第3話 十三歳のアリス2
報いを受けたのは更に一週間後の外国語の時間だった。アリスはガヴァネスの前にはいなかった。屋敷の中を早足で歩きまわり、あるものを探していた。
「どこに隠したの……?」
散歩で少し部屋を開けたすきに、部屋においていたステッキを誰かに盗まれていたのだ。それは、10歳の頃、ボートから落とされたときに腰にくくりつけていたステッキで、アリスにとってはものすごく大切なものだった。
命と同じくらい大切なものだった。
シエナがやったのか、それともシエナに命令されたメイドかフットマンがやったのか。誰が盗んだのかはわからない。ただ、外国語の授業があるこの時間アリスを遠ざけて、授業を受けさせないという目的があるのは見え見えだった。
(それにしたって、限度ってものがある)
早くステッキを見つけないと。壊されてしまったのではと考えるだけで大きな不安に胸が締め付けられた。怒りと不安が焦りを焚き付けていた。
アリスは誰にも助けを求めることができなかった。手伝ってくれなんて言えなかった。メイドもフットマンもきっと助けてくれない。
アリスは屋根裏にやってきた。そこはメイドたちの部屋がある階で、アリスはめったに足を運ばない場所だった。フットマンたちは地下に部屋があるはずだ。ここになければそちらを探さないと。
廊下の壁は真っ白で装飾など一切ない。いつもアリスが生活している場所とは明確な差がある。
アリスは後ろを振り返った。メイドがくつろいでるとすれば、地下にある使用人たちのホールだ。今の時間はきっとここには誰もいない。
アリスは更に確認のために階段の近くまで戻り耳をすました。
大丈夫。大丈夫。
アリスはある方法を取ろうとしていた。
部屋を一つ一つ探していくのは普通の方法で、そうするのが正しい。だけど、アリスには別の方法がある。盗まれたのがステッキだったからできる方法だけど。
『ワンダのステッキ』だったからできる方法だけど。
アリスはいつもより声を張って言った。
「ワンダ? いるの?」
狭い廊下に声が反響した。アリスが耳をすますと奥の部屋から声がした。
「アリス!! こっちこっち!!」
アリスは急いでその部屋のドアをあけた。二人部屋で狭く、本当に眠るためだけの場所のようだった。誰の部屋かはわからない。
ステッキはベッドの脇、部屋の奥に立てかけられていた。きっとこれを盗んだメイドはここならばれないと思ったのだろう。
ステッキのそばに立っていたワンダが抱きついてきた。
「うわーん!! 死んじゃうかと思った!! もしステッキ折られたらどうしようかと!!」
「はいはい。よしよし」アリスはワンダの頭をなでた。
きっと、その姿を誰かが見たら、アリスが何もない場所をなでているように見えただろう。
幽霊であるワンダの姿など、普通は見ることができないから。
アリスの友人ワンダは、幽霊で、庶民。アリスが乗っていたボートからシエナが乗っていたボートに移動することなんて容易いし、それに、ヘンリーには見ることができない。
幽霊のルール、その1。幽霊は普通の人には見ることができないし、触ることができない。ただ、アリスには見えているし、触ることができる。
そして、もう一つ重要なこと。ワンダはステッキに取り憑いていた。
幽霊のルール、その2。取り憑いているものが壊されると、存在が消えてしまう。
だから、ワンダはステッキが折られることを心底怖がっていたし、アリスは必死になって探したのだった。アリスにとってステッキはものすごく大切なものだった。それはアリスの生みの親の形見だからではなく、ワンダの命と同じだからだった。
ならばなぜワンダはアリスのところまで飛んできてステッキの場所をおしえ、助けを求めなかったのか。それにも理由があった。
幽霊のルールその3。幽霊はものに取り憑くと、取り憑いたものから3ヤードしか離れることができない制約がついてしまう。
「こんな狭い場所で死ぬんじゃないかって、怖かった!」
「わかったわかった。折られてなくて安心したよ」
アリスはステッキを取った。傷もついてなさそうだ。
「ほら、行くよ」
ワンダはアリスにしがみついていっしょに部屋を出た。
「これからはずっと持っててよ。食事のときもさあ」ワンダは今回のことが相当堪えたようだった。
「そんな事できるわけ無いでしょ」ため息をついてアリスは答えた。
ステッキを握ったまま廊下を歩いていると、前からメイドが一人歩いてきた。と、ワンダがわめきだした。
「あいつだ! あいつに盗まれたんだ!」
歩いてきたメイドはアリスの持っているステッキに気づいたようで少しだけ目を大きくした。もちろんワンダの声は彼女には聞こえていない。
きっとステッキがおいてあった部屋は彼女の部屋ではない。そんなことをしたら自分が犯人ですと言っているようなものだから。
メイドはそもそもステッキが盗まれたことなど知らないように平然とアリスのそばを通り過ぎようとした。
彼女の名前は……そう、パトラだ。アリスは人の名前を覚えることだけは得意だった。
アリスは立ち止まってメイドに言った。
「パトラ。謝ってほしいんだけど」パトラは一線を越えた。知らなかったとはいえワンダの命を危険に晒した。謝罪をさせる必要がある。ワンダに対しての謝罪をさせる必要が。
メイドはビクッと立ち止まると目をカッと開いて固まった。
「な……なんのことです? 私なにかしましたか?」
それを聞いてワンダが隣でブチギレた。
「しらばっくれるんじゃないよ! あんたが私のステッキを盗む瞬間をこの目で見てたんだからね! 盗んだステッキを持って、メラニーとか言うメイドといっしょに話してただろ! 『レディ・シエナのためだから』とか言って! そうだ、アランとか言うフットマンとも同じことを話してたな! それに……」
と、ワンダの文句が止まらないのでアリスは事実をかいつまんでパトラに言った。
始めは知らないフリをしていたが、メラニーとアランの名前が出てきたあたりから彼女の顔は徐々に青くなっていった。
「ど……どうしてそんなことまで……。あっ……!」パトラは手で口を塞いだ。
「パトラ、もう一度言うね。謝ってほしい。これは私の大切なものなの。わかるでしょ?」
パトラは最初悔しそうな顔をしていた。きっと隠し通せると思っていたのだろう。彼女は一瞬だけアリスを睨んだ。が、アリスを見た瞬間、その表情に怯えが混じった。怯えはまるで水彩絵の具のように徐々に広がっていって、怒りや悔しさを完全に飲み込んでしまった。
パトラは身を縮めて細かく呼吸を繰り返した。
アリスはそれに気づかなかった。
「謝って」アリスは静かにそう言った。
パトラは静かに、深く、頭を下げた。
「申し訳、ありませんでした」
アリスはふっと息を吐き出して、ワンダをみた。
ワンダは満足そうにうなずいていた。
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