第7話 メイドたちの反応

 それから一週間後。


 ワンダのお茶はかなりの効果があったようだった。実験的にルイーズに飲んでもらったが、一週間で彼女の膝は腫れも引いて痛みもなくなったようだった。

「最近すごく仕事が楽なんですよ。屈んで床に膝をついても痛くありませんし!」


 ルイーズは顔を輝かせて言った。最初呼び出したときビクビクしていたのが嘘みたいだった。

(今まで嫌われていたけど、これで少し好感度が上がったんじゃない?)


 そうアリスは期待した。

「どうなったか見せて」ワンダの言葉をアリスはそのままルイーズに伝えた。

「え……あの、恥ずかしいです」ルイーズは少し顔をそむけた。


 アリスは絶対やんなきゃだめなのかと少し非難めいた表情をしたが、ワンダは首を横に振った。

「ちゃんと見て効果をたしかめたいの」


 アリスは仕方なくルイーズにお願いした。ルイーズは顔を赤らめて足を伸ばすと、スカートとペチコートをたくし上げて抑え、ソックスをおろした。膝は腫れてはいなかったが、黒ずんでいた。


 ワンダはかがみ込んでじっとそれを見た後に言った。

「本当に腫れはひいたみたいだね。さすが私!」自画自賛。


 アリスはいつものことだと無視して、膝の黒ずみを見ていた。少し肌が荒れているようにも見えた。


 そこでアリスは思い出して立ち上がり、机から丸い缶を持ってきた。

「これ、肌をきれいにするクリームなの」


 いいでしょ? という意図の視線を向けるとワンダはうなずいた。化粧品といえば薬じゃないし問題ないだろうというのがアリスの考えだった。膝の薬も初めからこうすればよかった。


 アリスは蓋を開けてルイーズに差し出した。ルイーズは膝にクリームを塗りながら、アリスの顔や手をみた。

「なにか気になる?」アリスが尋ねると、ルイーズははっとして顔を伏せた。

「あ、はい。……あの、これを塗っているから、そんなに肌がきれいなんですか?」

「え?」アリスは自分の腕をみた。「そうかな、いつも見てるから気づかなかった」

「アリスの肌はきれいだよ。だって私の薬をつかってるんだから!」ワンダは腰に手を宛てて、胸を張った。


 アリスの肌はやけにすべすべできれいだった。ガスライトの下であっても、彼女の肌はきらめいて見えた。それもアリスを神々しく見せている一つの要因だったが、そんなことをアリスは知らない。


 小さい頃からワンダはこのクリームを塗っておけと口酸っぱく言っていて、全身の至るところに塗っていたらこうなった。

「そうみたいだね」とアリスは言った。ルイーズはそれを聞くと、興奮したように言った。

「あの! それって、やっぱり高価なものなんでしょうか?」


 すごい食いつきだった。膝の痛みを治すよりずっと食いつきが良さそうだった。アリスはワンダをみた。

「ああ、そうかあ。やっぱり美しさは誰しもが欲しがるよね。盲点だった」ワンダは腕を組んでそう言った。


 アリスは「ちょっとまっててね。調べるから」とルイーズに言って、ワンダのステッキを持って部屋の隅に向かった。

「ねえ、こっちのほうが喜んで本を読んでくれそうじゃない? あの食いつき見たでしょ? たくさん作れる?」アリスが小声で言うとワンダは腕をくんだ。

「一人二人だったらいいけど、メイド全員とかってなると困るなあ」


 アリスは少し考えてから言った。

「全身じゃなくて顔とか手とかだけでもいいんじゃない? ルイーズはそこばっかり見てたし、それに他の部分は服で隠れちゃうじゃん」


 ワンダは納得したようにうなずいた。

「それなら量も少なくていいか。じゃあ、大丈夫」

「考えがあるの。これを高価なものだってことにして、その分ちゃんと働いてって言えばきっと、真面目に本を読んでくれる。そう思わない?」アリスは意地悪そうに笑った。

「おぬしもわるよのお」ワンダはそれに乗っかった。


 ルイーズのそばに戻るとアリスは咳ばらいをして、言った。

「やっぱり少し高いものだった」


 ルイーズはそれを聞くとがっかりしたように苦笑した。

「そうですよね……」

「でも使ってみたいでしょ? だからね、ちょっとした仕事をしてくれれば、顔と手に塗るくらいならただでわけてあげる」


 ルイーズは一瞬顔を明るくしたが、すぐにそれはしぼんでしまった。

「あの……それって危険だったり、なにか悪い仕事なんじゃ?」


 ルイーズは少し警戒した。そりゃそうだとアリスは思った。高価なものを手に入れるためにする仕事なんだから。アリスは全力で否定した。

「違う違う! 本当に簡単なものだから。座って本を読んでもらうだけ」

「……本当にそれだけですか?」


 ルイーズは怪訝な顔をした。まだなにか足りないみたいだ。アリスは少し考えたが何もいい案が浮かばず、ワンダをみた。何かルイーズを説得する材料をくれ。


 ワンダは言った。

「読んだ感想を共有したいっていって」

「そうそれ!」アリスは口に出してしまって慌ててつぐんだ。

「え?」ルイーズは更に怪訝な顔をした。


 アリスは咳払いをした。

「本を一人で読んでも感想を言い合える人がいなかったからそういう人がほしいの。だめかな?」


 ルイーズはアリスをみて、ようやく納得したようでうなずいた。

「わかりました。私で良ければ」

「ありがとう!」アリスはホッとため息をついた。



 それから、時々、ルイーズを呼び出しては本を読んでもらうことが増えた。彼女に本を読んでもらうときは必ず紅茶とお菓子を用意した。

「あの、この本を借りて部屋で読むのではだめなんですか?」ルイーズはそう質問した。いつもアリスの部屋で決まった時間にしか読めなかったからだろう。

「うん。お願い」アリスは言った。ワンダが近くにいなければ意味がない。今もワンダは早く次のページをめくってくれとゼスチャーを送っている。


 一冊読み終わるとワンダはアリスに憑依して、ルイーズと感想を語り合った。アリスはその間眠っていたけど。


 そうこうしているうちに気づいたことがある。ルイーズは本を読むときにやけに顔を近づける癖があるようだ。あまりに近づくものだから、ワンダが読みにくそうにしている。


 アリスは近くにいたグレースに小声で尋ねた。

「ねえ、なんであんなに顔を近づけてるんだろ?」

「匂いを嗅いでるんだよきっと」グレースに尋ねたはずなのにダコタが答えた。

「それは貴女だけでしょ?」アリスは呆れた顔をした。


 グレースは少し考えてから言った。

「わかった。目が悪いのよきっと」

「ああ、そういうことか」


 アリスはルイーズに近づいていって尋ねた。

「ねえ、ルイーズ。貴女、目が悪いんじゃないの?」

「え?」ルイーズは顔を上げた。考えたこともなかったと顔に書いてある。


 アリスは本を手に取ると、ルイーズから少し離れた場所においた。

「この距離で読める?」


 ルイーズは目を細めて、それから首を横に振った。

「ぼやけて見えません」

「ものすごく悪いわけじゃないけど、少し生活に支障が出てるかもね」アリスは苦笑した。

「ああ、だから失敗ばっかりしてるのかもね。足元のバケツが見えないからひっくり返すし、よく見えてないから人にぶつかるんだ。この前もそれで怒られてた」ワンダが納得したようにいった。


 アリスがそれを伝えると、ルイーズははっとして口を抑えた。

「そういうことですか。別にこれくらいならいいと思ってました。見えないわけじゃないですし」

「眼鏡買ってあげなよ、アリス。そうしないと私が本を読みにくい」ワンダは腕を組んで言った。


 アリスはため息を吐いてルイーズに言った。

「眼鏡作りなさい。お金出すから」

「そんな!」ルイーズはぎょっとして、断ろうとしていた。アリスはそれを遮るようにいった。

「いいよ、プレゼントするから。本を読んでもらわないと私が困る」

(ルイーズが読まなくなったら、またワンダがダダをこねるのは目に見えてる)


 アリスが言うと、ルイーズは立ち上がって頭を下げた。

「ありがとうございます。あの、大切にします!!」


◇ルイーズside


 アリスに呼び出されてから、ルイーズの生活は劇的に変わった。膝の痛みはなくなったし、眼鏡をかけるようになってから仕事でのミスが減っていった。こんな簡単なことだったんだとルイーズは思った。

「貴女、最近睨まなくなったわね」とある日先輩メイドに言われてルイーズは首をかしげた。

「え? 睨んだことなんて……」

「よく私達をじっと見てたじゃない。なにか嫌われるようなことをしたかとずっと思ってたんだけど。最近……そう、眼鏡をかけ始めてから睨まなくなった」


 睨んだことなんてないのに……。ルイーズはそう思っていたが、ふと自分が何をしていたかおもいだした。

「あの……すみません。私、目が悪くて、目を細めると少し良く見えるようになったんです。だから……」


 先輩のメイドは一瞬きょとんとして、それから笑った。

「なんだ。そんなことだったのね。私の事嫌ってたわけじゃないんだ」

「そんな! むしろ仕事でミスばっかりしていたので嫌われているかと思ってました」


 先輩メイドはひとしきり笑うと、ルイーズに言った。

「じゃあ、お互い勘違いしてたんだ」



 一番は肌の変わりようだった。アリスにもらったクリームを塗るようになってから顔はすべすべになったし、手のあかぎれなんてほとんどなくなってしまった。

「ねえ、最近随分肌がきれいなようだけど、それはミス・アリスと関係があるんでしょ?」


 ルームメイトのポーリンが言った。赤毛のポーリンはルイーズが初めてアリスに呼び出されたときにいっしょにいたメイドの一人だった。


 あのときルイーズ以外のメイドが逃げたのは恐ろしいアリスが近づいてくるのが見えたからだった。ぼやけてよく見えていなかったルイーズは逃げ遅れたけど。


 ルイーズは少しうつむきがちに言った。

「うん。そうだけど」

「ふうん」ポーリンはルイーズの持っている缶をじっと眺めた。「ねえ、それ少し使わせてくれない?」

「だめ! 大切にするってミス・アリスに誓ったから!」それは眼鏡のことだったはずだが、ルイーズにとってはアリスからもらったものは何でも大切だった。


 彼女はすでにアリスへの恐怖心などなく、こうして人生を変えてくれた恩義と尊敬の念しかなかった。


 ポーリンは唇を突き出してすねた。

「けち。私もミス・アリスに頼もうかなあ。でも、……なんか、怖いんだよね。ルイーズはよくいっしょにいられるね」

「はじめは私も怖かったけど……、でもそう、ミス・アリスはね、私達を表面だけで見てないんだよ。私の名前もポーリンの名前も知ってた」


 ポーリンは目をまるくした。「うそ」

「ほんと。それがわかったときすごく嬉しかった。名前を覚えてくれているんだって」


 ルイーズは記憶を美化していた。改竄していたといってもいい。初めは告げ口されたから名前を覚えてるんだと思っていたはずなのに。

「それに、思ったほど怖くなんてないんだよ。ちゃんと話すと、考えてることがときどき子供っぽかったりするし。本の感想を話すときなんかね、人が変わったように子供っぽくなって、なんかかわいいんだ」


 ワンダが憑依して話してるのだから、本当に人が変わっているだけだけど、ルイーズは知らない。ポーリンは少しうなってから言った。

「そうなんだ……。そこまで言うなら、お願いしてみようかな……。ルイーズ、ミス・アリスに紹介してくれる?」


 ルイーズはうなずいた。


 アリスとワンダの「メイドと仲良くなろう作戦」は少しずつ功を奏し始めていた。

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