」

「食堂の給仕です」

「それも素敵ですね……! 図抜けた才能がおありなのに、世を忍ぶ仮の姿でお過ごしになっているということですねっ!」


 ……どういうことなのだろう?

 彼女が言わんとすることが、まっっったく理解できない。

 これは『気持ちが解らない』というかつて悩んでいた感覚とは、全然違う異質なものだ。


 なんて言うか……『言葉が通じていないのではないか?』と思う感じに似ている気がする。

 タクトさんも何も言えずにいるから……同じ気持ちなのだと思いたい。

 いち早く我に返ったレトリノが、カーラさんに語気を荒くする。


「いい加減にしろ。おまえはどうしてそうも妄想癖があるのだ!」

「ただの娯楽でしょう、大袈裟な……あ、いえいえ、タクト様を玩具にしようという不届きなことではございませんよ!」


 あれ、なんか少し『ムッ』としてしまった。

 なんだか……タクトさんを小馬鹿にしているように感じてしまったからか……?

 いや、考え過ぎか?

 そのカーラさんにタクトさんは真顔で正面に立ち、毅然とした声で話す。


「カーラさん、妄想は構いませんが頭の中だけに留めておいてください。そちらの方がいいと言われてしまうのは、今の自分が否定されている気分になって……あまり心地良いものではないので」


 私も、多分シュレミスやレトリノも、カーラさんが不満げにするか、萎縮してしまうかと思っただろう。

 タクトさんにあのようにはっきりと言われてしまったら、私だったら……悲しくて堪らなくなってしまいそうだ。


 なのに、カーラさんは微笑み……『嬉しいです』と言った。

 ……なんだろう、彼女がそのような言葉を口にした訳でもないのに、なんだか……もの凄くタクトさんを『軽く見ている』気がしてならない。


「何も否定されず、かといってご自身を偽らずにお気持ちを正直に言っていただけたのは……初めてです」

「……俺の言葉は、取り繕って言っただけかもしれませんよ?」

「いいえ! 絶対に違います。解っちゃうのですよ……そういうの。なんとなく、ですが」


 レトリノは、彼女が魔眼ではないと言っていたから、魔法……?

 いや、鑑定技能か?

 それを自分より上位の方に、許しもなく鑑定技能を使ったということか?

 神官の方々が少し……厳しい顔になっていることを、レトリノも感じているのだろう。


 だが、タクトさんはあまり怒ってはいないように感じる。

 そして突然まったく別のことに話題を変えられた。

 きっと、私達の雰囲気を察してのことだろう。


「……カーラさんは、服飾関連にご興味があるのですか?」

「それを言い当てたのも、タクト様が初めてです」

 レトリノが突然、驚きの声を上げた。


「えっ、そうだったのかっ? 俺はてっきりおまえは染料作りが好きなのだと……」

「布に染め付けをするのは好きですよ。だけど、染料を作りたい訳じゃありません。この町では工房は殆どありませんけど、以前、ファルスから染料を届けているという工房を聞いたことがありましたので、探しています」


 ああ、そうか。

 仕事を探しているのだったな。

 あ……いけない。

『それなら遊文館にいないで早く何処にでも探しに行けばいいのに』……なんて、思ってしまった。

 あんな風に堂々と言えば、人を試すように鑑定をしていたことを許されると思っているのだろうか……と……多分、私は不快に感じているのだ。


 私ですらそんなことを思うというのに、タクトさんときたら全く考えてもいないかのように『そういう仕事をする工房を知っている人がいますよ』なんて紹介をしようとしている。

 しかも、図書の部屋から出ていらした子供達に絵をお教えになっている方を引き留めて……彼女を紹介しているのだ。


 私にはどうにもタクトさんの行動がちぐはぐに感じて、何が起きているのかよく解らない。

 紹介された何もご存じないベルローデアさんは、カーラさんをご覧になっても……特に何も感じていらっしゃらないように一緒に行きましょう、と連れだって出て行ってしまった。


 いそいそと遊文館を後にしたふたりを、私達はただ見送ることしかできなかったが、表へと姿が消えた時に『はぁ……』とタクトさんの溜息のような吐息が聞こえた。

 そうか、早くここから出て、仕事探しに行って欲しくてベルローデアさんをご紹介なさったのかも……


 きっと、タクトさん気持ちも……私達と同じだったと思いたい。

 レトリノには悪いが、彼女は少々苦手だ。



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『カリグラファーの美文字異世界生活』第723話とリンクしております

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