第74話 三十一歳 秋・弦月下旬-7
タクトさんと司祭様が司書室を出て、私はすっかり脱力して座ったまま動けなかった。
レトリノとシュレミスが、側に来て心配そうに覗き込む。
「アトネスト、司祭様とタクト様と何の話をしていたんだい?」
「随分と疲れているようだが……?」
詳しい内容は……言えないなぁ。
「ちょっと魔力筆記を試してしまったら、疲れてしまったんだよ。それだけだから」
偽書のことは存在することも、その内容も私は絶対に口にしたくない。
言葉にしてしまったら、あれがこの皇国のどこかで広まってしまったら、どれほど悲しい思いをする人達が出てしまうだろう。
「大丈夫か?」
ガイエスも、私を気遣ってくれる。
私はなんとか、ああ、と短く答えることしかできずに軽く息を吐いて気持ちを整えた。
気分はもの凄くスッキリしているのだ。
ただ、ほんの少し、疲れているだけ。
「タクトの奴と、随分と何か話していたみたいだな」
「……うん、アーメルサスのことをいろいろと、ね」
言葉を少し濁す。
その時、シュレミスが別の話を振ってくれた。
「アトネストの魔力文字、何色だった?」
「え、と……水色……というのだろうか。薄目の青だった」
そういえば、魔力筆記は全員色が微妙に違うのだと聞いたことがある。
「へぇ……やっぱり持っている魔法の属性になるのかもしれないね。僕は緑色に近い青だったよ」
「俺は緑だ」
「えええー? おかしいなぁ……君の属性は赤系だろう? なんでだ?」
なんだか、楽しい。シュレミスはガイエスにも話を振る。
「君っ! 君はどう思う?」
ガイエスは……結構冷静に、それでも少し微笑んでシュレミスに応える。
「加護神の色じゃないのか?」
「だとすると、僕は聖神一位だ。緑とは違うし、青属性の魔法なのだから、もっと別の色になってもいいと思うのだが……」
レトリノも自然に話に加わる。
「俺は賢神二位だから、合っている。あんたは?」
「……俺は聖神三位だから赤……で、合っているみたいだな」
こんな会話ができるようになるなんて、初めて会った時は思いもしなかった。
いや、彼等だからという訳ではなく、たとえ誰とであっても自分がこんな風に自然に笑えるなんて……考えたこともなかった。
「何、そんなところに突っ立っているんだよ?」
そう言ったガイエスの言葉に、私達三人がばっ、と顔を上げるとタクトさんの笑顔が見えた。
私達は、少しはしゃぎすぎたのでは、と赤面する。
近付いてきたタクトさんは、立ったまま私に問いかけてきた。
「アトネストさん、アーメルサスには『月』が空にあったんですか?」
さっきの、最後の部分だ。『月』のことは、衛兵隊員達も気にしていた。
「……はい」
でもどうしてそんなことを聞いてくるのだろう。
夜空の月の伝承は、神話にも幾つかあったが……あ、いや、皇国の神話には……そういえばなかった……?
私の疑問はレトリノとシュレミスが解決した。
「なんだ、月とは?」
「季節の名前だろう?」
やっぱり、皇国の神話には載っていなかった。
もしかしたら、この間発見された神話の第五巻にあるのかもしれない。
だって、五巻は『夜』の神話だと聞いている。
昼間見えないものでも、夜ならば見えると書かれているのではないだろうか。
「アーメルサスでは冬期を『赤の月』、夏期を『緑の月』って言うと聞いたよ、僕は」
シュレミスはやはり季節のことだと思っているようで、衛兵隊副長官と同じことを言うのでそれは大昔の暦のことだと説明する。
「アーメルサスは暦が少し違うし、皇国では二十九日ごとに『月』のつく名前になっているから今はそれが当たり前だけど……大昔は一年を四つの『月』に分けていたんだ」
「じゃあ、二十九日ごとにまとめてはいなかったのか……」
「『月』の中に十八日から二十日ごとに『句』があったみたいだけど、もの凄く古い暦だから今ではまったく使われていなくて知っている人は少ない。その『月』という言い方は、空にあるその星が何色に見えるかっていう期間で付けられていた名前だと聞いたんだ」
大昔の、もう殆ど忘れられてしまったその暦が作られたのは『夜空にある月』からだ。
タクトさんが小さく頷いて、もうひとつ、と尋ねてくる。
「アトネストさんは、アーメルサスでその『月』を見ていたんですか?」
私は首を横に振る。
「現在では『赤い月』は空から墜ちてなくなり、そのせいで『緑の月』は輝きを失って地上から見えなくなった……という伝承があります」
私がそう言うと、シュレミスが不思議な話だなと呟く。
「月なんてものが空にあったなんて、信じられないよ。ガウリエスタでも、そんな神話も伝承もなかったし」
「……マイウリアでも、聞いたことがないな。その不思議な分け方の暦? も、どの伝承でも御伽噺でも耳にしたことはない」
そうなのか。
ミューラはともかく……隣の国だったガウリエスタも知らないとは。
暦も、アーメルサスの方が皇国歴を取り入れたのが遅かったなんて、聞いたことはなかったんだけどな。
そしてタクトさんが、今日はそろそろ、と言うと、レトリノとシュレミスが少し残念そうな顔をする。
「ガイエス、食堂の手伝いがあるから俺は帰るけど、どーする?」
ガイエスはタクトさんと一緒に帰るようだ。
読みたい本は読んだから、と言っていたから……もう、来ないのかな。
また、来てくれたらいいのだが。
「あ、僕達も夕餉の支度だよ!」
「今日は、俺だった……! いかん、ラトリエンス神官をお待たせしてしまう!」
ふたりにそう言われて、私もすっかり忘れていたと慌てた。
今日の食堂の掃除、私の担当だった!
全員で一階へと戻り、タクトさんは聖堂でテルウェスト司祭に挨拶してからと言い、ガイエスはそのまま外へ出た。
私達は慌てて厨房と食堂へ行き、夕餉の準備を始める。
レトリノの今日の献立は、先日大失敗をしたイノブタの揚げ焼きと蒸し野菜だという。
「あんな簡単なものを失敗する方が難しい」
シュレミスにそう言われての、再挑戦らしい。
なんとかできあがり、夕食となった。
……今回のシュレミスの評は『食べられる程度に不味い』という、まったく褒めていないものだったが誰も反論はなかった。
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『カリグラファーの美文字異世界生活』の第515話・『緑炎の方陣魔剣士・続』の弐第151話とリンクしております。
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