第5話 冷たい婚約・1
婚姻の申し出を受けた3日後、館の応接室で約6年ぶりにフレンヴェール様と再会した。
お会いするのは午後だというのに柄にもなく朝からメイドのサロメに『今日は特別な日だから特に丁寧にね。お昼には一度メイクを確認してね』なんて念を押してしまったり、手持ちの服を見比べてどれが良いか真剣にサロメと相談してしまったわ。
卒業パーティーでドレスを纏い『どうかしら? 変じゃないかしら?』と周囲に聞いて回っていた学院の生徒達の気持ちが今になってよく分かる。
まあ次期侯爵である私が聞いて回るのもどうか、と自制してサロメとマロウ伯とお父様にそれとなく確認するに留めたけれど。ちなみに皆の感想は口を揃えて『綺麗で美しい』だった。
フレンヴェール様と会う事を考えると朝食も昼食もまともに喉を通らず、ソワソワと応接間のソファに座り――数分もしない内に(こういう時は出迎えた方が印象が良いのではないかしら?)とはやる気持ちを抑えてお父様に確認しに行くと『では私はここにいるからお前がフレンヴェール君を連れて来なさい』と言うのでやや早足でエントランスの方へと向かう。
そして丁度館の内と外を隔てる大扉を開けた時、丁度馬車から人が降りている所だった。
紫と白を基調にしたセンスの良い衣服を纏った男性の後ろ姿を見て一瞬不安がよぎる。
離れ離れになった頃、彼は18歳だったがあれから6年――24歳という大人になった彼が今、どんな人間になっているのか――今抱いている初恋が崩れ去る可能性を全く考えていなかったが、その不安は文字通り一瞬で消え失せた。
こちらを振り向いた男性の顔――後ろで束ねている淡い紫色の髪も、淡い紫水晶の瞳の綺麗さも想い出のままだ――眉目秀麗な貴公子はあの時とほぼ同じ顔でありながらかつ身長はあの頃より少し伸び、細身だった体は程々に逞しくなっていた。
まあ身長が伸びたのは私も同じで――12歳の頃は首を結構上げないと顔が見られなかったけれど、今は私の身長も伸びて少し視線を上に向けるだけでフレンヴェール様と見つめ合う事が出来る。
「お久しぶりです、ウィスタリア様」
優しい声と柔らかな笑みは蕩けてしまいそうな位美しく、心の奥にそっと閉まった淡い恋心は微塵も欠ける事無くその煌めきを強めて再び心の中で輝き出す。
ふふ、こんな素敵な人と結婚できる私はなんて幸せ者なのかしら――? 抑えきれない喜びが声のトーンを2つ程上げてくれる。
「フレンヴェール様、私の事はどうかウィスタリアとお呼びください。わ、私達はこれから夫婦になるのですから……」
「いいえ、貴方は私の主となられる方ですので呼び捨てになど出来ません。そして私に敬称など付けてはなりません。貴方はいずれ侯爵になられる方なのですから」
そう言うとフレンヴェール様――ああ、敬称をつけてはいけない、フレンヴェールは私に対して深く頭を下げた。
何故かしら――物腰自体は柔らかく、けして冷たい言い方をしている訳ではないのに、不自然な態度でもないのに――きっぱりとした物言いに何とも言い難い『壁』を感じるのは。
ただ、ここには私と同じようにフレンヴェールを待っていた執事やメイド達がいる。今その違和感を追求する訳にはいかない。
「私がお父様の所に連れていきます」とメイド達に伝えた上で館に入り、執務室までの道のりを2人で歩く。
見慣れた調度品や綺麗に磨かれた床に足音が響くだけの静かな空間――フレンヴェールは何も話しかけてくれない。なら私が話題を提供するしかないのだけど……
「あ……あの、フレンヴェール……本当に私との婚約を受け入れて頂けるのですか?」
奥にも後にも誰もいない事を確認した上で先程不安に感じた事を恐る恐る尋ねてみると、フレンヴェールが優しく微笑む。
「はい。ウィスタリア様のような素晴らしい方と縁ができた事はとても光栄です。このマリアライト領を二人で今よりもっと豊かで平和な土地にしていきましょう」
二人で――その甘い言葉が先程の不安に優しく染み入って、溶かしていく。
(そうね、私はもう一人で頑張らなくて良いのだわ……私も何か辛い事があった時にそれを打ち明けられる相手ができたのだわ……!)
例え誰かに陰口を叩かれてもその場で庇ってくれる人が、私が躓けば抱きとめてくれる人が、そう――私を支え、守ってくれる人がついに私にもできたのだ。
「ああ、ウィスタリア様、貴方に一つお伝えしておきたい事があるのですが……」
「何かしら?」
柔らかな笑顔につられて穏やかな言葉を返すとフレンヴェールは少し視線を落とし、数秒、再び私の目を見て言葉を紡いだ。
「父が私の扱いに困ってマリアライト家を頼った事は存じております。私と貴方が想いあった末の結婚という事にしろ、と言われていますし家の名誉の為私もそのように対応させて頂きますが、もし貴方に想い人が現れた時には私の事は構わずどうぞお好きなようになさってください。アスター家にこれ以上の不名誉を与えないようにさえして頂ければいつでも離縁して頂いて構いません」
小さなヒビが入っていた場所にビシリと本格的な亀裂が入ったのを感じて、本能的に足が止まった。
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