21 私の誕生秘話 ①

 今回は私が生まれた時のお話です。


 当時、お産と言えば自宅出産が一般的で病院での出産はまだ稀でした。

自宅でのお産の介助を行う「産婆さんばさん」と呼ばれる人がいました。

多分、この頃は何処の地域にも産婆さんがおられたのではないでしょうか。


 私は、生まれた時の事をはっきりと覚えています。なんてことは勿論ないので、ここからは、後に家族から聞いた話を交えながら語ります。

私には姉が二人います。だから、私は母にとって三度目の出産です。

今のように事前に性別の判断が出来ない時代なので、父は、今度こそ男の子をと強く期待し望んでいました。

昔は、跡取り息子が重要視されている時代です。

母も相当なプレッシャーだった事でしょう。


 さて、ある寒い2月の昼下がり、母の陣痛が始まりました。

父は大急ぎで、自転車に乗って(この頃車はなかった)産婆さんの家に向かい、お産が始まった事を告げます。

産婆さんも大急ぎで、お産に必要なものを持って駆けつけてくれました。

母は家の奥の部屋で、陣痛と闘っています。

お産の準備でバタバタしている家の中で、姉達は父から、今からお産が始まるから、奥の部屋には行ってはいけないと告げられます。が、好奇心旺盛な一番上の姉は、黙って父のいう事を聞くような子ではありません。

その時、一番上の姉は6歳でした。

気になってしょうがなかった姉はこっそり、奥の部屋の隣の部屋まで行きます。

中にはさすがに入って行きませんが、奥の部屋と隣の部屋は4枚の戸で仕切られていました。

その戸は、下半分は木で上半分は障子が張ってありました。

姉は、その障子の部分に人差し指を突っ込んで小さな穴を開けて、そこからお産ってどんなんだろうと興味津々で覗いて見たそうです。

でも産婆さんの後ろ姿しか見えないなぁと思っていたら父に怒られてそれからは覗くのを諦めたらしいです( ´艸`)


 お産は長引いて深夜になり日付けが変わって暫くしてから、生まれました。

「おぎゃあ」と泣く声は弱々しく、飲んだお乳もすぐ吐いてしまうような弱い子だったそうです。

そして、生まれて来た私を見ての父の第一声は「また、女かぁ、働く気がせんようになった」だったらしいです。Σ( ̄ロ ̄lll)ガーン😨

労いの言葉もありません。

これには母も、疲れが一層増したそう。当たり前だ!なんて父だ!

母は生まれてきた私の身体が弱かったので、ちゃんと病院で診てもらいたかったらしいのですが、それも叶わなかったと後に話していました。

この悔しい思いは忘れられないとも・・・。

私が身体が弱いのも、この時に、ちゃんと病院で診てもらわなかったからだと私に申し訳ないと後々何度も言っていました。


 私も必死の思いで子供を産んだ時、夫から父のような言葉を言われたら、悔しくて泣いても泣ききれないだろうなって思いました。

しかも、名前もすぐに考えてもらえなかったようです。

なんて可哀そうな私😨

勿論、生まれたばかりの私は、そんなことは知る由もありません。

すると、たまたま、お産のお見舞いに来てくれていた母のお姉さんが、「この子の名前は〇〇〇はどうですか?」と提案してくれて、それが私の名前となりました。

その頃には「〇子」と言って「子」が最後に付く名前の人が多く、姉二人の名前も「子」がついています。しかし、私の名前には「子」がつかず、当時としては珍しい名前でした。

しかも、将来に期待が持てる素敵な名前だったのです。

この名前を、私はとても気に入っていて、後に私の名前の由来を聞いた時、母のお姉さんに感謝したものです。


 生まれた時から、父から期待されていなかった私ですが、実際この事を知った時の私はちっともショックではありませんでした。

むしろ、期待されない分、自由に生きられると思いました。

しかもこんな事も思っていました。

どんなふうに思っていたかは次回に続きます。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る