15▷三十一歳 晦月中旬 - 2

 タクトさんに綴り帳を渡した後は、課務に取りかかった。

 少し、いつもより楽しい気分だったのは、私が書いたものを喜んでいただけたからかもしれない。

 昼食の準備の時、少しはしゃぎ過ぎていたのかパンを多めに作ってしまった。

 シュレミスはやれやれ、といいつつ自分が持ってきた米油を分けてくれた。


「油で揚げて砂糖をまぶしておこう。そしたら、後で果実の煮詰めなどと一緒に食べれば、菓子のようになる」

「おお、油で揚げたものは昔よく食べたぞ!」

「皇国でもそんな『貧しい食べ方』をしていたとは、驚きだな」

レトリノの言葉に、シュレミスは驚いたように振り返る。


「冬場はパンが固くなるからな……卵も牛酪もなくなった時のものは、王都でも酷くまずい。だから仕方なく、そうやって食べるのだよ。だが、果物の煮詰めを載せて甘くしたり、玉葱茶に入れて料理と一緒に食べたりするのだ。そのままや砂糖だけで食べるなんて、あり得ないだろうが」

「……ガウリエスタでは、油も少なくて揚げずに塩と一緒に少しかけるだけっていうのもあったよ……皇国に来てからは、あんな不味いもの、二度と食べたくないと思ったね! なんせ、油自体が不味過ぎた!」


 レトリノとシュレミスはそう話して頷き合っているが、アーメルサスではそもそも小麦のパンがあまりなかったからなぁ。

 黒麦パンと比べると、小麦のものというだけで美味しそうだと思うのだが。

 皇国だと黒麦のパンでも美味しいから、ふたりがまずいと言っているものも私には美味しいかもしれない……

 油で揚げたパンに砂糖を振りつつ、ちょっとこのまま食べてみたいな、と思ってしまった。



 今日は遊文館には行かない日なので、昼食後は清掃を始めた。

 聖堂はシュレミスが、待合と西側の小部屋はレトリノ、私は厨房隣の部屋と聖堂奥の部屋だ。

 聖堂奥の部屋……ここには、王都との越領方陣門がある。


 越領門は、非常に多くの魔力が必要であるからか、金証の方とその同行者ひとりだけしか使うことができないらしい。

 その同行者も必ず銀証以上でなくてはいけないというから、私には縁のないものだ。


 先日、衛兵隊副長官が王都へ赴かれるということで、一時的に越領方陣門が開かれた。

 シュリィイーレでは厳冬期であるこの時期は、不用意に王都からいらっしゃると危険だからということと衛兵隊が対応できない時期であるということで閉鎖されている。

 余程、重大なご用事だったのだろう。

 ……いらっしゃった時、あの暴漢達を捕らえた時より……怖いお顔だった、とレトリノが少し怯えていたくらいだ。


 その部屋をいつも通り清掃していたら、急に方陣門が繋がった。

 副長官がお戻りなのかと思ったら……見知らぬ方が数冊の本を手に立っていらっしゃった。

 この門を開くことができるということは、金証の方だ。

 私は慌てて礼を取ると、固くならなくていい、と仰有った。


〈すまぬな。今の時期にはそちらに入れぬことは重々承知しておるのだが、その、どうしても急用……というか、お願いしたいことがあってな〉

 とても腰が低く、私用で使ってしまっていることを恐縮していらっしゃるように感じる。

 司祭様を呼んで欲しいと仰有るので、すぐに呼びに行こうと振り返った時に、テルウェスト司祭がいらっしゃった。

 驚いて、少し呆然としてしまった。


「おや、驚かせてしまいましたね」

 吃驚はしたがテルウェスト司祭が鷹揚にしていらしたから、元々いらっしゃる予定だったのかと思ったくらいだが……急用、と仰有っていたはずだ。

 すると、ああ、とテルウェスト司祭が微笑んむ。


「この部屋の門が開くと、すぐに解るようになっているのですよ」

「左様でございましたか……」

 流石は、越領門の部屋だ。


 そんな魔法が施されていたとは……待合にどなたかが来たことが解る、あの魔法と同じかもしれない。

 だけど、それだと私が部屋に入った時にも反応しているはずだから……越領門の開閉で解るのだろうか。

 初めて聞く魔法だ。


 私は挨拶をして退室し、どなただったのかすら伺わずに司祭様を呼びに行こうとしていたことに気付いた。

 ……来訪が解る魔法が組まれていて……よかった。

 突発的なことに、どうも弱いなぁ。



 その後、司祭様がガルーレン神官をお呼びになり、すぐに出ていらしたかと思うと衛兵隊事務所に行っていらっしゃるタクトさんをお迎えに行くという。

 さっきの方は、王都に……タクトさんを連れていくために、いらっしゃったのだろうか?


「まさか、タクト様が王都へ?」

「王都からの召喚だったら、正式に使者が来て衛兵隊長官がご対応なさるはずだよ」

 いつの間にか、私のすぐ隣にいたレトリノとシュレミスに少し驚きつつ、あの部屋でお話があるだけだろう、と話しているふたりに少しだけ安心する。

 安心?

 私は、タクトさんがこの町にいてくれることに……安心、しているのか?


 ガルーレン神官がタクトさんをお連れして越領門の部屋へ案内すると、ガルーレン神官もテルウェスト司祭も聖堂に戻っていらした。

 あの王都の方と、タクトさんだけでお話をしているらしい。

 このまま王都に行ってしまわれないか……少しだけ、気持ちがざわつく。


「おい、アトネスト。タクト様をお誘いしないか?」

「え? 何に?」

 レトリノの言葉の意味を掴みかねて、問い返すと一緒にお菓子を召し上がらないかとお声がけしてはどうだ、と言う。

「いいと思うよ! この間南東市場で見つけた、柑橘の煮詰めはすっごく美味しかったからあれと一緒に出せば!」

 シュレミスに言われて、あの揚げたパンのことかと思い至った。


 司祭様と神官の方々にお誘いしてもいいかと聞くと、是非そうしましょう、と仰有る。

 いいのかな、失敗して作り過ぎたパンを油で揚げたものなんて、タクトさんは……呆れたりしないだろうか?

 時間が経ってしまったらどんどん美味しくなくなりそうだし……と、越領門の部屋の扉を見ていた。


 かちゃり、と扉が開く。

 タクトさんは、四半刻もせずに聖堂に姿を現した。

 何故か……ほっとして、嬉しい気持ちになる。


 聖堂に戻り、テルウェスト司祭とお話ししているところに、レトリノとシュレミスに押し出されるような形で近付く。

 早く言えよとばかりにレトリノが私を押すのは、私があれを作ったからと言うことのようだ。

 し、しかし、あれは……菓子、と言っていいのかな?


「タクトさ……ま、あの、実は……私達で菓子……のようなものを作りましたので……よろしかったら……召し上がってくださいませんか?」

 なんとかそう言葉にすると、タクトさんがぱっと笑顔になる。

「いいんですか?」

 テルウェスト司祭も是非、とタクトさんを食堂にご案内する。


 私達は走って厨房に向かい、さっき揚げたパンと幾つかの果実煮の瓶を取り出した。

「あ、蜂蜜もあったよ。これもお出ししよう!」

「おお、そうだな!」

 ふたりもワクワクしているのが解る。


 あの蓄音器を買った店で見つけた、大きな『竹籠』という入れ物に、パンを入れて運び込んだらタクトさんが更に笑顔になる。

「揚げパン……!」

 ご存じだったのか、と私達は少し吃驚した。

 だって、あんなにもいろいろな美味しい菓子をお作りになるタクトさんが、まさかパンを油で揚げたものなど知っているとは思っていなかったのだ。

 もしかして、なんて貧しげなものを、とがっかりされてしまうだろうか?


「実は……先ほど昼に……パンを……多く作り過ぎてしまいまして……」

 失望させてしまったかもしれないと思った私が、お詫びしようとした時に私の言葉を遮るようにシュレミスが話し出した。

「僕が揚げたらいいのでは、と言ってアトネストに作ってもらったのですっ!」

「そ、そうですっ! それに、私の家ではパンに砂糖を振っていたことがあったので、それを真似してみたのですっ!」


 レトリノまでが、そう言って私を庇ってくれている。

 こんな粗末なものを……と私だけが、タクトさんから怪訝な目で見られないように、だろう。

 だが、そんな私達のことなどお気に止めてもいないかのように、タクトさんは揚げたパンを手に取って……かぶりつく。


「美味しいですー! 小さい時は凄く楽しみだったんですよねー、これ」


 きっと、これは嘘だ。

 果物の煮詰めもつけず、蜂蜜もかけずに揚げて砂糖を振っただけのパンなどを頬張って、美味しいはずがない。

 私の失敗を責めず、シュレミスやレトリノの優しさを汲んでくださっているのだ。

 私達三人が感激しないはずなどなく、神官の方々も感動していらっしゃる。


 ひと口、何もつけずに食べてみる。

 口の中に砂糖の味と油っぽいものが広がる。

 まずくは……ないのだが、やっぱりあんなにもタクトさんが笑顔なのは私達への気遣いに他ならない。


 なんて、お優しい方なのだろう……

 レトリノとシュレミスの優しさにも、胸がいっぱいになってしまった。

 こういうことがある度に、思ってしまう。


 ずっと……みんなと一緒に、いたいなぁ……と。



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『カリグラファーの美文字異世界生活』第602話とリンクしています。

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